細井平洲の米沢来訪と婆さんの餅 治憲27歳~
細井平洲が米沢の地を訪れるのは5年ぶりのことだった。
「前回訪れたときは、荒地が多く目立っていたが、開墾と植林がすすんでいるようですね」と傍らの神保綱忠に声をかける。
綱忠は治憲と共に細井平洲から教えを受けており、今回の米沢来訪の付添いを任されていた。
「はい。お屋形様自らも鍬を振るいますので、農民や藩士までもが挙って田畑に出ております故」と綱忠が答える。
「率先垂範ができているようで頼もしい限りです」と平洲がほほ笑み、「良いですか綱忠」と教えを授ける。
「人を前に進めたいと願うならば、貴方がその遥か前で目印とならなければ人は一歩を踏み出せません。誰かを動かそうと思うなら、常にその遥か前にいるように心がけなさい。治憲殿は見事にそれを体現していますね」と優しく語りかける。
「はい。この綱忠、深く心に刻みましてございます」と感激したように答えた。
ある日平洲は興譲館での講義を終え、米沢城下で辻講釈をおこなっていた。
『子は親を見て育つ。すなわち親が善行を行えば、子は善行を良しとする。逆に悪行を行えば子も悪行をおこなう。親は常に子の見本とならねばならぬ』
『先ずは学びなさい。そして学んだことは何故そうなるかを考えなさい。学び考えたことは行動に移しなさい』
注)≪学・思・行 相まって良となす≫の意訳
『自分がこうして欲しいと思うなら、先ず相手にそれをしてあげなさい』≪先施の心≫
平洲の教えは学のない農民や町民にも解りやすく、また素直に心に響くものであった。
そう言えば・・・と平洲は江戸の両国橋で辻講釈をしていた時のことを思い出す。
『細井平洲先生。貴方の講義は誠に見事でした。我が師となり友となっていただきたい』と突然声をかけられた時は驚いたぞ、松伯・・・と今は亡き藁科松伯を偲ぶ。
「何卒、上杉家に婿入りする若様を導いて欲しい」と請われ、治憲殿に講義をおこなったが、彼の方ほど優秀な生徒は他にはおらんぞ•••と空を見上げて、「治憲殿なれば、見事にこの米沢藩を立て直してくれよう。安心して見守るがよいぞ」と呟く。
その青空はどこまでも青く澄みわたり、気持ち良さそうに一羽の鷹が雄大に空を舞っていた。
※※※※
『タッ タタタ タッ タタタ タッ タタタ ターーー』と心の中で越後のちりめん問屋のご隠居のテーマソングを口ずさみながら、佐藤文四郎を引き連れて遠山村の視察に来ていた。
先ほどまでは晴天であったが、夕立の気配か生憎の空模様となってきた。
ふと前を見ると一人の老婆が秋稲の干したものを終おうとしている。
「文四郎、あの老婆を手伝うぞ」と声を掛け、老婆の元へ駆けつけ、「婆さんや、雨が降る前に終おうか」と声を掛けて手伝う。
作業が終わると「お侍さま助かりましただ。お礼にこの米で刈上げ餅を作りますで食べてくださいな」とお礼を言ってきた。
私は「ならば餅ができれば屋敷に届けておくれ」と声を掛け、屋敷の場所を老婆に伝える。
後日、屋敷の前で何やら声がするので出てみると、いつぞやの老婆が門番に話をしていた。
「ここのお侍さんに約束の刈上げ餅を持って来ただ」と老婆が言うが、門番は「そのような話は聞いておらん」と老婆を帰そうとする。
私は慌てて門番に「待ってくれ、その老婆は私の客人じゃ」と声を掛けた。
すると門番は驚いた様子で「お屋形様の客でございますか」と老婆を見る。
驚いたのは老婆も同じだったようで「あれ、お殿様でしたとは知りませんでした・・・」と恐縮しきりである。
私は気軽に「婆さんや、刈上げの餅を届けてくれたのか。ありがとう」と礼を言うと「あれ、もったいないだ」と更に恐縮した。
老婆が持って来た刈上げ餅の半分を自分の物とし、手伝った佐藤文四郎にも半分を渡す。
そして老婆には、常日頃の働きの褒美として銀5枚と足袋を渡すと嬉しそうに礼を言って帰っていった。
貰った刈上げ餅を食べてみると素朴な味であったが実に旨かった。
家に帰った老婆は嬉しさのあまり、今日の出来事を娘に知らせようと、手紙を書いていた。
『娘が聞いたら吃驚するかしらねぇ』とニヤニヤしながら手紙を認め娘に送った。
その晩・・・
「豊、本日このようなことがあってな・・・」と刈上げ餅を渡しながら老婆との顛末を話す。
「それは良いことをなされましたね」と豊が刈上げ餅を食べると「これは美味しゅうございます」と目を丸くして頬張りながら、その目は次の餅に狙いを定めていた。
この手紙と足袋は現在も実存しており、治憲氏が実際に身分を隠して農村に視察したことや、気軽に農家の手伝いをしていたことが実証されています。




