改革開始 治憲24歳~
七家騒動の余韻も収まりつつあるある日、莅戸善政を前に兼ねてから考えていた思いを口にする。
「善政よ。且方からも具申のあった件じゃが・・・」と切り出す。
「竹俣当綱の苦労により、若干ではあるが借財の返還に余裕ができた。これを機に藩士たちからの知行借上を少しでも返済しようと思う」と告げた。
善政は「それは藩士たちも喜びましょうが、よろしいのでしょうか」と尋ねてきた。
「全員、全額とはいかぬが、藩士たちのやる気にもつながる故できる範囲で進めよ」と命じた。
『そもそも、給料をまともに払わないってどんなブラック企業よ』と心でつぶやく。
『藩士たちにやる気を出してもらわなければ、これからの改革なんて出来る筈がない』との思いからの指示だった。
注)その後の飢饉や幕府からの普請工事の申し付けなどにより、残念ながら以降も知行借上は続くことになる。
知行借上と同じく米沢藩で気になったのが、藩の借財を藩士たちが他人事のように捉えていたことだった。
藩士たちにも我が事として捉えてもらい、自ら進んで改革に取り組んでもらうにはどうすればよいか?をずっと考えていた。
そうして得た結論は、『藩士たちが真剣に改革に向き合わないのは、実情を知らないからだ』との考えに至った。
『よし、前世で言う収支報告のようなものを藩士に公開しよう。藩士の自覚を促すには、藩士全員に包み隠さず藩の現状を知らせることが必要であろう』と思い立つ。
そこで、「善政よ、藩士の知行借上を返済するのと同時に、藩の財政状況を藩士全員に周知せよ」と命じた。
「お屋形様、それはなりませんぞ」と善政が驚きながら答え、「藩の財政状況は勘定方と重臣のみに秘匿すべきものです」と進言してくる。
私は善政の目を見据え「それでは駄目なのじゃ。藩士たちが我が事として今の危機的な財政状況を捉えなくては、改革など前には進まぬ」と力強く告げる。
「しかし、そのような前例はございませぬし、周知するにも膨大な帳面となります」と尚も渋る。
「そこまで詳しいものは必要ない。おそらく藩士もわからないであろう。米の収穫と現金での収入、支出として人件費と物件費で藩の財政状況の大まかな流れがつかめれば良い」と簡単に収入と支出の項目を表にしたものを見せる。
「よいか。我が藩の財政改革は儂と重臣だけでおこなうものではない。藩士全員、いや領民のすべてでおこなうものじゃ。財政状況を周知することで、藩内の全員に当事者意識を持たせ、皆で改革を進めることを認識させるのじゃ」と拳を握り締めた。
しばらくして、城内に張り出された収支報告書『会計1円帳』の周りに藩士が群がっていた。
「お屋形様が厳しい倹約令を出しているが、このような財政状況を見せられては止むを得んな」「お屋形様御自身も、節約に努めているのはこのような理由であったか」などの好意的な声もあれば、「重臣の方たちはこれまで何をしておったのじゃ」と厳しい声もある。
それでも「こんな状況でも知行借上の返済を考えてくれるとは、お屋形様は良い人だね~」と概ね好評であった。
私は物陰から藩士の様子を見て、『いずれにしても、藩士全員に今の米沢藩の状況を共有できた。これで節約や改革の重要性を理解してくれれば・・・』とまた一つ改革への手ごたえを感じていた。
会計一円帳を藩士に公開してからしばらく後、いつものように莅戸善政を呼び付け話をしていた。
「善政よ、先の飢饉(宝暦の大飢饉)の影響はどれほどであった?」
「はい、宝暦の大飢饉では、2年間の総額で11万石(110億円)以上の被害が出ており、餓死者や離藩者など含めて1万人ほどの領民が減りましてございます」と答えた。
「それほどの被害か・・・」とあまりの被害の大きさに驚き、飢饉への備えについて尋ねる。
「では、その後の飢饉への備えはどのようにしておる」と聞くと、「日々の生活と借財の返済に追われ、これといった手は打てておりませぬ・・・」と苦しげに答えが返ってくる。
『いや、大殿重定公よ・・・いくら政に興味がないとはいえ、110億円の損失と1万人の人口減少があったのに、何も対策していないって?前の飢饉からの20年間何をしていたの!!』と怒りを覚える。
「次の飢饉がいつ来るかわからぬ故、日々の備えは大切じゃ」と善政に語りかける。
「五加木の生垣や雑草を食べる知恵を記した『かてもの』、鯉の養殖だけでは、本格的な大飢饉が襲ってきたらまた餓死者が出る。それでなくても、農村は貧しく飢えている」と初めて領地入りした時に見た板谷村の痩せこけた村民の姿を思い出す。
その時、前世を思い出し『備蓄米』を備えよう、と思いつく。
「善政よ、各村や町に穀物を備蓄できる倉を備えよ」と指示した。
「倉にございますか?」と尋ねる善政に、「飢饉に備えて、穀物を備蓄しておけば餓死者を減らすことができよう。毎年の収穫から何割かを備蓄するようにせよ」と命じる。
「しかし、貧しい農民からは反発が出ましょう」と善政が進言する。
「多少の反発や批判は構わぬ。甘んじて受けよう。それよりも平時においてこそ、非常時に備えることがはるかに重要じゃ」と決意を述べる。
すると善政が感激したように「お屋形様の気概が伝わりましてございます。備籾倉として周知し、準備にかかります」と答えた。
北寺町に新しい倉が立ち、その前に治憲の書が貼り出された。
文字の読めない男が隣に立つ町民に「何とかいてある?」と聞いている。
その町民は張り出された書を読み上げた。
「何々~、この倉は備籾倉として飢饉に備えるものである」と書き出しを読み、続けて治憲の言葉を伝える。
「人にとって一番大切なものは命である。その命を守るために必要なのは食物である。しかし、冷夏や長雨、地震などの自然災害はいつ起こるか分からず、人には止めることはできぬ。20年前の大飢饉では、木の皮や草の根を食べて飢えをしのぎ、それでも多くの死者が出たことを忘れてはならぬ。
飢饉に備え、全ての領民の命を守るため、今年の収穫より少しづつ、この倉に貯えをおこなうこととする。」と書いてあるな。注)意訳です
「流石は聡明と噂に高いお屋形様だね~、平時な時こそ備えを考えよとおっしゃられておる」と先の町民が皆に伝える。
すると年配の村人が「20年前の大飢饉はそれは酷いものじゃった。犬猫は食べつくして、木の皮を剥いで食べたし、泥もすすった。ほんに地獄であった」と思いだして涙ぐむ。
「米、小麦、蕎麦、粟、稗などの穀物をこの倉に備えていこう」とその場にいた領民がうなづきあっていた。
この備籾倉は各町村や、武家屋敷など各所に設けられ、次の飢饉『天明の大飢饉』で大きな助けとなる。
備籾倉は天明の大飢饉において、正に備えあれば憂いなしの実例となります。




