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天明の大飢饉  治憲33歳〜

それは餓鬼がきと呼ばれる妖怪を思わせる姿をしていた。異様に痩せ細った身体に、不自然にお腹だけが膨らんでいる。


ふらふらと覚束おぼつかない足取りで、常にわずかでも口に入るものがないか探している。


そして…そのような姿をした者が、彼方此方あちらこちら彷徨さまよい歩いている。


その傍には、人が倒れハエがたかっている。そのハエが集った死骸を…


正にこの世の地獄が其処にあった。



奥羽地方(東北地方)では、すでに何年も冷夏が続いており農村地域は疲弊しきっていたが、米沢藩では治憲の開墾政策や米から雑穀への転換により、他の地域よりは被害を抑えていた。


しかし、この夏の冷夏は夏でも霜が降りるほど気温が上がらず、寒さに弱い米は壊滅的な打撃を受けることになる。

加えて田沼意次の金満政策により、商業作物が推進されたことが、農村の食糧不足をさらに加速させていた。


陸奥(むつ)の国などでは、壊滅的な食糧不足のため口に入るものであれば、どんなものでも口にした。

特に被害が大きかった弘前藩ひろさきはんでは死者が10万人を超え、全国でも90万人以上の死者が発生しており、奥羽地方では、正に地獄絵図の様相を示していた。


野山の雑草はもとより、稲わらや松の木の内皮などに加え、この時代には忌避されていた四足(よつあし)(牛や馬)、挙句には犬猫までが食べつくされ      最後には…




「越後の国などから米1万俵余の買い付けができましてございます」と志賀祐親(しがすけちか)が治憲に報告をおこなう。


「お屋形様の慧眼(けいがん)により、穀留(こくど)の前に話を通しておりました故、何とか手配が叶いました」と祐親が感心して治憲を見た。


「他藩などでは、穀留のため必要な米が手に入らず、人喰いまでおこなわれていると聞き及んでおります」と他藩の悲惨な状況も聞こえてきた。



「他藩から農民などが助けを求めて当藩に流れてきたら、できるだけ受け入れるようにせよ。腹いっぱいは食わせられぬが、餓死せぬようにな」と祐親に指示する。


「火急の場合故、商人や藩士などから金子や穀物を借り上げよ。また、各農村や町屋敷に備えておいた備籾倉(そなえもみくら)を開放して救済にあてよ」と檄を飛ばす。


「穀物はすべて(かゆ)にして、少しでも量増かさましして食べさせよ。城内においても当面の食事もすべて粥とする」と告げ、太陽の光が差さない空を恨めしくにらんだ。


農村の一角では、備籾を粥にした炊き出しが行われていた。いや、粥と言うよりは重湯おもゆに近いその液体を貪り飢えを凌ぐ。


米沢で、ひょうと呼ばれる雑草をその重湯に入れて少しの量増かさましをする。

民家の生垣として植えられている五加木うこぎは既に食べ尽くされ、池の鯉も取り尽くされようとしていた。

注)ひょう(スベリヒユ)は今でも米沢の郷土料理として食べられている。




それでも、治憲の差配による1万俵を超える米の買い付けや、雑穀や豆、芋などを増やした事に加え、備籾倉として食糧を備蓄していた事が功を奏し、辛うじて米沢の領民は生き延びる事が出来た。






『この大飢饉でかろうじて餓死者が出なかったのは、米沢の地で陣頭指揮が取れたことに加え、莅戸善政が隠居前であったことが大きい。しかし、善政が隠居し私が参勤交代で江戸に立つ来年はどうなるか・・・』と悩み、一つの決断をする。




志賀祐親を呼び出し、「私は本日より脚気のため病気療養をおこなう」と伝える。

「お屋形様、お加減が悪うございますか?」と心配する祐親に対し、

「幕府に病気療養につき参勤交代の免除を願い出よ。私は藩に残り来年も陣頭指揮を執る」と宣言する。



『辛うじて餓死者は出ていないが、領民は疲弊(ひへい)しきっている。この状況を打開し、正確な指示を出すには正しい現場の確認とスピード感が重要となる。江戸に居てはそれは叶わぬ』と参勤交代を無視することを決めた。



『事件は現場で起きている・・・』は前世で有名なセリフだが、責任者が現場から遠く離れて対応できるような状況ではない。


まして、電話もインターネットもないこの時代では、情報のやり取りだけで数日は必要となる。

そんな悠長(ゆうちょう)なことをしている場合ではない・・・との強い思いから、幕府の定めた参勤交代に従わない決定をおこなった。


後にわかったことだが、同じような決断をした藩は多く、病気による参勤交代の免除の依頼は各地でおこなわれていた。幕府も実情を(かんが)みて承認していたようだ。


最も、参勤交代は藩に金を使わせて謀反を防ぐとの意味を考えれば、飢饉で疲弊した藩に謀反など起こせる体力があるはずもなく当然の対応と言える。




冷夏による凶作は2年続いたが、的確な治憲の指示があり、藩のトップである治憲自らが常に現場に出て陣頭指揮を執る姿に、藩士領民が一致団結することで、最悪であった天明の大飢饉をかろうじて乗り越えることになる。




この経験を踏まえ、兼ねてからの考えを実行に移すことにした。





飢饉の影響も落ち着きを見せたある日、養子とした治広(重定の実子)を奥座敷に呼びよせ、治広の目を見据えて宣言した。





「治広に家督を相続し私は隠居致す」





実際には、餓死者が無かったというのは誇張だったようですが、多くの書物などで死者が出なかったと評価されており、少しでも鬱展開を回避したくて餓死者無しを採用しました。

ただ、天明の大飢饉の凄惨さを少しでも伝えるため、書き出しに鬱展開を入れています。ご了承の程よろしくお願いします。


天明の大飢饉の悲惨な状況をもう少し知りたい方は、極限状況での餓死と生がテーマのため暗い気持ちになりますが、本宮ひろ志先生の漫画『大飢饉』をお薦めします。

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