志賀祐親の苦悩とあの箱 治憲40歳~
その眼差しはどこにも焦点が合っておらず、ただ前だけを見ていた。
ぼんやりと見つめるその先には、疲弊しきった農村地域とそこで働く農民たちの姿があった。
「あの飢饉からもう2年以上経つのに、一向に暮らしが良くならないねえ」
「まったくだ。お屋形様と藩の重臣方たちは何を考えているのかねえ」
「おいおい、滅多なことを言うでねえぞ。壁に耳ありだ」
などと、農民たちの愚痴が風に乗って聞こえてくる。
志賀祐親は悩んでいた。
今の米沢藩の状況を何とかしなければ、未来がないのは明白である。
だが・・・では何をすれば良いのかが全く分からない。
このままでは駄目だ・・との焦りばかりが募り、最早まともに物事を考えることすら億劫となっていた。
祐親に能力が無い訳ではなかった。
竹俣当綱や莅戸善政の補佐として、藩政を支えてきた実績は確かなものであった。
しかし、祐親の実績は補佐能力の高さによるものであり、祐親自身に物事を開拓し推し進める能力はなかった。
竹俣当綱や莅戸善政という強力な推進力が新たな道(案)を作る。祐親がその出来た道(案)を皆が使いやすく整備する形でこれまでの実績が作られてきた。
しかし、今の米沢には治広を初めとして、推進力がまったく無い状況になっていた。
言わば、祐親はマネジメント能力は高いがリーダーとしての素質には欠けている人物だった。
治憲も祐親の高いマネジメント能力から治広の補佐に任命したが、治憲も高いリーダー能力を有していたため、祐親の資質にまで気が回らなかった。
そして、治広もリーダー能力が高いとは言い難い藩主であった。
結果として、祐親はあまりの責任の重さと重圧に耐えられなくなってしまう。
「お屋形様・・・私の力の限界でございます。何卒お暇を頂き等ございます」と涙ながらに辞意を伝えるのも無理のないことであった。
志賀祐親の辞意の願いは、治広から治憲に伝えられた。
「中殿様、祐親が辞意を表明しており、その決意は固く翻意はできそうにありません」と慌てて報告をしてきた。
私は前世を思い出し『そう言えば、前世でもリーダーシップの取れない上役が苦労してたな~。事務能力の高さから上司に気に入られて昇進したけど、結果的には不幸な結果になった。祐親には気の毒なことをしてしまった』と祐親の資質に気が付かなかった自分を責める。
「祐親は隠居してのんびりと余生を過ごしてもらおう。後の人事はこれから考えようか」と治広に伝え、志賀祐親の引退を認めることにした。
私は隠居所として建築した餐霞館に帰り、奥座敷で頭を抱えていた。
『新しい藩財政の改革といっても、もう何も思いつくことがない・・・』と何の能力もない自分を悔やむ。『神様、転生させるならせめて何か能力を与えて欲しかった』と神様に恨みごとを吐く。
『早急に志賀祐親の代わりとなる者も探さなくては』と目の前が暗くなる。
「治憲様、その様に根を詰められては身体に悪うございましょう」と、机に出した藩士の名簿を睨みつけて頭を抱える私を見て豊が声を掛けてきた。
「その様に、書類を睨みつけては目にも悪うございます」と私の前にお茶を置く。
「ゆっくり目を休めて身体を労ってくださりませ」と私の身体を心配してくれる。
その時、私の頭に閃きが走る…
「豊、今何と言った?」と豊に聞き返す。
「書類を睨みつけては目に悪うございますと…」
「いや、その後じゃ」と問うと、
「ゆっくり目を休めて身体を労ってくださりませ、と申しましたが…何かお気に障りましたでしょうか?」と心配気に私を見つめる。
『目を休める…』
『目を安める…』
『目安…箱』
「豊それじゃ…」と、私は思わず豊を抱きしめながら前世で見た時代劇を思い出していた。
そう、前世でよく観ていた『パーパパー パパーパパー』と言うトランペットの響きと共に、白馬に乗って海岸を走る将軍を…
『そうだ。自分が思い付かないなら、藩士や領民の皆から意見を聞けば良いではないか』
そう、私が思いついたのは金色の着物でサンバを踊る将軍が設置したとされ、小石川療養所が作られるきっかけにもなった『あの箱』だった。
豊は私に抱き竦められたまま『そんなに目が疲れていたのかしら…』と治憲の身体を心配するばかりだった。
治憲は疲れすぎて、前世の記憶がおかしくなっています。
白馬で海岸を走るイメージが強い、サンバを踊る将軍ですが、念の為本文を書いた後で公式サイトを確認したら、シーズン1では馬は栗毛で、海岸ではなく川を走っているみたいでした。シーズン2からは白馬で海岸でした。おまけに、トランペットのソロは挿入歌でオープニングではありませんでした。
まあ、ご愛顧と言う事で••••




