第九話 100日目・『悪役令嬢』は復活する
処刑から100日目。
人々は、続々と処刑場に詰め掛けてきた。
処刑されたオリヴィア・L・ヒューレットが、今日、復活するかもしれない。
そんな期待で。
すでに観客席は満員であるし、立ち見の者も、大勢いる。
貴賓席には王太子であるエリオットと、その恋人のナタリー。暖かな季節となったにもかかわらず、ナタリーはがたがたと震えながら、エリオットの腕にしがみ付いている。
貴族席にはオリヴィアの両親もいた。
『聖剣の騎士』であるディランは処刑台に近い広場にいた。『聖剣』を引き抜けないかと、その柄に手を伸ばす。
オリヴィアの精神というか幽体は、『聖剣の神』と共に、処刑場の広場にふわりと降り立った。
もちろんオリヴィアの姿も『聖剣の神』の姿も、人々には見えてはいない。
オリヴィアは、まず磔になっている自分の体を、次に父親と母親を、それから王太子とナタリーを見て、最後にディランを見た。
ディランは諦めが悪いのか、それとも『聖剣』を持てない『聖剣の騎士』と揶揄でもされているのか、何度も『聖剣』を引き抜こうとしている。が、やはり『聖剣』はびくともしない。
それをじっと見つめた後、オリヴィアは言った。
「ダサいですわね、あの男」
ふんっ! と鼻息も荒く言った言葉を耳にして、『聖剣の神』は「ぶはっ!」と噴き出した後、少々反省した。
「オリヴィア……、君の言葉遣いが悪くなったのは、やっぱりボクのせいかな……?」
完璧なる侯爵令嬢はどこ行ったのかな……と。
「あら、わたくしのこのやさぐれた心情を表すのには、少々乱雑な物言いのほうが似合うと思っただけですわっ!」
「あー……、そう……だね」
まあ、落ち込んだり嘆いたりしているよりは、多少の強がりがあったほうがいいか、と『聖剣の神』は思う。
「で、オリヴィア。始めていいかい?」
最後の確認……と、『聖剣の神』はオリヴィアを見た。オリヴィアは頷いた。
「ええ。スカッとさわやかを目指し、頑張ってみますわ!」
***
処刑場には暖かな日差しが降り注いでいた。それが、次第に陰っていく。
処刑台を眺めていたうちの幾人かが、なにかを感じたのか、視線を空に向けた。
「な、なんだあれは……」
誰がか空を指させば、つられたように、皆、空を見上げた。
空の太陽が半分ほど、影に覆われていた。ゆっくりとその影は大きくなる。やがて、太陽は完全に黒くなり、空は暗くなった。夜に現れるはずの星さえ見えるほどに。
「た、太陽が……消えた?」
「いや、影に覆われて暗くなっているだけだ」
人々が不安にざわめく。が、すぐに太陽から影が遠ざかり、再び辺りは元の昼日中の明るさになった。
「いったい何だったんだ今のは……、えっ⁉」
処刑台の上。
そこには手足を縛られて、磔にされたオリヴィア・L・ヒューレットがいるはずだった。
なのに。
「ごきげんよう、皆様」
涼やかな声が、処刑場に響いた。
オリヴィアが、処刑が行われたときと同じく、白いワンピースの裾をつまみ、軽く持ち上げて、頭を深々と下げていた。
すでにその手足にはロープはなく、磔にもされていない。
オリヴィアはゆっくりと頭を上げ、そして一歩前に出た。
「初代の国王陛下の建国神話。それと同じく、このわたくしも『審判の刑』より100日後、こうして皆様の前に、復活を果たしましたわっ!」
オリヴィアの宣言。
一瞬の静寂のあと、観客席から盛大な歓声が上がった。
拍手をしている者がいる。
驚きのあまり、ポカンと口を開けたままの者も。
オリヴィアは晴れやかな笑顔だ。しばし、その歓声を聞いた後、すっと右手を上げた。人々はオリヴィアが何を言うのだろうかと、静まり返った。
「皆様っ! こうしてわたくしが復活を果たしたことにより、正しきは誰か、嘘を言っているのは誰か、それが白日の下に晒されました」
オリヴィアは、貴賓席を見上げる。そこにいるエリオットを。
