藩主1年目 治憲17歳~ その2
米沢藩江戸屋敷の奥座敷では、藩士たちが頭を抱えながら倹約令の作成に取り組んでいた。
仕切料の減額に加え奥女中の削減、そして何より藩主の食事を一汁一菜にするなど、正に前代未聞と言える。しかもそれを藩主自らが提案している。これにより、今回の倹約令の作成に聖域や制限がないことが示されている。
こうして、藩士の間に活発で具体的な議論が次々と生まれた。なにより藩主自らが身を切る姿勢を見せている。中途半端な倹約令では納得されない雰囲気が漂っていた。
そうは言いながらも、実際の倹約令の作成は困難を極めた。他人への削減案は出せるが、いざそれが自分に及ぶとなれば及び腰になるのは人の性と言える。
しかし、そのような柵に捉われていては、とてもではないが20万両の借財など返せる訳がない。まして、治憲自らが率先する姿を見せている。
こうして、莅戸善政を中心となり、時に挫けそうになる気持ちを奮い立たせながら節約令をまとめ上げた。
善政が完成した倹約令を私に差し出す。「お屋形様、倹約令が出来上がりました」と頭を下げる。
私は完成した倹約令を確認し、『これは反発がすごいだろうな~』と心の中でつぶやく。
≪衣類は絹を禁止し木綿とする≫≪食事は一汁一菜とすること≫≪贈答品などの禁止≫など12カ条に及ぶ厳しい文言が並んでいた。
国元の老臣たちが『外様の小大名の入り婿が上杉家の格式を・・・』と言って噛みついてくる姿が目に浮かぶな~、と苦笑いを浮かべる。
しかし、実際にこのくらいのことをやらなければ、藩財政の改善などできるはずがない。これを徹底させよう、と決意し頷く。
拳を握り締め、下座にいる善政に声をかけた。
「善政よ、国元より家老の千坂高敦を呼べ」
『苦虫を噛み潰したような顔ってこういう顔なのか。』と感心しながら倹約令に目を通す高敦を眺める。
「恐れながら・・・」と声を出した高敦は、かろうじて怒鳴りつけるのを我慢しているようだった。
「まず、絹の衣服禁止とのことですが、格式高き上杉家の武士たるもの、身だしなみとして絹の羽織袴は欠かせませぬ。しかも、一汁一菜の食事では十分な戦働きなどできませぬぞ。」
『うん。すでに格式なんて崩壊しているから。幕末まで戦争はないし、現実的に食べ物も不足しているからね』と心でつぶやく。
「3万石程度の高鍋藩であればともかく、恐れ多くも謙信公が始祖となり景勝公が開いたこの米沢藩には格式というものがございます。」
『ほら出た。いつものワンパターン』
「そもそも、このような重要な策を国元の重臣に相談もなく決めるとは何事ですか」と続けざまに文句を言う高敦。
『そもそも国元の重臣が決めた政策の結果が借財20万両ですから!』と高敦の言葉に心の中で応える。
私は納得のいかない顔の高敦に対し、厳しい声で告げる。
「よいか、この倹約令は大殿となられた重定様もお認めになっておる。この倹約令を国元に持ち帰り、藩内に隈なく周知せよ。この件しかと申しつけるぞ」と厳命する。
「それともう一つ」・・・と続ける。
「国元に帰ったら検地をおこない『水帳(検地帳)』を最新のものに改めよ」と加えて告げる。
米沢藩に現在どのくらいの農地、耕作地があり、そこから得られる税収を正確に把握することは、藩財政の健全化にとって最重要な課題となる。
加えて、耕作放棄地の実態も掴む必要がある。
放置された田畑の復活が叶えば、どのくらいの増収が見込めるかを知るためにも、正確な水帳の情報は重要となる。
水帳改めにより、正確な藩の収支とポテンシャルを明確にし、今後の改革案に反映させるつもりだ。
一通りの指示を聞き、不機嫌な顔を隠そうともせず、高敦は国元に帰って行った。
米沢城に戻った高敦は芋川正令ら藩の重臣に倹約令を見せながら不満を爆発させていた。
「やはり3万石程度小藩の入り婿では、由緒正しき上杉家の藩主など出来ぬのじゃ」
「しかも、このような大事な政策を、我ら国元の重臣に相談もせず・・・」
「竹俣ら菁莪社中の面々が、調子に乗ってお屋形様を誑かしておるに違いない」
「しかも、水帳改めなど面倒な仕事を・・・。もはや農民からはこれ以上絞り取れまいに」
など、治憲の言に従うそぶりもない。
それを聞いた高敦は、ほくそ笑みながら「このような倹約令を、上杉家の武士に伝えられるはずがなかろう。構わぬ故捨ておけ」と治憲を小馬鹿にしたように告げる。
「但し農民、町民どもには、新しいお屋形様の命として厳命させよ。加えて水帳改めは、更に年貢を絞りとるためと言えば、領民どもからは新しいお屋形様への不満が溢れ出るであろう。これで少しは大人しくなるであろうし、好き勝手にしておる江戸の者たちへの不満も積もるであろう」と言いながら藩の重臣たちを見廻した。
その頃江戸屋敷では幸姫と人形遊びをする治憲の姿があった。
邪気のない幸姫の笑顔を見ると、高敦との会見で溜まったストレスが解消するのがわかる。
治憲はまだ見ぬ米沢藩の民を憂いつつ、幸姫との触れ合いに安らぎを感じていた。