10年一昔 鷹山70歳~
その日、餐霞館ではささやかな宴席が設けられていた。
「大殿様、古希(70歳)をお祝い申し上げます。また、お豊の方さまにおかれましても、傘寿(80歳)のお慶びを申し上げます」と下座より莅戸政在が祝辞を述べる。
鷹山は政在を見ながら、善政が身罷ってから政以に引き継がれ、そして政在が側近となるまでを振り返っていた。
『まさか政以が56歳の若さで死去するとは・・・』と政在に政以の面影を重ねる。
『政の在り方を説いた(政体邇言)や学問の道を示す(学而辨)など多くの書を残し、善政の血を継ぐだけあって才能のある男であった』と若すぎる死を惜しんだ。
そこへ「大殿様、お豊の方様おめでとうございます」と治広が入ってくる。
その隣には、新にお屋形様となった斉定もいた。
『治広が49歳で隠居を言いだした時は早すぎると思ったが・・・思えば私が治広に家督を譲ったのが35歳の年であったことを思えば良い機会であったか。痛風を患ったこともあるが、治広は藩主の器ではなかったやもしれんな』と治広の隣に控える斉定を見る。
『その点斉定公は、年は若いが聡明で藩主としての能力も高い。斉定公が藩主の間は、米沢の政は心配なかろう』と安堵の息を吐く。
「時に大殿様」と斉定が鷹山に話しかける。
「大殿様の仕切り料(経費)でございますが、藩主に成られた当初より元は1500両であったものを209両として、以降そのままとなっております。亡き重定公は700両でございました故、増額させていただきとうございます」と財政も上向いていることから仕切り料の増額を打診してきた。
「斉定公、お言葉はありがたいが、仕切り料の増額は不要である」と断る。
「最早、歳老いた老夫婦。豊と二人慎ましやかに暮らせるだけのものがあれば良い」と笑って答え「そもそも、金があっても使い道を知らぬ」と一度も贅沢をしたことのない鷹山にとって、大金を手にしても使い道がないと笑う。
そして筆を持ち『物を贈るには 薄くして誠あるものを有す。物厚くして誠なきは 人に接する道にあらず』と記し、誠意があれば良いと示した。
相変わらず幕府からの普請工事は容赦なく申し付けられ、それ以外にも身内の冠婚葬祭等が続き、借財の16年返済計画は遅れに遅れ、計画当初からすでに30年の歳月が流れていた。
それでも、鷹山の節約の考えが米沢藩に広まり、20万両(200億円)もあった藩の借財も、後わずかで返済できる目処も立った。
今では米沢藩の農村は豊かに発展し、各農村からの税収は高く、またその税収が滞ることもなかった。
安定した税収により、計画的な借財返還の道筋が立ったばかりでなく、米を領外に販売することで外貨を獲得できるまでに農家は潤っていた。
隣に座るお豊の方に「其方に初めて会った時、女子の間引きだけは止めさせると誓ったが、何とか約束を守れたかのう』と笑いかける。
するとお豊の方も笑いながら筆を持ち
『年ごとに栄ますらん国民も 賑ふけふの君のめぐみに』と記し、今日も貴方のもたらす恵みで領民は年ごとに栄えていますよ、とこれまでの功績を讃える。
それを見た鷹山は涙し、其方と添い遂げることが出来て幸せであった、と礼を言う。
再びお豊の方が筆を持ち、鷹山への思いを記した。
『色かへぬ常盤の松もかぎりなき 君もろともに幾世しげらん』
いつまでも色が変わらない松のように、貴方とともにずっといましょう … 意訳です
お豊の方が素晴らしすぎます。
次回で最終話とします。