「ですが、100日前に申し上げました通り、わたくし、エリオット王太子殿下など、どうでもいい。愛人だの恋人だの、いくらでも作ればいい。婚約なども、どうでもいい。冤罪だと証明されましたけれど、始めから、わたくし、王太子殿下のことなど眼中にはございません」
「お、オリヴィア、貴様……っ!」
「同時に、殿下にしがみ付いて震えているお嬢さんがいらっしゃいますけど。わざわざ相手にして差し上げるなど、時間の無駄。どうぞお二人で、わたくしとは無関係なところで、真実の愛でもなんでも語るがいい」
「貴様、王太子であるこの俺様に……」
顔を真っ赤にしているエリオットに、オリヴィアは「うるさいですわ、嘘つき王太子風情が。ちょっと黙っていらして」と冷たく言い放った。
エリオットは怒鳴ろうとしたが、口をはくはくと動かすだけで、声は出せない。
オリヴィアは貴賓席に背を向けて、広場で呆然としている『聖剣の騎士』ディランを睨んだ。
「ご機嫌よう、ディラン様」
「お、オリ……ヴィア……」
「100日前、わたくしは、あなたにお尋ねいたしました。『……ディラン様。わたくしに何か言うべきことはございますか?』と」
オリヴィアは一歩だけ、前に出た。
気押されたのか、ディランは一歩後ずさった。
「愛していると申し上げました。駆け落ちをしようとあなた様に言いました。あなた様はわたくしに『はい』と答えましたね。ですが、あなたは駆け落ちのための待ち合わせの場所には来なかった。わたくしはずっと待っていたのに。その後あなたが『聖剣の騎士』となってからも、わたくしには何も言わなかった。ただの一言も。視線すら合わせない」
「そ、それは……」
「しかも、『審判の刑』のとき、あなたは躊躇することなくわたくしの心臓に剣を刺した。いいえ、その時だけではない。この100日間、何度も何度も、あなたはわたくしの心臓を剣で抉ろうとした。見なさい、この地に突き刺さっている剣の数をっ!」
処刑場の広場。その土の地面には、聖剣と、それから二百を超える数の剣が突き刺さっている。
「ここに刺さっている剣は、ディラン様、すべてあなたが王太子の命により、わたくしの心臓を突き刺そうとして、果たせなかった、その証拠よっ!」
オリヴィアの悲痛な声が処刑場に響く。何千人もいるはずのこの処刑場は、まるで水を打ったようにしんとしていた。誰もがオリヴィアの叫びを、息を殺して聞いていた。
「それほどわたくしを嫌っていたの? 憎んでいたの? だったらどうして求婚を受け入れたの? 駆け落ちすることを、承諾したの?」
ディランは答えられない。
おろおろと、右を見たり左と見たりするが、誰も、助けてくれる者はいない。
当然だ。
オリヴィアが聞いているのは、ディランの気持ちなのだから。
オリヴィアは、ぶるぶると震える体を宥めるように、息を何度か吸って吐いた。
「……わたくし、手記を書いたときまでは、気がつかなかった。100日を経た今、ようやくわかったの」
奥歯を噛み締めて、オリヴィアは俯いた。
溢れんばかりの感情を、押さえ、拳を握り締めながら、言い放つ。
「ディラン様、あなたは、ご自分で何一つ判断ができないのでしょう? 他人に言われた通りに、何も考えずに行う。わたしの求婚に答えることも、王太子殿下からわたくしを殺せと命じられることも。何もあなたの頭では考えずに、『はい』と答えるだけ、なのでしょう? 他人の言いなり、ただそれだけの男。それが、本当の、ディラン様」
ディランは答えなかった。
はい、とも、いいえ、とも。
「あなたは何も考えない。だから、100日前、わたくしが処刑される直前、聞いた言葉にも、答えられなかった」
落胆。軽蔑。
苦々しい目で、オリヴィアはディランを見る。
「違うというのなら、答えてくださいディラン様。もう一度あなたにお聞きします。求婚し、駆け落ちまでを求めた。それほどあなたを愛したこのわたくしを、処刑するというのはどんなお気持ち? ディラン様、わたくしに、言うことは、何も、ないのですか? 恨みでも、謝罪でも、なんでもいいからあなたの本心をっ!」
