三通の上書 治憲41歳~
再び莅戸善政を重臣に迎えることになり、藩財政の再建に明るい兆しが見え始める。
莅戸善政は餐霞館の奥座敷で三通の上書を前にして、治憲と話し合いを進めていた。
「善政よ、この三通の上書であるがどう思う?」と治憲が問いかける。
この内の一通は志賀祐親が在籍していた時に竹俣当綱から寄せられていたもので、『夜長の寝言』と名が記されたものであった。
「当綱様の上書は藩の財政再建に欠かせぬ金言と存じます」とまずは当綱の上書についての評をおこなう。
「上書にあります通り、疎遠となりました商人との関係改善、産業の復興につきましては直ちに手配する必要がございましょう」と当綱の上書に目を落とす。
「これに加えまして、領民の生活にかかる物資でございますが、藩内のものを使うように指示致せばいかがでございましょうか?」と善政が問う。
『それって地産地消だね』と善政の言葉に関心する。
「藩内のものを使えば、金も藩内で回りますし産業復興の助けにもなります」と善政が説明する。
『そうそう、こう言う提案を聞きたくて目安箱(上書箱)を設置したの・・・』と善政の提案に頬が緩む。
「然らば、こちらの上書は如何に?」と二通目の上書を指し示す。
「先ずは、この上書を取り上げられたお屋形様と中殿様のお心の広さに感服仕ります」と頭を下げた。
善政が目を落とす上書には『管見談』と名が記されていた。
そして、この上書を記したのは『藁科立遠』だった。
藁科立遠は七家騒動で処刑された藁科立沢の子であり、治憲は親の敵とも言える存在である。
その治憲が始めた上書箱に、上書を認めた立遠も英明だが、それを排除せずにきちんと論議する治憲は見事であった。
「この立遠殿の管見談も見事な出来にございます」と善政が褒め、「過去の経緯はどうあれ、このような秀才が野に下っておるのは、藩の損失と言えます」と治憲に進言する。
※この管見談が評価され、藁科立遠は記録所に登用されることになる。
「当綱殿、立遠殿両名の上書に共通しておるのは、役人の登用についてでございますな」と善政が治憲を見て、「この上書を読まれて某に『役人、特に藩政に係る重臣は、家格に関係なく能力のあるものを登用する』と申されましたか・・・」と先日の言葉を思い出す。
「また波風が立つであろうが、此度は引かぬ」と治憲が拳を握り締める。
「役人と特に重臣は能力のあるものを当てる。大事なのは適材適所と、役割分担である」と立遠の管見談を指し示す。
「立遠の指摘にもあるが、家格が上の無能な者に優秀な家臣の進言が覆されるようなことがあってはならん。家格と役職は分ける故、下級士族が上級士族を使う場面も出てこよう」と昭和や平成の時代でも難しく、この時代では誰も考えない提案をおこなう。
「加えて、必要のない役職は全て廃止せよ。無駄に人を介すれば意見は歪む。また、握り潰されるやも知れん」と今の藩体制を一新する決意を示す。
それを聞いた善政は、渡りだしたばかりの丸木橋にかかる波の大きさが予想され、早くもこの丸木橋から降りたい気持ちとなっていた。
若干の眩暈を覚えながら三通目の上書を取り上げる。
「中殿様、こちらは?」と問うと、「私には判断が出来ぬ故、且方の意見を聞きたい」と上書に目を通すように促した。
その上書に書かれていたのは
「蓄財の開始と・・・なんと松川(最上川)から北条郷まで堰を築いて水を引く計画にございますか?」とその壮大な計画に目を奪われる。
「確かに、北条郷に用水が引ければ開墾が一気に進みます故、蓄財も可能になるかと存じますが・・・」と計画書を見ながら腕を組む。
「八里(32km)にも及ぶ新堰の普請工事。出来るのであれば一気に藩財政が上向くやもしれんが、果してやり切れるものか?」と善政に問いかける。
「私めも用水の普請には明るくございませぬが・・・」と前置きし、「黒井忠寄殿が計画して、上書において出来ると言われるのであれば…出来ると確信いたします」と答えた。
黒井忠寄は勘定頭として竹俣当綱に推挙され、会計一円帳の作成など藩の事務を支えてきた。
幼少のころから算術に強く、その卓越した頭脳により竹俣に取り立てられた秀才だった。
善政から忠寄の人物像を聞いて、治憲の心は決まった。
「ならば・・・黒井忠寄を普請奉行に任命し、新堰の普請を任せよう」




