第十話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その二
各所に壺や水墨画が飾られた泰山庁の広い廊下を、書類を携えた事務官達が流れ行く水のように行き交う。
時折、何かを避けるように大きく迂回しながら流れていく様も、大河に似ていると言えるだろう。
喧騒に満ちた西館二階の大食堂から、質の違う活気を帯びる本館一階総務課へと、流れの分岐点となりながら悠抄達三人がのんびりと歩を進める。
「変だな」
「はい、変ですよねー」
何故か昆を携え周囲を抜け目なく観察する天猫がぽつりとこぼした一言を、傍らで特段変わった様子もなく通行する悠抄が拾いあげる。
「すみません。ここにごく普通の人間がいるので、社会人として第三者にもわかる会話を展開してください」
頷き合う二人組に、一歩下がって同行する二等事務官が、やや険を含ませ解説を求めた。
くるりと全身で向きを変えた悠抄が、足を止めることなく人差し指を立て言葉を続ける。
「良いですか、事務官くん。ぼく達は今庁内勤務期間なんです」
「達の中に僕は含まれませんが、悠抄さんと天猫さんは確かにその通りですね」
諭してくる少年調査官を、何を今更、とばかりに眇めた目で見おろしたまま事務官が頷く。
こいつ大丈夫か? と言う台詞が言外に滲まなくもないが、悠抄が気にかけた様子はない。
前提条件の一致を確認した悠抄が、人差し指をゆっくりと回して言葉を継ぎ足す。
「ぼく達は西館の裏口から出た後、中庭を経由して本館の裏口からここまで来ました。その間罠の妨害や伏兵はありませんでした」
これは有り得ないことです、と状況を不審がる少年型非常識に、二等事務官が口元に手を当て発言を吟味する。
「つまり、お二人は庁内勤務の度に、仕事を強奪するため総務課に強襲をかけている、と?」
口に出した本人が自らの正気を疑いたくなる発言であるが、確認された側は疑問を持った風もなく頷いて見せる。
「なにをやってるんですか、あなた方は」
「なにと言っても、調査課だぞ? 一応仕事が尽きないよう書類を融通しあっているが、そんな物はすぐ終わるだろ」
世の常識だろ、と真顔で放言してのけるが、そんな常識のあろうはずもない。
想定を上回る調査課の混沌ぶりに目元を押さえて頭痛を堪える青年が、何事かに気が付き顔を上げた。
「総務の妨害はわかりましたが、お二人でも突破は難しいものなんですか?」
いくら長年の経験があろうと事務は事務、こと実戦的な動きに掛けては現地に赴く者に一日の長があろうとの指摘に、携えた昆で床を突いた天猫が肩を竦める。
「考えても見ろ。庁舎を壊すわけにはいかないだろ。それに、討伐課の暇なやつらも助っ人に駆り出されるから、そう簡単なもんじゃない」
突破率は大体三割強か、と呟く天猫。
その三割に拘る意味は何か、と問いたい事務官であるが、当人達にとっては拘るからこその調査課なのであろう。
知らず突いた溜め息をどう受けたものか、後退りで歩を進め続ける悠抄が、背伸びをして目前の青年の頭を撫でた。
「心配しなくても、泰山庁でお勤めしていたらそのうち慣れますよ。なんなら、天猫に特訓してもらいましょう」
「いえ、非常に巨大なありがた迷惑です。お願いなので、その提案は即時廃棄してください」
方向性のずれた善意の塊の申し出に、わが身の危機を察知した青年が間髪置かず全力で辞退をする。
一行の目的地が二等事務官の視界に飛び込んできたのは、悠抄が不思議そうに首を傾げた丁度その瞬間であった。
〜〜
総務部の受付部署は、通常業務においては泰山庁内でもっとも賑わう部署である。
出発組と帰庁組が絶えず入れ替わり、対応する事務員が長机の奥で裁可の手を止めることなく書類をくり続けていた。
雑踏に満ちた室内を巧みに避けつつ、顔馴染みの受付嬢の手が空いたのを目敏く見つけた悠抄が、同行の二人を手招きして足早に歩み寄る。
