誓
あの日、降りそうで降らなかった空の下で、
君は「ここで待ってるから」と笑った。
夏の終わりだった。
バス停のベンチには、少しガタつく音がする木製の椅子。
隣に並んで座るには少し距離が近くて、でもそれが嫌じゃない関係だった。
遥と拓海は、二人とも高校三年生。
塾の帰り道、ちょうど同じ時間にバスを待つようになったのが、出会いのきっかけだった。
別に「好きだ」と言ったこともない。
付き合おう、とか、そんなこともなかった。
ただ、毎週火曜と木曜の午後八時半、ふたりは黙ってそこにいた。
コンビニで買った麦茶を交互に飲んだり、どうでもいい話で笑ったりした。
ある日、彼が言った。
「もし大学決まったら、ちゃんと伝えようと思ってることある」
「ふーん。じゃあ、あたしはそれまで“ちゃんと”待ってる」
それが、約束だった。
たったそれだけの、言葉のない約束。
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冬が来て、春がきて。
そして、夏がまたやってきた。
遥はひとり、あのバス停に立っていた。
片手には、麦茶のペットボトル。もう片方には、なにも持っていない。
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拓海は、その春に事故で亡くなった。
滑ったトラックに自転車ごと巻き込まれたと、新聞に載った。
連絡先も、家も知らなかった。
お互い、本当にただ“バス停の顔見知り”だったから。
でも遥にとっては、あのバス停が、たしかに世界だった。
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その日、遥は静かにベンチに座った。
誰もいない道。バスは来る気配もない。
ポケットから、手紙を出す。
――本当は渡すはずじゃなかった。
でも、彼がいなくなった春から、どうしてもこの“未完成”を持ったまま生きるのが苦しかった。
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> 「拓海へ」
火曜と木曜だけ、ちゃんと来てたね。
麦茶も絶対、午後のやつだった。変なこだわり。
あんたが言いたかったこと、なんだったんだろうね。
伝えようと思ってくれてたってだけで、
ちょっと救われてたよ。
わたしは……多分、ちゃんと好きだった。
バス停って、毎日来る人変わるのに、
たったひとりを待つ場所にもなるんだね。
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手紙を小さく折って、ベンチの下に押し込んだ。
誰かに拾われてもいい。読まれなくてもいい。
ただ、“ここ”に置いていくことだけが、遥にできる唯一のけじめだった。
ゆっくり立ち上がって、バスの時刻表を見る。
次のバスは、19分後。
……ちょっと待ってみようかな、と思った。
その空の下、何も言わずに別れたふたりの“もしも”が、今もベンチの隙間に息をひそめていた。
遥は俯きながら、小刻みに震えたまま微笑んだ。
バス停に、泪がひとしずく、音もなく落ちた。