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改革初期 治憲22歳~

いつものように、莅戸善政と佐藤文四郎を共とし、城下町や農村を視察していると、生垣を囲っている家が多いのに気がついた。

「善政や、生垣いけがきのある家が多いが、あれは何と言う木じゃ」と尋ねる。「あの木は、直江兼続様が推奨された五加木(ウコギ)にございます。いざと言う時には食べられますし、茶の代わりにもなります。滋養強壮にも良いと言われておりますな」と周りを見ながら答える。

「何と、兼続様が推奨とは。善政よ、直ちに五加木の生垣を増やすように指示を出せ」


そして、『そうか。田畑に頼らなくても食べられる野草や雑木、雑草はあるよな』と思いつく。

そこで善政に「他にも食べられる草木や山菜について調べよ。その知恵を冊子として領民に伝えれば、飢饉などの時の備えにもなろう」と指示を出した。


この調査は数年を要し、『かてもの』と呼ばれる野草食の手引書が完成する。

注)『かてもの』とは、82項目の食用となる野草や主食の代用となる食べ物がいろは順に整理されており、味噌の製造方法や、長期の保管ができる食品なども記載され、いざという時への備えを説いている。また、魚や獣、野鳥などの調理方法にまで言及されていた。

この『かてもの』は米沢藩の飢饉において、領民の救いとなるものとなる~




城内に戻り手に入れた五加木の茶を飲みながら、これまでの動きを思い出す。『ひとまず、食の確保に関しては、今思いつくのはここまでか。だが、この程度では女子の間引はまだ止まらぬ』

領民、特に農家の生活を豊かにしなくては・・・と考え、下座の善政に声をかける。


「我が藩の特産物は何がある?」と尋ねると、「青苧、漆が一番ですな」善政が答え、「青荢は反物の原料として引き取られておりますし、漆はロウソクの原料などとして取引されております」と続けた。

私は少し考えて「よし、竹俣当綱を呼べ」と告げた。




「お呼びでしょうか、お屋形様」と当綱が頭を下げる。

「当綱よ、我が藩は貧しいのう」と切り出す。「なぜ貧しいか。それは現金収入が少ないからじゃ」と続け「領内で使われておらぬ土地に、うるしを植樹せよ」と命じる。そして、豊との会話を思い出しながら、「加えてこうぞと桑の木も同じく植樹するよう手配せよ」と指示した。



「よいか、屋敷の庭であろうと構わぬ。とにかく金を生む木を増やすのじゃ。目標はそれぞれ100万本とする故、苗木の確保に取り掛かれ」と告げ竹俣当綱を下がらせる。



≪何故100万本としたか。それは頭の中で昭和の名曲『100万本の薔薇』がリピートしていたからなのは内緒の話≫


「承知つかまつりました。」と当綱は答え、直ちに苗木の調達の準備に取り掛かることになる。

しかし、各100万本の苗木ともなると、資金も必要なため、苗木の準備にはこの後3年ほどかかることになる。それでも100万本には遠く届かなかった。





その頃江戸では・・・

「火事だ~ 火事だ~」と逃げ惑う人たちがいた。

大円寺を火元とする『明和めいわ江戸大火えどたいか』が発生していた。この火事では実に江戸の3分の1が消失し、死者、行方不明者含め1万5千人に達したといわれている。

因みに、この火事の原因は大円寺に盗みに入った僧侶の放火によるもので、この僧侶は火あぶりの刑に処せられている。

≪この大火事が明和9年に起こったことから、明和9年は『めいわくの年』と揶揄(やゆ)され、年号が安永へと改元されることになる。≫


この火事に米沢藩江戸屋敷も巻き込まれ、全焼することになる。


米沢城で江戸屋敷全焼の報告を受け、私は茫然(ぼうぜん)としていた。幸いなことに幸姫ほか人的被害はなかったが、被害金額は膨大なものとなる。

しかも、早急に江戸屋敷の建て直しが必要だが、材料となる木材が不足し高騰していた。


「どうしよう、ただでさえ金がないのに、木材が高すぎる。それでも手に入ればいいがそれすら危うい」と頭を抱える私を見た藩士たちから、思わぬ救いの声が差し伸べられる。

それは、足軽であろうと農民であろうと気軽に声をかける私を見て、『新しいお屋形様はすべての領民に分け隔てなく接してくれる。初めて藩入りした時の言葉は誠だった』との思いが通じた藩士たちからの救いの手だった。


「お屋形様、木材ならば我が藩には腐るほどございます。我らが山野に入り、木材を調達しましょう」と藩士が申し出る。

こうして1万本の材木を江戸に送ることで、何とか江戸屋敷を建て直しが完了した。

『民の父母であろうとの思いが、少しずつでも藩士に伝わっている』との手ごたえを実感し、わずかではあるが藩の立て直しへの光が見えた出来事だった。





「由緒正しき上杉家の藩士に木こりの真似ごとをさせるとは・・・」と苦々しげに色部がつぶやく。「しかも、藩士たちは自分たちから名乗りをあげたとか」と芋川が続く。


すると下座から「これは、由々しき事態にございますぞ…」と声が掛かった。そこに控えていたのは儒学者の藁科立沢わらしなりゅうたくだった。

注)藁科立沢と藁科松伯は別の家系です。


「お屋形様は所詮小藩の入り婿にございます。しかも、大殿様に世継ぎがいなかったからの養子縁組でしたが、その後直系のお世継ぎが産まれました故、もはやあの入り婿は目障りと大殿様も感じておられましょう。事を為すなら今でございます」と煽り立てる。



「そうよのう。しかもまずいことに藩士どもがあの入り婿に傾倒しつつあるしな」と高敦がつぶやく。

それを聞いた立沢は「早めに手を打たねば、機会を失いますぞ」と更に念を押す。





それを聞き何かを決意した様子の千坂高敦は「もはや一刻の猶予もならぬか・・・」と拳を握り締めた。






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