西からの脅威と当綱の迷い 治憲30歳~
竹俣当綱は堆く積み上げられた蠟燭を前にして茫然としていた。
「この蠟燭すべてが売れ残りだと・・・」ともはや声も出ない。
「何故こんなことに・・・」
蠟燭は漆の実から取れる蠟を固めて作られる。
米沢では、これまでこの蠟を税の代わりとして徴収しており、近年では漆の植樹により蠟燭の生産を広げた矢先でもあった。
しかし、突然この蠟燭がまったく売れない状況に陥ってしまった。
その脅威は、西から押し寄せてきた。
櫨の木から取れる蠟で作られた蠟燭。
それは、漆の蠟燭よりも火がつきやすく、明るい上に安価だった。
木蠟を取るために琉球より持ち込まれた櫨の木は、温暖な気候でなければ育たないが、育て方は簡単であり、その木蠟は漆よりも優れたものであった。
当然のごとく、漆の蠟燭はあっという間に市場から駆逐されることとなる。
「植樹した100万本の漆が・・・」と膝を落とす当綱。
その眼にはうっすらと光るものがあった。
試しに使ってみると、漆の蠟燭よりも櫨の蠟燭が明るい。
しかし、その明るい光は当綱の心に暗い影を落とした。
その頃、城内の一角で・・・
「やっと竹俣がしくじりおった」
「少しばかりお屋形様の覚えが良いからと、大きな顔をしておったが少しは大人しくなろう」
「藩の財政が持ち直しつつあるのを、さも自分の手柄のように・・・」と蠟燭が売れなくなり、落ち込む当綱を喜ぶ一団がいた。
その蔭口は徐々に広がり、城内では竹俣当綱の失敗として大きく広まっていた。
もちろん、誰にも防ぐことのできない災難ではあったが、漆の植林にかかった費用だけでも膨大な損失となり、藩の財政に大きな影を落とすことになる。
『植樹が軌道に乗りかけた矢先に、何故このようなことに・・・』と当綱は自宅で酒を飲みながら焦点の定まらぬ目を泳がせていた。
『しかも重臣たちまでが、手のひらを返したように儂を責めおって・・・』と、城内で晒された冷たい視線を思い出す。
『愚臣どもが人の苦労も知らず好き勝手を言いおって』と自暴自棄に酒をあおった。
竹俣当綱には、大きな失敗をした経験がなかった。
常に強気の行動をおこなう自信家であり、自分の行動が正義であると確信していた。
奸臣の森平右衛門を成敗し江戸に飛ばされたが、そこでもお屋形様に引き立てられてきた。
自分はなにも間違っていない・・・と漆の蠟燭に灯された火を見つめるその目は、薄く濁りわずかな狂気を漂わせていた。
『竹俣当綱の失敗』を治憲は江戸屋敷で聞くことになる。
下座に控える莅戸善政に「何やら国元で当綱の話が出ておるらしいな」と問いかける。
「はい。漆の蠟燭が売れ残り、これを口さがない者たちが当綱殿の責任と触れまわっておると聞き及んでおります。」
「漆の植樹は私が命じたこと。責任を問うのであれば私であろうに」と顔を歪め、『確かに藩を挙げての事業にしては、マーケティングが足りなかったかもしれない』と反省する。
もし緻密な市場調査ができていれば、櫨の蠟燭が出回りつつある予兆を掴み、漆の植樹を減らせたかもしれないが、この時代にそこまでを望むのは酷であろう。
運が悪かったと諦めるしかない…と気持ちを奮い立たせる。
「しかし、心配なのは当綱の気持ちよのう」と善政に語りかける。
「はい。しかし当綱殿であれば大丈夫でございましょう」と善政が答える。
「助けてやりたくても江戸から離れられぬ身故、どうしようもない。当綱と城中の家臣には手紙を送り、様子を見るしかないか・・・」と参勤交代制度の不満を口にして天を仰ぐ。
結果的には、ここでのフォローが1年間できなかったことが、治憲と当綱にとって取り返しのつかない不幸に繋がることになる。
竹俣当綱の屋敷では、まだ昼間というのに下卑た笑い声が響いていた。
そこでは、いかにも見持ちの悪そうな藩士や女芸人が徳利を握り当綱に酒を勧めていた。
その下座では「当綱様、次の太物の卸先ですが・・・」と揉手をしながら下品な笑い声を出す商人たちがいた。
治憲は江戸屋敷の縁側から米沢藩の方角を見ながら
『当綱よ•••水は低きに流れ、色は黒きに染まるという。志しを高く持ち、私が帰るまで耐え忍んでくれ』と願うしかなかった。




