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第一話 悠抄、港町で犬霊を観るの事

「こんにちはー、泰山庁の方から来ましたー。どなたかいますかー」

 朝靄のまだ残る時刻、幼い子供特有の甲高い間延びした声が、開店前でがらんとした飯店の中を幾度も壁にぶつかりながら響き渡った。

「はいはい、どちらさん? 悪いけど店は……」

 手ぬぐい片手に奥から出てきた店主が面倒くさそうに顔を上げて声の主を視認した瞬間、その場に佇む小柄な異形の存在に、知らず背で壁に張り付いた。

「はじめまして。ぼく悠抄と言います。庁の方からの指示で幽鬼調査に来ました」

 ぺこりと礼儀正しく頭を下げる子供のような謎存在に、つられた店主が腰砕けになったままお辞儀を返した。

「……ゆ、幽鬼ってなんなんだ?」

「はい、ここ数日ですね、こちらのお店で不自然な霊気反応が観測されていると言うことで、その調査をしてこいと指示をされて来ました」

 何か心当たりは? と説明になっていない説明の後首をかしげる少年もどきに、店主が到来した頭痛に右手でこめかみを揉みほぐし残る手を悠抄に掲げた。

「いや、だから幽鬼って……」

「幽鬼は幽鬼だ。こっちの世界にも古い言葉で残ってるだろ。幽霊や死霊とも言うがな」

 重ねて問おうとした店主の言葉に別方向から他の子供の声が重なり響いた。

 反射的に顔を声の方向に向けた店主が、今度こそ目を見開き声ならぬ悲鳴を飲み込む。

 視線の先には、自分と仮面の子供の他には誰もいなかったはずの店内の卓で茶器を傾ける猫面の少年が腰を下ろしていた。

「天猫、お店で勝手にお茶しちゃだめですよ」

「うるさい、茶葉は自前だ。

 それより、お前は仕事が遅い。現世の人間に迷惑をかけるな」

「いい加減にしてくれっ! 幽鬼だなんだと訳の分からないことばかり言って、お前達はいったいなんなんだ!」

 自分を挟んで繰り広げられる会話に混乱の極致に達したのであろう店主が、頭を掻き毟り大声で喚き散らした。

 数拍の沈黙が流れたのち、溜息をついた天猫が面倒くさそうに店主を指さす。

「悠抄、説明」

「はいはい。えーとですね、さっき言った通り、このお店に変わった霊気反応が観測されているんです。放っておくとよくないので原因調査ですね」

「代金はいらん。安心しろ」

 茶壺を傾け、天猫が相棒の説明の不足部分を付け加える。

 相も変わらず焦点のずれた会話に、一度大きく息を吸い込んだ店主が、肺をすべて空にして勢いよく顔を引き上げた。


「幽鬼って言うのはさっき天猫が言った通り、こちらで言うところのお化けになるんですね。普通だと勝手に界を渡って幽世に移動するんですが、中になかなか離れようとしないヒトがいるんですよ」

