莅戸善政の苦難 治憲31歳~
莅戸善政は米沢藩の農村を歩きながら途方にくれていた。
『当綱殿、あなたはいったいどうされてしまったのだ・・・』
農村地帯を歩き、農民などに声を掛けてみると、聞こえてくるのは竹俣当綱への不満ばかり。
「善政様、竹俣殿の悪行を何とかしてください」
「ガラの悪い商人を引き連れて、青苧を買いたたいていきます」
「昼間から酒を飲んで、女たちに絡んできます」
「取り巻きたちにばかり便宜を図り藩政を歪めております」
等、善政が知る当綱からは想像ができないものばかりであった。
『お屋形様に何と言って報告すれば・・・』と善政は悩む。
『もしかしたら、何か深い思惑があっての行動かもしれん』と何とか自分を奮い立たせ、『よし、何はともあれ本人の話を聞こう』と重い足取りを竹俣邸に向けた。
「わはははは・・・。酒が足りんぞ~、儂を誰と思っておる。三谷家の借財を棒引きにさせ、更に千両の融資を引き出した竹俣当綱様だぞ~」とだみ声で叫ぶ声が聞こえる。
「当綱様あっての米沢藩でございますよ。ささ、もそっとお飲み下され」と下卑た声が聞こえ、「あれお殿様、そこはだめでございますよ~」と卑しい女の声までもが聞こえる。
善政は目が眩みそうになりながら「御免。莅戸善政である。竹俣当綱殿は御在宅か」と大声で邸内に声を掛けた。
竹俣邸の奥座敷に通された善政の前に、酒に酔って赤ら顔の当綱が現れる。
「おお、善政殿ではないか。こんな昼間から如何された」と素知らぬ顔で聞いてくる当綱に、「当綱殿こそ・・・いったいこの有様は如何なされたか」と怒りのあまり震える声で問いただす。
「何をそんなに憤っておる。良いか、江戸の田沼意次殿を見てみよ。藩政をうまく回すには時にこのような息抜きも必要であるぞ」と悪びれた素振りも見せずに答える。
「ならば、当綱殿はそれをお屋形様にそのままお伝えできますか?」と問うと、「お屋形様はまだお若い。時には清濁併せのむのが政と言うものよ」とはぐらかす。
「私は本日、お屋形様に見たままをお伝え致すがそれで宜しいか」と詰め寄ると、少し落ち着いた声で「善政殿、思えば我らの奉公生活は『借財の返済』ばかりであったのう」と話し出す。
「やっとの思いで明るい兆しが見えたと思った矢先に、櫨の蠟燭で全てが御破算となってしまった」と苦しそうに吐露する。
「それは誰にも防げぬこととお屋形様も仰っておる。いや、責任を問うのであれば自分自身であるとまで言って、当綱殿の心配をしておるのだぞ」と治憲の様子を伝える。
当綱は涙を流しながら「この米沢藩において、儂以上に財政に貢献したものはおらん。その自負があるが、何の苦労もしらん重臣や姦物どもが好き勝手に言いおる。儂はそれが我慢ならん」と一気に捲くし立てた。
「善政殿、且方とは長い付き合いになるな。思えば、いつ破綻してもおかしくない藩政をよくもここまで支えたものよのう」と当綱が振ると、
「左様でございましたな。常に支えもない丸木橋を渡って来たようなものでございました」と善政が答える。
「ならば•••儂は丸木橋から落ちたのよ」と当綱が寂しそうに呟きその場を立った。
次の日、当綱は治憲の前にいた。
「当綱よ・・・善政より話は聞いておる」と話かける。
「よいか、此度の漆の植樹の失敗は私の責任である」と庇い「且方の苦労には、この治憲いつも助けられておる」と感謝の言葉を伝える。
「お屋形様、この当綱の所業、弁解の余地もございませぬ。何卒、この場で罷免いただきますようお願い致します」と平服する当綱に「且方がおらねば、これからの藩の持ち直しがどうやって叶えられようか。心を入れ替えて、改めて役職に努めよ」と留意するように求めた。
「この当綱、改めて民の為に励む所存にございます・・・」と頭を下げ城を後にした。
「のう善政よ」とその場に残った莅戸善政に声をかける。
「且方にも苦労を掛けておるのは承知しておるが、これからも当綱を補佐して藩の為に尽くすよう切望しておるぞ」と願うと、善政は頭を下げその場を離れた。
善政は当綱の反省の弁に安堵しながらも、垣間見えた目の濁りが気がかりであった。
『当綱殿、且方はまだ丸木橋からは落ちておらんぞ。落ちるならば•••某も一緒じゃ』と遠く蔵王の山を見上げながら呟いた。