叫ぶ。
オリヴィアは待った。ディランの返答を。
が、いつまで経ても答えはない。
「……何か、一言でも、言うことは……ないの?」
悲し気に呟かれるオリヴィアの声。
それでもディランは、俯いて、黙っているだけ。
その様子は、まるで母親に叱られた幼児のようだった。母親が、もういいわと言って許してくれる。ただ、それを待っている、子ども。
「……初恋の男性がこんな無能で、情けないとは。その上、親に決められた婚約者も噓つきの下種」
歯を食いしばって、嗚咽を耐える。
だが、耐えきれず、すっと一筋。オリヴィアの瞳から涙が流れた。
「……絶望、しましたの、わたくし。こんなバカな男を思い続けて処刑までされたなんて。もう生きていたくない。このまま処刑されて、死んでもよかった」
言葉を発するたびに、涙がまた一つこぼれる。
それでも凛として、顔を上げる。
「だけど……、このわたくしが、くだらない男ごときのために死ぬなんて馬鹿々々しい。そう思い直しましたのは……『聖剣の神様』のおかげ」
そして、オリヴィアは両手を胸の前で組んで、祈りをささげた後、ゆっくりと、その両腕を空に向けた。
「『聖剣の神』よ、ここに顕現したまえ」
太陽からまっすぐこの処刑場に向けて。ゆっくりと何かが飛来してくる。
「な、なんだあれは……」
観客席の人々が、空を見上げながら、ざわざわと騒ぎ出した。
背中に大きな純白の翼を持つ青年。顔つきはやや幼いようにも見える。
長い髪が波のようにうねり、宙に広がる。
それが、処刑場の中央の二階席よりやや高い位置まで飛んできて、そして、空中で止まった。
ぐるりと、処刑場を見回す。
「……跪け、愚かなる者たちよ」
雷鳴のような声が轟いた。
観客達も、ディランもナタリーも、王太子であるエリオットすら。その声の圧力に、思わず膝を突いた。
この場で立っているのはオリヴィアただ一人。
そのオリヴィアは現れた『神』に対して、優雅に淑女の礼を執る。
「『審判の刑』を終え、復活を果たした乙女、オリヴィア・L・ヒューレットの求めにより、我、ここに来る」
重々しく、声が、降る。
「我が信頼し、この国の初代国王に与えし『聖剣』。だが、それを受け継ぐ者どもは、揃いも揃ってクズのようだな」
『神』が、ふわりと。地面に突き刺さったままの『聖剣』の上に立った。
「国を継ぐべき王太子は嘘つきのクズ。『聖剣の騎士』となった男は人の言いなりのクズ。屑どもに、我の剣はふさわしくない」
言葉と同時に、『聖剣』が爆ぜた。
まるで、焚火の中に入れられた栗の実が、割れて飛び散ったかのようだった。
破裂した剣の残骸が、処刑場の土の地面に飛び散る。
人々は信じられない思いで、その残骸を見た。
「同時に、このくだらない国への我が加護も取り上げよう。建国から約三百年、我の加護により平穏を保ってはいたが……、これからは、我の加護ではなく、お前たちの力のみで国を維持するがよい」
言い放つと『神』はオリヴィアに手を差し伸べた。
「さて、見事復活を遂げた乙女よ。我は汝に問う」
オリヴィアは無言のまま、頷いた。
「このまま人の世で暮らすことを願うか、それとも我と共に神の国に赴くか」
選べと言う『神』にオリヴィアは即答した。
「お連れくださいませ」
「……では、オリヴィアよ。共に参ろう」
差し出した手を取って。
『神』とオリヴィアは空高く飛んでいく。
途中一度だけ、オリヴィアは振り返った。
視線の先にはオリヴィアの父親と母親。
オリヴィアの唇が小さく「……さようなら」と動いた。
処刑場に集まった観客たちは、『神』とオリヴィアが空高く昇っていくのを、ただ茫然として見ていた。
こうして『審判の刑』は終わった。
復活したオリヴィアは神と共に天に向かい、『聖剣』は破壊された。
そうして、もうこれ以上何も起きることはない……と、観客たちは、次第に処刑場から去っていった。