「仮面の素材を調達しに行くので、水界と蓬島への渡界許可と、ついでに東方方面の調査のお仕事ください」
「抄悠抄調査官と宋天猫調査官のお二人は、本日から一週間庁内勤務となっております。したがいまして、誰がやるか、出直せやボケ」
良い子の笑みで机に身を乗り出す悠抄と、満面の業務笑顔で毒を吐く受付嬢。
嬢のセリフの後半はやけにドスの効いた低音であったが、同席した二等事務官以外に気にした者は存在しない。
「事務官くんの現場見学も兼ねてなので、塩漬けの難しい案件でも良いですよ」
「そう仰られてもないものはありません。大体、塩漬け案件は高難度の未解決案件です。素人の現場見学向きではありません。常識を弁えてください」
受付嬢が赤い表紙の書類綴を閉じると、表情を戻し、少し離れた位置に立つ二等事務官に顔を向ける。
「そこのあなた、椿の徽章にニと言う事は、幽鬼調査課出向の二等事務官ですか」
「はいっ、先月よりこちらの両調査官付きを拝命しています」
徽章を目に留め所属と階級を即座に把握する受付嬢に、二等事務官が新米武官のように背筋を伸ばして応答する。
その後ろで、机から離れた場所に移動した悠抄と天猫がぼそぼそと会話をしていた。
「あの事務官くんは、ぼく達付きらしいですよ。天猫は知っていましたか?」
「いや、知らん。初耳だな」
調査官らしくなんとも薄情な会話に、敬礼をしたままの二等事務官がへにゃりと情けない表情を浮かべる。
見るからに頼りないと感じたのだろう受付嬢が、僅かに眉を動かした後に背筋を伸ばした。
「二等事務官、年齢可変型長命種の特徴を述べなさい」
「は、はいっ、年齢可変型長命種とは、精神が肉体に影響を及ぼして長寿を保つ種です。つまり精神が頑強であれば身体が靭やかに、心が健やかであれば身体は若々しくあることができる種で、要はこの二人や調査課の課長です」
受付嬢の唐突な命令に対し、教書を読み上げるかのような口調で特徴を列挙すると、並んで様子を見ている少年の見た目をした調査官二人を指さして締め括る。
「衰弱による加齢等の弱体条件が挙げられていませんが、まぁ及第としましょう」
とんとんと爪の先で机を叩くと、直れと手で指図する。
何故か改めて直立不動になる二等事務官に、ひとつ頷きを見せると両の手を組んでその上に顎を乗せる。
「このお二人を見てもわかる通り、年齢可変型長命種、通称可変型は高い能力を誇りますが、その性質上、非常に好奇心が強く興味が向く事柄には積極的に向かっていきます。つまりは、彼らに餌を与えるのではありません」
短所が長所を補って余りあるので、如何に被害を抑えつつ誘導するかが調査官付き事務官の腕の見せ所だと諭す受付嬢に、事務官が不安を隠さぬままそっと自らの担当調査官を伺う。
盗み見た先には、何故か揃って胸を張る問題児二人組の姿。
「あの二人を誘導ですか。……すみません、泣いて良いですか?」
「実情はどうあれ、調査官付きは事務官としての出世です。励みなさい」
実情はどうあれ、と再度言いおかれて項垂れる青年を脇目に、天猫が一歩受付机に歩み寄る。
「話はついたな。歓迎会代わりに仕事を寄越せ」
「宋調査官、仕事は歓迎会にはなりません。あと、庁内勤務員に回せる仕事はないと先程抄調査官に申し上げた通りです」
しっしっと手を振ると、「受付終了」の札がこれ見よがしに机の上に置かれた。
「でも変ですよ。庁内勤務期間にここに来る時は、いつもなら通路が罠だらけなのに、今回は申請書が却下されてもぼくは妨害なく任務受付に到着しています。なら、自分で取りに行けと言う調査課長の判断ですよね?」
それなら、お仕事と渡界許可証は準備されているはずです、と見た目だけは可愛らしく小首を傾げて見せる悠抄に、机向こうの受付業務員全員が盛大な舌打ちを背景にした受付嬢が、何やら曰くありげな色の封筒を取り出して見せた。




