米沢藩入り その1 治憲19歳~
≪慟哭≫
『やめてくれ、雪の積もる泥道で土下座なんかしないでくれ』と叫びそうになる自分を抑える。
『少しでも早くこの場を過ぎぬと、領民たちが立ち上がれない』
前世のドキュメント番組で見たことのある体型。ガリガリに痩せているのに、不自然にお腹だけが膨れた姿。木々の騒めき以外に物音一つしない。
土下座しており、顔は見えないがすべてを諦めた人間の姿がそこにあった。
始めて脚を踏み入れた米沢藩の板谷村は、廃村といっても過言ではない寂れた村であり、そこの住民は生きる屍を思わせた。
考えが甘かった。米沢藩の窮地は理解していたつもりでいたが、所詮は数字と物資の揃った江戸で聞いた話。実態を目の当たりにし、自分の認識の甘さに嫌気がさす。前世は当然だが、餓死しそうな人など江戸屋敷の近辺にはいなかった。
思わず『ここは地獄か』とつぶやく。苦い、余りにも苦い初の国入りであった。
板谷村には宿もなく、治憲一行は野宿をすることになった。
『ふふふ、藩主として初の国入りがまさか野宿になるとはな。20万両の借財のある身と言うことを、改めて確認させられた気分だ』
治憲の初の国入りはこれからの苦難を連想させのるに充分なものであった。
そのころ、米沢城では治憲の到着準備に大わらわだった。
出迎えに城門に出る家臣は、皆絹織の羽織袴姿であり、奥では豪華絢爛な食事が準備されようとしていた。
城門前に現れた30名ほどの隊列を見た家臣たちは、当初ならず者の集団が現れたと思った。
全員木綿の粗末な袴姿で、それが薄汚れていた。
藩主である治憲も早々に籠から降り、粗末な木綿の袴姿で乗馬しており、どう見ても藩主の国入りとは見えない姿だった。
しかしそれが新しい藩主である治憲一行であるとわかり、慌てて出迎えの準備をすすめた。
『これが米沢城か』と初めて見る城に感慨深いものがあった。しかし、城門で出迎える家臣たちの羽織袴姿を見たとき、胸にざわつくものを感じた。城門に立つ家臣に向かい「上杉治憲である。ただいま国入りを果たした。早速だが、家老の千坂高敦をこれへ呼べ」と申しつけた。
『この男は、なぜ薄ら笑いを浮かべているのだ?私の怒りが分かっていないのか?』と国入り直後の板谷村の状態と痩せこけた村民の姿を思い出す。
「高敦よ、この出迎えはなんじゃ?」とかろうじて声を抑えて尋ねる。
すると「お屋形様こそ、その出で立ちはいかがなされましたか?恐れ多くも謙信公、景勝公の顔に泥を塗るようなふるまい、この高敦身命を賭して御諫めさせていただきますぞ」と捲し立て、「参勤交代で呉服屋、宿場や口入屋に金を落とすのは大名としての責務にございますれば、倹約も時と場合によりますぞ」と語気を荒げる。
それを聞いた私は、嫌な予感が胸を過ぎった。「倹約令は藩士に周知されておるであろうな」と高敦に問う。
すると、悪びれた様子もなく「誇り高き上杉家の藩士に伝えられる内容ではございません故伝えておりませんが、町民•農民には徹底させております故、ご安心ください」と薄ら笑いを浮かべる。
一瞬殺意が湧くが、何とか抑えて「どういうつもりじゃ」と詰問する。
「お屋形様の名誉を守るためにございます」と小馬鹿にした様な口調で、「由緒正しき上杉家の武士にあの様な指示を出しては、お屋形様の正気を疑われましょう。それも、竹俣ら菁莪社中の姦臣どもに誑かされてのこと。今後は私ども米沢の重臣がお力添えを致します故ご安心ください」と悪びれた様子もなく答えてきた。
「今の米沢藩に贅沢をする余裕などない。倹約令は儂が決めたことじゃ」と厳しく返すが、「高鍋3万石とは勝手が違いましょう、お疲れでございましょうから奥へお入りくだされ」と議論を打ち切ってきた。
仕方なく、準備しかけていた料理を中止させる。
奥に入る前に足軽を含めた藩士全員に声をかけ、赤飯を振る舞うように伝える。すると高敦が再び「お屋形様に申し上げまする」と声を荒げる。「足軽に声を掛け、振舞いをおこなうなど上杉家の藩主のなさることではございませぬ」と告げる。
「それはこれまでの仕来たりであろう。私が藩主となったからには、足軽であろうと農民であろうと等しく我が子である!」と宣言した。
奥座敷で1人になり冷静を取り戻した。
『まさか、ここまで露骨に妨害してくるとは。しかも、想像以上に不味い状態になっている』と頭を抱える。事が、倹約令を伝えていないだけであれば、2年遅れになるが今から伝えれば良い。
『藩士には伝えず、農民•町民だけに厳命したとは…』
これでは、領民と藩士や藩主に軋轢が生まれる。いや、それが狙いか…。と板谷村で怯え切って土下座する村民を思い出す。
しかし、藩士のいる前での議論は不味かった。
『誉める時は人前で、叱る時は1人だけで』はマネジメントの基本なのに、頭に血が上ってしまった…。
この時代は人前で叱責する事で自分が偉いとアピールする傾向がある。前世の会社もそんな上司ばかりだったな〜と反省をする。
しかも、あの論議で自分は藩士の味方で、叱責を恐れず藩主を諌める忠臣である、とのアピールをさせてしまった。これでは責を問えない。
『実に処世術が上手い』と千坂高敦に前世の上司の面影を重ねていた。
「これだけ釘を刺せばしばらくは大人しくするであろう」と、いまだ怒りの収まらない高敦は、同じ重臣の色部や芋川に不満をぶちまける。
「やはり3万石程度の弱小藩の出では、由緒ある上杉家の気概などわからぬのでしょうなぁ」と色部がうなずくと、「江戸の竹俣一派の悪影響であろう。お屋形様と菁莪社中の一派を切り離さねば、藩は大変なことになろう」と芋川も続く。
高敦は顎に手を置き、「また何かする前に手を打たねば…」と次の手を考えていた。