プロローグ
初投稿です。
転生物の為、現代口調と時代口調が混ざっており、見苦しいかも知れませんが、温かく見守って頂ければありがたいです。
50話程度での完結を目指して、出来れば毎日投稿を予定しておりますが、予定は未定と言う事でよろしくお願いします。
「お父さん、もう私のために無理しなくていいからね。これまでありがとう。」
「幸子~、逝かないでくれ~」
そこで目が覚めた私は、周りを見渡し「ああ、またいつもの夢か」とつぶやきながら、小さくなった自分の手を見た。
「10歳か~亡くなった娘と同じ年になったなぁ。」
そう、私には昭和、平成と言う時代に生きた前世の記憶があった。
そして、最愛の娘を病気で亡くした忌まわしい記憶が・・・。
私が産まれ変わったのは、江戸時代の中期で、9代将軍徳川家重の時代。
いや、徳川家重って誰よ。8代将軍が吉宗なのは知っている。暴れん○将軍だよね。
こういった、歴史物の転生は知識チートがつきもののはずだが、商業高校が最終学歴の私は残念なことに歴史に暗い。当然、よくある石鹸や火薬なんかの作り方も知らない普通の一般人だ。いや、普通に石鹸や火薬を作れる人間ってどのくらいいる?
当然だが、歴史にも暗い。そもそも商業高校生で歴史に強い人はいない。(偏見です)
徳川家なんて、家康と綱吉、慶喜くらいしか知らんし。江戸時代の歴史はテレビでよく見た○れん坊将軍と水戸黄門で覚えたことしか解らないし、その程度の知識しかない。
そんな私が何の因果か、高鍋藩3万石(現宮崎県)の江戸屋敷に生を受けた。
知識チートは無いが、産まれた時から前世の記憶がある私は、周りからは麒麟児と呼ばれていた。しかし、所詮は3万石の小大名の次男。この時代に戦は無かったはずなので、出世は見込めない。まあ、戦があっても活躍できるとは思わないが。大名の次男として支障なく生活はできているが、このままでは部屋住みで一生を終えるか、出家するくらいしか選択肢がない。
しかし、思わぬ所から救い(破滅)の手?が差し伸べられた。
「米沢藩15万石の上杉家が入り婿を欲している。麒麟児と呼ばれておる其方に、上杉家の家督を継いでもらいたいそうじゃ」と祖母の薦めがあり、わずか9歳で上杉家の婿養子になることが決まった。
上杉家だよ。上杉謙信、景勝、直江兼続はいくら歴史を知らない私でも知っている。それも米沢藩15万石(現山形県米沢市)。高鍋藩の5倍の大名だ。
しかし、喜び勇んで上杉家に挨拶に訪れた私は、そこで大きな衝撃に見舞われる。
そこには『幸姫 様にございます』と侍女に紹介された私の許婚の姿があった。
「幸だよ~」とかろうじて自分の名を告げ、屈託のない笑顔を見せる私の許婚は、どう見ても7歳には見えない。しかも、明らかに身体が不自由で、その言動は幼児を思わせた。
「幸姫は今年7歳のはずですよね?」と侍女に確認する。
「はい、幸姫様は御年7歳にならせられました」
そう、私の許婚の幸姫は、重度の発達障害と精神障害を抱えていた。
だが、不自由な身体でも明るく笑う幸姫に、病院のベッドで闘病生活を送っていた前世の娘、幸子の姿が重なる。
「よし、この幸姫を今度こそ名の通り幸せにしよう」と心に誓った。
しかし、更なる衝撃が訪れることを、私はまだ知らなかった。
こうして私は14歳で上杉家の婿養子となった。
上杉家としては謙信公から10代目、米沢藩主としては景勝公より数えて9代目となる。
16歳で当時の将軍家治様の前で元服し、家治様より一字を頂き上杉治憲と拝命された。
しかし、この時代は名前がコロコロと変わる。
高鍋藩時代の松三郎から勝興そして治憲だ。
※ややこしいので、以降の名称は治憲又はお屋形様とします。注)鷹山を名乗るまで
社会人になってマネジメントなどを学ぶと、必ずと言っていいほど名前が出る上杉鷹山氏。
初めて上杉鷹山氏を知り、その功績を学んだ時に氏の感性が現代社会の物に近いと感じ、その時から氏は現世から転生したのでは?と勝手な妄想を抱き、文章を書き出しました。
あくまでも転生物としたフィクションのため、史実に合わない事やご都合主義はご容赦ください。