第七話 処刑から七十一日目・オリヴィアの後悔
「イマサラの話ですし、わたくしが如何に盲目的なお馬鹿さんだったのかという告白になりますけれど」
「うん?」
「わたくし、死ぬ直前まで、本当に何も見えていなかったのですわ」
「見えていなかった……って、何が」
オリヴィアは「ディラン様のことも、他のことも、何もかも」と、深くため息をついた。
「あのですね。まず、駆け落ちのところから話しますけれど」
「うん」
「侯爵令嬢が、夜中に、ひとりで部屋を抜け出すなんて、できるはず、ありませんのよね」
「へ?」
「当時のわたくしは、恋に浮かれておりましたからね。それに、あの時はほんの十歳程度の小娘でしたもの。夜中に抜け出して、愛する人と駆け落ちなんて、そんな物語のような出来事に酔っていたのですよ」
王太子との婚約が決まって、侯爵家の馬車で、すぐさまディラン様の元へとオリヴィアは向かった。
侍女も護衛も当たり前のようについてくる。
馬丁も、御者も、皆、オリヴィアの父親に雇われているのだ。
オリヴィアがディランに駆け落ちを持ち掛けたことなども、オリヴィアの父親に伝わって当然。
夜中に、オリヴィアが抜けだしたことにも気がついてたのだろう。
オリヴィアから見えない位置に、きっと何人もの護衛が配置されていたのだ。オリヴィアが気がつかなかっただけで。
「当時のわたくしは、お父様に泳がされていたことにも気がつかなかった。駆け落ちをしようとした。でもディラン様は来なかった。お父様はわたくしが自分でディラン様を諦められるようにと、敢えてわたくしを待ち合わせの場所に向かわせた」
「ええーっ!」
「だから、あの日、あの夜。ディラン様がわたくしの元へ、駆け付けようとしたって無理だったでしょうね。お父様の手の者に止められたはず」
「な、なるほど……」
「だからね、わたくし、駆け落ちのときにディラン様が来なかったことに関しては、恨みに思っていないの」
『聖剣の騎士』に選ばれるほどの剣技の持ち主だとはいえ、海千山千の侯爵であるオリヴィアの父親に敵うはずはない。
「その後も、手紙すら寄越さなかった。仮に、ディラン様がわたくしに手紙を寄越してくれたとしても、どこかで止められて捨てられるのが当たり前よね。だって、我が家に来る手紙は、すべてお父様も目を通すもの」
「あー……」
「直接、わたくしに声をかけようとしても無理でしょう。だって、わたくし、護衛が山のようにいますし。近寄ろうとしても、無理ですわ」
「侯爵家の護衛に加えて、王太子の婚約者……」
「そういうことですわ。接触なんて無理。連絡も無理。わたくしを目で追ったところで、わたくしの護衛たちから睨まれて、目を逸らすしかないでしょう。わかっているの。お父様がね、わたくしが、自分でディラン様を諦めることができるようにとしてくださったことは……」
いつまでも、ディランを思い続けることは、オリヴィアにとって不幸でしかない。
当時のオリヴィアにもわかっていた。
いつまでも嘆いていてはいけない。王太子殿下の婚約者となった以上、その義務は果たさなければ……と。
もしも、王太子であるエリオットがまともな人物であれば。
オリヴィアは、ディランのことを忘れようと努めたかもしれない。
だが、しかし。
初対面の、お見合いのときから、最悪だったのだ。
「なんだよ。ようやくレイチェルみたいな暗い女がいなくなったと思ったのに。またか。また、鬱陶しい、暗い女が俺様の婚約者なのか」
言われた瞬間、オリヴィアの心のどこかがぶちりとキレた。
「確かにわたくしは、受けたくもない婚約のせいと、ディラン様との強制的な別れのせいで、暗かったわよ。だけど、わたくしが暗い顔をしていた元凶は、誰だと思うのよっ! 国王陛下と王太子殿下でしょうがっ! 正直な話、死んだレイチェル様をお恨み申し上げましたわよっ! レイチェル様は死んだだけで、なんの咎もございませんのにねっ!」
「お、オリヴィア、落ち着いて……」
「もうね、わたくし、王太子殿下なんて、蹴っ飛ばしてしまいたかったわ! 諸悪の元凶のクセに、偉そうにって! 婚約なんて破棄したかった。まあ、わたくしが策略を巡らす前に、あのバカ殿下は平民の娘と恋に落ちて、わたくしを悪役に仕立て上げて、自分たちは真実の愛を貫くんだなんて、言いだしましたけどねっ! でもそれはいいのっ! 馬鹿のことなんて放っておけばよかったのっ! 馬鹿に気を取られて、初恋の男が恋に値しない、主体性のない、他人の言いなりになるお馬鹿さんだと殺される直前まで気がつきもしなかった、このわたくしが一番の大馬鹿なのよっ!」
「お、落ち着いて……」
『聖剣の神』はどこからともなくテーブルセットを出現させ、その椅子に、オリヴィアを座らせた。
「はいはいはいはい、まずは紅茶でも飲んで。落ち着いて」
「……あら、ありがとうございます」
いつの間にやら出現したお茶を、オリヴィアは優雅な手つきで飲み干した。
「思い出すと、激昂しますわね。わたくしもまだ若いですわ……」
やれやれ……と、『聖剣の神』は息を吐いて、そして自分も紅茶を一口飲んだ。
「初恋に浮かれて、盲目的になって。その初恋の相手が実はどんな男性だったのか、それすらもわからなかったダメ女なのですわ、わたくし」
「そんなに自分を卑下しなくてもいいじゃないか。さすがに初恋の相手が、他人に言いなりの、主体性のない阿呆だとは思わなかったんでしょ」
「ええ。外見はよろしかったですからねえ。シュッとした感じで。まさか、わたくしを殺せと命じられて、何の感慨もなく素直に殺すような、そんな馬鹿とは思いませんでしたわ」
「……ねえ、本当は、オリヴィアを殺すことを躊躇したとかはないの?」
「ありませんわね。手も震えず、瞳孔も開かず。淡々と淡々とわたくしの心臓に剣を突き刺しやがりましたからね」
「あー……」
その上、オリヴィアの体が腐らないからと、何度も『聖剣』でオリヴィアの体を突き刺そうとしたなんて……、言えない……と、『聖剣の神』は溜息をついた。
「……まあ、過去を振り返っても発展性はない。未来の話をしようよ」
「未来……でございますか?」
「そう。オリヴィア、君は刑に処されてから七十日以上、磔になったまま、その体は腐らず、王都住民の多くは君の復活を望んでいる状態だ」
「はあ……」
「せっかくここまで来たんだから、何でも望みを叶えてあげるよ。生き返って馬鹿どもに復讐をしてもいいし、死んでもいいし。肉体が腐らないまま数千年、そのまま磔となって、新たなる伝説を作るでもいい。どうとでもできるよ。君の体はボクが今は守っているからね」
オリヴィアはすぐに返事はできなかった。じっと黙って、座り続けた。
「少々……考えても、よろしいですか?」
「構わないよ。刑が行われてから100日後の復活。ええと、別に早めてもいいんだけど、せっかくだから、初代国王とかになった、一番最初の男が100日での復活だったから、合わせようか。んー、後三十日くらいだし。時間はあるからどうしたいかじっくり考えればいいよ」
『聖剣の神』は、もう一杯紅茶を淹れると、そのお茶をずずず……と啜った。