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高鍋藩にて 秋月種茂34歳~

高鍋藩の秋月種茂 後の秋月鶴山氏の話です。

治憲の兄であり、高鍋藩の藩主である秋月種茂は、江戸屋敷で家臣の三好重道と話をしていた。


「重道よ。先の米沢藩での騒動を聞いたか?心配なことよのう」と種茂が問うと「やはり、小藩からの入り婿のため反発は強かったようですな」と下座に座る重道が答え、「しかし、治憲様であれば何の心配もございませんぞ」と力強く(うなず)いた。


重ねて「治憲様は(まれ)に見る秀才であり、麒麟児(きりんじ)の評判に嘘偽りなき人物でありました故、この重道は何の心配もしてござらん」と胸を張って種茂の顔を見る。


種茂は内心で『直丸(治憲)が婿入りする時に、心配しておよそ9歳の子供に送るとは思えぬ程の、膨大な書付を渡しておいてよく言ったものだ・・・』と苦笑いする。


そこで「よく言うわ。知らせを聞いた時に一番オロオロしておったのは且方(そなた)であったぞ・・・」と笑いかける。

すると重道は「何をおっしゃる。殿のほうこそ・・・」と慌てて反論しする。 


しばらく笑い合った二人は治憲の幼き頃を思い出していた。



『思い起こせば・・・幼少のころから大人びた弟であったな~』と当時を懐かしむ。

治憲が泣いた姿や、我が(まま)を言って女中や家臣を困らせたことは一度もなかった。


「そう言えば、あれは治憲が3歳のころだったなあ?」と重道に問いかける。

「はい。殿が算術で間違えた所を、治憲様が指摘されたことがございましたな」と懐かしげに答えると、「あの問題は大人でも難解な問題であったのに、幼い治憲がスラスラと解いた時は皆吃驚(みなびっくり)しておったのう」


「左様にございましたな。あの出来事から、麒麟児と呼ばれるようになりましたが、正に神童でございました。」

「そうよのう。しかし算術と蘭学には強かったが、地理と国史はまったくであったな・・・」と笑う。



「しかし、殿も負けてはおりませぬぞ」と重道が強い眼差しで種茂を見つめる。

「殿が開校された藩校『明倫堂』では、民百姓のすべてに門戸を広げ、下々のものまで教育を施すとのお考えは見事にございます」とめたたえる。


すると種茂は照れたように「いや、元々は治憲が言っておったことじゃ」とはにかみ、「『民を豊かにするには、先ずは教育が先決』と常々言っておったからな」と懐かしむ。


「そうでございましたな。思えば治憲様は常に民のことを考えておられましたな」とうなずき、「おかげで、今の高鍋藩では幼き子供でも文字が読める子が増えております」と種茂の功績を称えた。




「時に重道よ」と種茂が話題を変える。

「調べてもらっていた件だが、どうなっておる?」と問いかける。


「我が藩での出産の状況にございますな」と前置きし「殿の危惧されていた通り、農民などの出産の状況はよくありません。近所の老婆などが赤子を取り上ており、不慣れなためか死産や母親が亡くなる例が多数見られました」と影を落とす。


「やはりそうか。思った通り産婆の教育が急がれるな。それで、良い講師は見つかったか?」と問うと「はい。大阪に腕が良いと評判の産婆が2名おりました」と答える。


「よし、その産婆2名を講師として招致し、安心して子供が産める環境を整えよ」と指示し「合わせて明倫堂においても医術を学べるように手配せよ」と伝える。




「更にもう一つ・・・」と続け

「貧しき家に子供が産まれた場合は藩より補助を致す故、間引きの禁止と出産の奨励をおこなうよう周知せよ」と重道に指示する。


「補助にございますか?」と重道が問うと「米や麦などを配り、子を持つ家族が飢えぬように気を配れ。『安心して子を産み、すこやかに育てることができるのが高鍋である•••』と胸を張って言えるようにするのじゃ」と力強く宣言する。


「そこまで致しますか?」と問う重道に種茂がニヤリと笑いかける。


「今は手が回らぬであろうが、治憲であれば必ずおこなうことよ」と重道を見据え「治憲に会った時、『それならば高鍋では既にやっておるぞ・・・』と自慢したいではないか」と弟の悔しがる顔が目に浮かぶ。


いや、治憲であれば『流石は兄様あにさまです』と素直に褒め称えてくれるか、とその時が来るのを心待ちにする。





ある日、高鍋藩の農村で大きな産声(うぶごえ)を上げて元気な女の子が産まれた。

「お前さん。男の子でなくてすまないねえ」と謝る母親に「何を言う。男も女も関係ねえ。無事に産まれてくれてよかっただ」と感激した父親が答える。


「こうして無事に産まれたのも、秋月の殿様が大阪から腕のいい産婆を連れてきて、いろいろと教えてくれたからだ。おまけに、食い物に困らないよう米や麦まで頂けるとは・・・」とお城の方向に向かって手を合わせた。


「ほんに、私も元気になったらこの御恩を返すために、この子と一緒に精一杯働かないとね。お前さんも頼むよ」と産まれたばかりの我が子を見ながら微笑んだ。






この年から、高鍋藩では元気な産声があちらこちらで聞こえることになる。


その産声は、明るい未来を指し示していた•••






注)明倫堂の開校は1778年(治憲28歳)ですが、話の流れとしてこのエピソードをここに挟みました。


秋月種茂(秋月鶴山)氏は、上杉鷹山氏が『兄が藩主であったなら、米沢はもっと発展していた』と言わしめた名君です。日本(世界)で初めて児童手当を導入した藩主としても有名ですが、上杉鷹山の兄としての扱いが多く残念に思います。

このエピソードにも入れていますが、明倫堂は農民や町民にも門戸を広げた藩校として創設され、領民の基礎学力の引き上げに成功し、多数の優秀な学士を輩出しています。

また、優秀な産婆を招致するなど医療・福祉にも力を注いだ名君です。


秋月鶴山氏の功績をまとめているため、時系列は無視していただければありがたいです。

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