 だからこそ庁が調査に動くのだ、としゃがみ込んだ悠抄が、店の床に白い物体で何かを書き込みながらぶつぶつと説明を続ける。

「なんと言いますか、幽鬼のヒトが長居するとこう、気脈が歪んで流れると言いますか。なので、この高霊反応白墨で描いた陣で呼び出して話を聞くわけですね」

 向きを変えて恐らくは不要な図解を描こうとした少年の腕を、はっしと店主が捕まえた。

 捉えられて尚動く腕に辟易した店主が助けを求めて未だ茶を楽しむ天猫へと視線を向けた。

 救援要請を受け、肩を一つ竦めると茶杯を置いて歩み寄る天猫。

「こいつは仕事中毒だからな、下手に説明させるとうるさい」

 ほらこっちだ、と両肩を掴んだ天猫が強引に向きをもとにもどすと、悠抄が鼻歌混じりで書きつけ作業を再開させる。

「悪いが、俺には何が何やらさっぱりだ」

「俺達の日常とあんたらの日常は違うからな。こんな事、俺達が退散したらとっとと忘れりゃいいんだよ」

 呆けた呟きに対して、傍らから気負いのない回答が降り注ぐ。

 静まり返った空間に、しばらくの間白墨が床を擦る音だけが存在を主張する。

 不思議な空白の時間をおいてから、悠抄が顔を上げて大きく息をついた。

「……できました。我ながら、いい出来です」

 恐らくはご満悦なのであろう胸を張って自賛する悠抄に、小さく頷いた天猫が相棒の頭に手を置いて労った。

 余韻も短く、くるりと頭を回した悠抄が仮面越しに相棒を見上げた。

「というわけで天猫、交霊の踊法してください」

「は? お前がやれよ」

「疲れるから、ぼくはやです」

 ほら早くと急かす仮面に、押し負けた猫面がしぶしぶ何やら準備を始めた。


「何が起こっているんだ?」

「幽鬼のヒトと直接お話できるようにしているんですよ」

 良かったら詳しく説明しますよとの申し出に、丁重かつ即座に否定の反応が返る。

 天猫の刻む拍子が、会話の途切れた屋内に静かに満ちる。

 鈴の音と足踏みの響きにつられるように、天猫が踊る陣から一つ二つと光の粒が立ち昇り始めた。

「どうやら、今回の幽鬼のヒトは犬さんみたいですね」

 ふむ、と頷いた悠抄が右手を伸ばすと、青みを帯びた光の粒がその手に纏わりついた。

 明滅する光の群れを従えて立つ異形の仮面の子供。

 その横で黙々と踊りを続ける猫面の少年。

 どちらも、つい先ほどまで他愛もない会話を交わしていたはずの子供たちとまったく同じ姿であるはずなのに、まるで別世界の存在にすり替わったような、底知れぬ異質さがそこにあった。

 店主の背筋を、ゆっくりと冷たいものが這い上がっていく。

「悪意は、なさそうですね。おじさんの事をずいぶん心配しているようですが、覚えはありますか?」

 振り返る悠抄の言葉と、徐々に形作る幽鬼の様に、店主が幾度も緩く頭を振りつつも、何かを迎えるように震える両の腕を大きく開いた。


「要するに、犬に先立たれたおっさんが、悲しみを紛らわすために無理に明るく振る舞っていたのを、犬の方が心配してかえって留まる原因になったわけか」

「そうみたいですねー。心配で泰山庁まで動かすのだから、思いと言うのは凄いものですね」

 現世のヒトたちはよくわかりません、と腕組み考える相棒に対して、天猫が同感と言わんばかりに軽く仮面を小突いた。


「お前達、こいつをどうするつもりだ?」

 淡い光を放つ犬の首を抱き、不安と多少の警戒をないまぜにした表情で問うてくる人間に対し、悠抄がこてりと首を横に倒した。

「どうするも何も、霊気反応の原因もわかったし、問題もなさそうなので、ぼくは満足ですよ?」

 何を言っているんだろう、とばかりの少年の言葉に、そうじゃないと相棒が軽く悠抄の肩を引いて一歩前に踏み出る。

「理性のある幽鬼は、自分がどうするべきかちゃんとわかっているからな。そいつも、あんたが心配で様子を見ていただけだ」

 だから、少しの間の道草程度は何の問題もない、と続ける天猫の言葉に、店主と犬霊がそっと互いの顔を寄せた。


 よいしょと荷物を背負い直した悠抄が、くりくり腕を動かして背負心地を微調整すると、一度天猫に顔を向けたあとに店主たちを振り返る。

「無事調査は完了しましたので、ぼく達はこれで帰りますね。何かあったら先ほどの札に話しかけてください。泰山庁に直接繋がりますよ」

「協力、感謝する。少しの時間だが、しっかり話せ」

 揃って一礼すると、背を向け雑談を交わしながら戸口をくぐる二人の少年。

 我に返った店主が慌てて通りに飛び出すも、まばらに人が通るのみで彼らの気配はどこにも感じられなかった。

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