家督相続前 治憲10歳~
上杉家上屋敷である桜田邸に移った私は、さっそく米沢藩の状況を調べることにした。隣に控えている小姓の莅戸善政に尋ねる。
「善政、米沢藩の人口と収益って今どんな感じ?」と10歳らしく無邪気な口調ながらも威厳のある態度を心がける。
ちなみに、解りやすく言えば、この時代の15万石領地であれば人口15万人、年商約150億円の価値が適正な評価になる。このくらいは、高鍋藩で学んできた。
すると善政は困った顔で「人口は約9万人となっております。収益は、お答し難いのですが・・・」と歯切れが悪い。
「ん?わかんないのかな?」
「いえ、そうではございませんが」と更に口ごもる。
「知っているなら答えてよ~」と再度無邪気な口調で問う。
「藩の実高は22万石(220億円)ほどで、年貢として7万両(70億円)ほどを徴収しております」と淀みなく答える。
「一方の支出ですが7万2千両ほどとなります。ただし、借財の返済が別に3万両ほど必要で、更に江戸城の普請工事費なども仰せつかり、現在、借財の総額が大よそ20万両で、毎年更に膨れております」と続けた。
ふーん、借金が20万両。平成の価格でだいたい200億円ね・・・と話が頭に入ってこない。え?200億円?収支がマイナスに加えて200億円の借金?更に毎年3億円以上の繰り越し借金って・・・とやっと事態を飲み込むまでしばらく時間がかかった。
しかも藩士の報酬は半額しか払われておらず、残りの半分は藩が借りている形となっているとのこと。当然、清算できる見込みはない。
『本当のブラック企業はここだったか~』と這いつくばりそうになる。
「更には、謙信公のころより蓄えた囲い金(貯金)も底をついております。」と善政が止めを刺す。「なので、麒麟児と名高い治憲様にこの現状を改革して欲しいとの思いで、重定様が治憲様をお迎えなさりました。」と私を見て期待を込めて言う。
心の中で血反吐を吐きながら『いやいや、これ無理ゲーでしょ?』と、叫ばなかった私を誰か褒めてください。
上杉謙信公の時代は豊かだったらしい。領地も何と120万石もありました。
しかも上杉景勝公の時代には、佐渡の鶴子銀山を支配して銀を産出していたとのこと。
佐渡は金山と思っていたが、金も銀も産出していたとのこと。
歴史オンチに加えて地理オンチの私には初耳の情報でした。
しかし・・・関ヶ原の戦いで上杉景勝公は豊臣側に付いたため、徳川家康に領地を取り上げられたとのこと。どうせ転生するなら、この時代にしてくれれば徳川に味方するようにアドバイスできたのに。流石に関ヶ原の戦いは知っている。(名前だけで関ヶ原の場所は知らないが・・・)
このため、上杉景勝公は直江兼続公の領地だった米沢藩30万石に身を寄せたとのこと。
その後、減封されて現在の15万石になったらしい。
その上・・・ってまだあるの?ともうお腹一杯なのですが。
何と米沢藩4代目藩主の上杉綱憲公は、あの吉良上野介の実子で、上杉家に養子入りしたとのこと。吉良上野介の忠臣蔵は流石に知っている。
私の養子縁組も吉良家と上杉家の縁でなされたものだ。
この吉良家が金食い虫で、毎年多額の支援を行ったせいで上杉家の財政が悪化したらしい。
実家を守るために婿入りした家を傾けてどうするって話だが、もはやどうしようもない。
しかし、やはり上杉家はビッグネーム。歴史オンチの私でも知っている名前がどんどん出てくる。
あまりの財政状況に、国元から家老の千坂高敦が来た時に国元の状況を訊ねてみることにした。
「高敦よ。藩の借財だが返済計画などはどうなっている?」と問う。
すると、高敦は見下したような眼を向けながら、「治憲様は元服前とまだ幼い。まして3万石の小大名の出自では、由緒正しき上杉家の遣り繰りなどわからぬでしょう。政は藩の重臣と私めにお任せいただき、お屋形様はどっしりと御構えください」と、薄ら笑いを浮かべながら答える。
『その結果が200億の借金か~』と怒鳴りつけたい気持ちを抑え、高敦を下がらせた。
いきなり年下の上司ができて反発する年配管理職は前世でも見てきた。まして、外見上はまだ10歳の子供では当然の反応か?
しかし、米沢藩の年配管理職(重臣たち)は、借金を増やし続けているのにその自覚がない。そのくせ、過去の栄光に捉われ≪上杉家≫のプライドを捨てられない。いや、彼らにとっては≪上杉家≫のプライドだけが支えとなっているのであろう。だから高鍋藩3万石から来た私を蔑み、言うことを聞こうとしない。
かつて、政治に関心のない養父重定は、幕府に領地返還を申し入れたそうだ。
これは幕府から留意されたそうだが、それでも家老や重臣たちに危機意識が見えない。
逆に幕府から留意されたことで『流石は名門上杉家』と、余計に高慢になっているように感じる。
このままでは駄目だ。早急に手を打たなければ、この藩は破綻する。いや、すでに破綻している。しかし、婿入りしたばかりの私には、改善のための策も伝手も仲間もいない。
逸る気持ちを抑え、まずは藩主となるための下準備を行うこととした。
その夜、私は高鍋藩江戸屋敷で過ごした幼少のころを思い出していた。
『そういえば、黒帽子兄様(後の秋月種茂⇒秋月鶴山)と、藩主について論議したことがあったな~』
「藩が豊かになるには、領民の収入を増やして、人口を増やすことが重要だよ」と言ったら、兄様は吃驚していたな。
「特に、農民の収入を増やすには学問が大切」と言った時のあの顔。
でも、最終的には兄様も「治憲はまだ幼いのに聡明だな」と感心していたな。
そして、「そうだな、私も高鍋を引き継いだ折には、より発展できるよう尽力しよう」と目を輝かせていたな、と懐かしく思い出す。
よし、『兄様に負けないように米沢藩を住み良い藩にするぞ』と決意を新たにする。
しかし、治憲の行く先はどこまでも前途多難であった。
誤字報告ありがとうございます