許
「はいはい、泣かない。ほら、みっともないから」
母はいつもそう言った。
「泣いたら負け」だと、本気で思っていた。
だから私は、小さな頃から“泣かない子”として育った。
転んだ時も、ひとりぼっちの給食の時も、
家でランドセルを投げ捨てた夜も――
とにかく、泣かない。
泣くと、“負け”だから。
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社会人になって、最初の職場で、先輩に呼び出された。
「報告が遅い」「メモが雑」「あなたって、考えが甘いよね」
毎日のように言われた。
誰も助けてくれなかった。
ある日、先輩の言葉が刺さった。
「そんなことで泣きそうになってるの? この程度で泣くなよ」
その瞬間、私はハッとして、
心のどこかで思った。
“……泣いていいのかな?”
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その晩、家に帰ってお風呂の中で、ぽたりとひとしずく涙が落ちた。
熱い湯の中に沈んだ顔から、止めどなく出てくる。
声も出さずに、ただぽろぽろ、涙だけが。
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「この程度」ってなんだろう。
「泣いていいかどうか」って、誰が決めるんだろう。
あのときの私には、泣くことしかできなかった。
それでも、それは誰かにとっては「甘え」でしかなかったのかもしれない。
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タオルを握った手が、小さく震えた。
小さい頃に言われた母の言葉が、
いまだに脳裏にこびりついている。
> 「泣くな。そんな弱さ、誰も相手にしないよ」
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でも、私は今、
誰にも見られないところで泣けるようになった。
誰の許可もなく、
誰の判断もなく、
ただ、自分のために。
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泪は、勝ち負けじゃない。
ようやくそう思えた夜に、
私は心の奥の誰かに、そっと小さく勝った気がした。