鶴
幼いころ、母はいつも“千代紙”で折り鶴を折っていた。
器用な人で、小さな紙から花や魚や星まで作ってしまう。
「願いを込めて折ると、紙はちゃんと覚えてくれるんだよ」
母はそう言って、折り鶴を窓辺に並べていた。
私は、それを信じていた。
紙に触れると、願いが形になる。
だから、私はいつだって母のそばにいたくて、小さな手で真似をした。
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母が倒れたのは、小学校の卒業式の数日前だった。
病院に行くまでのあいだ、家は静かで、季節がどこかへ行ってしまったみたいだった。
病名はあまり教えてもらえなかった。
ただ、「長くはない」と言われたことだけを、やけにはっきり覚えている。
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それからの数年間、私は紙を折り続けた。
千羽鶴も、意味があるって信じていた。
でも本当は、鶴を折るたびに“自分の心”を折り込んでいたのかもしれない。
母は、静かに笑う人だった。
苦しい日も、つらい日も、何も言わずに「折ってくれてありがとうね」と、ただそれだけを言った。
だから私は、「泣くのは失礼」だと思った。
泣かないことが、母を守ることだと。
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母が亡くなった日。
私は、ただひとつだけ鶴を折った。
少し分厚い、真っ白な千代紙。
小さな金の花模様が入ったそれを、ゆっくりゆっくり折って、両手で包んだ。
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今、私は大人になって、ひとりで暮らしている。
ふとした拍子に、千代紙を見かけた。
手が勝手に折り始めたのは、たぶん習慣なんかじゃない。
気づけば、白い鶴ができていた。
掌にのせると、どこか温かかった。
その瞬間、胸の奥からこみ上げたものがあって、私は初めて気づいた。
私、あの日から一度も、ちゃんと泣いてなかった。
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鶴を胸に抱えて、私はしゃがみ込んだ。
涙が、止まらなかった。
それは、悲しいからでも、寂しいからでもない。
ただ――
“ずっと、好きだった”と伝えたかっただけだった。
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折られた鶴の羽が、泪を吸って柔らかくなっていく。
願いが滲んで、紙に染みていくみたいだった。
そうして今日も、ひとつの鶴が静かに羽を閉じた。