丸をかけなかった私へ グレーゾーンから見た世界
私は、絵が下手だ それも、高校生まで線をまっすぐに引けなったり、
丸を描けなかった…… 今は、丸を描けるようになった
やっと、一枚絵が描けるようになった
私みたいに、運動音痴や頭が悪い子でも、絵や図画工作がうまくて、褒められているところで……小学生の時に、完成できたのは冗談でもなく、本当に一作品位っだった
私だって、「絵がうまいね」って言われたかったという思いが時間を巻き戻して襲ってくる
訓練をして、脳のバランスをとるために中途半端な両利きを、完璧な両利きにしたところ
バランスをとれたようで、線を引けたり文字を読めるようになったりした
両利きにするのに三年はかかっていった
「苦労なんてしたくなかった……」なぜなら、同じ兄弟の妹は常に表彰され、頭もよく絵や習字もうまいスーパーマンみたいだった
隔世遺伝でもおじいちゃんも絵がうまかったが、破滅的に描けなかった
なんせ、丸をかけなかったし、今でも、折れる折り紙は鶴しかないし、これも三年かかった 幼稚園の頃に泥団子も丸くできなかったことを思い出す
普通になれなくても、何かがある人間になりたかった
絵はできない子への唯一のわかりやすく認めてもらえる特技だと思うからだ……
私は、ぐるぐると悲しくなるんだ……
唯一いいこと言えば、キャップを開けられるだけで、喜べたり缶詰をきれいに開けられたりすると、進化したわ~と充実感が得られることだけだろう
何とコスパの悪い……
私は、ただ一つの願いは普通になりたいということだったが、今もそれを追い求めているが途方もなく遠い
ここまで頑張った私を、どれくらいの人が認めてくれるかと他人軸で揺れてしまう
だから、私は人を見ていいなと思ったところをみたら素直にほめる
だって褒められたかったからだ 今もそうだ だからこそ、苦しむくらいなら褒めて認めたい、自分のためにも。相手にも迷惑にならない対処法だった
今、こうやって文字を起こして誰かに伝えられるようになったのは大げさでもなく奇跡なのだ
でも、その気持ちは長くは続かない、よくばりだからろう
いつか、本当の意味で満足出来たら嬉しいなと思いながら今日も生活をする
おそらくグレーゾーンでちゃんと検査をしたらADHDとか、引っ掛かりそうだと思い出すと思う
これまで、私ほど何もない人を見たことがないからだ
まるで、修行僧のように生きてきたが限界が近くなってきているのもわかる
でも、唯一いいことは、いいことがあると人の十倍くらい喜べることだ
すぐ、感動するし
因みに音痴でもある私が、78点しか取れなかったが一年週一回ヒトカラをして
82点まで行けるようになったので、普通くらいになれたのかなと思うことにした
全てが修行と化す私はいつになったら、自分に「もういいよ」って言える時が来るのだろうかと思う そんな日が早く来てほしいと思うばかりだ……。