第三話 処刑から約五十日後・ナタリーは震える
グレンヴィル王国の王都城下は、繁華街や庶民が住む下町、富裕層の邸宅が並ぶ高級住宅街などが、大きな通りを経てきっちりと区分されている。
ナタリーは、今、その高級住宅街の一角のとある屋敷で暮らしていた。
元々は数代前の国王が愛人を囲っていた屋敷だ。
もちろん、ナタリーの所有している屋敷でも、親が購入したものでもない。
空いている屋敷だから、ナタリーに住んでもらいたい。そうすれば、時間があるときに、ナタリーの元を訪ねやすいから。
そうエリオットに言われるままに、移り住んだ。
掃除も、炊事も、何もかも、ナタリーは行わなくていい。
雑役女中や侍女、護衛の兵までもが手配されていた。
王家所有の屋敷としては小さいほうだ。それでも一階の玄関ホールは馬車がそのまま入れるほどの大きさでもあるし、ちょっとしたダンスパーティを開けるほどの広間もある。
その屋敷の二階、寝室のベッドの上で、毛布をかぶりながら、ナタリーは震えていた。
「どうしよう……。どうしたらいいの……」
オリヴィアの処刑から、約五十日。
ナタリーは恐ろしくて仕方がなかった。
『審判の刑』に処され、『聖剣』で心臓を貫かれ、オリヴィアは死んだはずだった。
死人に口なし。
ナタリーの言った『嘘』も、オリヴィアが死ねば、そんなものどうでもよくなるはずだった。
別に大した『嘘』は言っていない。
『処刑』を望んだのもナタリーではなくオリヴィア自身だ。
「あたしは……悪いことなんて……」
していない、とは、言いきれなかった。
グレンヴィル王国にある貴族向けの学園は、平民にもその門戸を開いている。
裕福な商人の娘、何かしらの才能を発揮した者、美貌故に貴族の養子となることが決まっている者……。
ナタリーは商人の娘だ。しかも顧客には貴族も多い。貴族並みの収入があり、その暮らしは豊かだった。
ナタリーの父親は、商売の成功で満足するのではなく、自身が貴族となることを望んでいた。
金はある。
後は爵位があればいい。
娘であるナタリーは、貴族とは異なる可憐なかわいらしさを持つ。
で、あれば、ナタリーを貴族学園に入学させ、そこで、婿となる貴族の令息を見繕えばいい。
そうしてナタリーが恋に落ちたのが、男爵程度の令息であれば、問題はなかった。
ごく普通に恋愛結婚をして、結婚して、子を生して……、しあわせな暮らしを営めたことだろう。
だが、ナタリーと同学年には王太子であるエリオットがいた。
一目見ただけで、ナタリーはエリオットに恋をした。
王太子という身分に目が眩んだのもある。
更に、あこがれというものもあった。
もう何年も前から王都では『身分の高い貴族の令息と、平民の娘が恋に落ち、真実の愛で結ばれる』だの『嫉妬に狂った悪役令嬢が、聖女のように清らかな娘を虐げ、婚約破棄された上に、追放される』といった内容の小説や演劇の舞台が流行していた。
もちろんナタリーも、そんな話を好んで読んでいた。
ああ、いつか自分にも、身分の高い貴族の、素敵な男性が現れるの。そして恋に落ちてしあわせになるの……。
少女のあこがれ。
ただそれだけのはずだった。
だが、何の運命のいたずらか、ナタリーはエリオットと学園であいさつを交わすようになり、次第に親しく過ごすようになっていった。
エリオットは王太子だ。
商人の娘であるナタリーが、いくら恋心を持っていたとしても決して結ばれることはない……。
わかっては、いた。ただ、物語のヒロイン気分を、ほんの少し味わいたかった。
「あの……。ごめんなさい。あたしなんか王太子殿下と親しくすると……、婚約者のオリヴィア様に悪いですよね……」
潤んだ瞳でエリオットを見つめながらナタリーが言えば、エリオットは即座に「そんなことはないっ!」と叫んで、ナタリーの手を取った。
「学園に、通っている間だけでも、その……、おそばに居させていただいてよろしいですか……」
「もちろんだともっ!」
学園に通いだして半年ほどは、親しい友人としての適切な距離を保っていた。
だが、次第にそれだけでは物足りなくなってきた。
どうにかして、もう少しだけでいいからエリオット様と仲良くなりたい……。
だから、嘘を、ついた。
「あの……、エリオット様と御一緒すると……オリヴィア様に睨まれるんです……」
ほんの、ささやかな、嘘。
暴力を受けていると訴えたわけではない。
実際には、オリヴィアは、エリオットとナタリーが距離を近くして過ごす様子を見ても何も言わない。ちらと目線を向けることもあるが、すぐにつまらなそうに、視線を別のほうへと向ける。
だが、その様子を、睨まれると感じるのはナタリーの自由だろう。そう、ナタリーは思った。
だから、繰り返した。
昨日も、オリヴィア様に睨まれました。
今日も、です。
繰り返すたびに、エリオットの機嫌がよくなった。
婚約者であるオリヴィアから、何の愛情も興味も関心も向けられていないというよりは、嫉妬を向けられていると思ったほうが、自尊心が満足するのだろう。
だから、ナタリーは繰り返した。
オリヴィア様は、あたしがエリオット様と仲良くすると嫉妬しますよね?
あたし、オリヴィア様が怖いんです。
オリヴィアが嫉妬していると断言したわけでもない。
怖いと感じるのはナタリーの自由だ。
この程度の発言は、嘘とは言えないだろう……と。
ナタリーにもエリオットにも、オリヴィアが何の関心も向けていないのは、ナタリー自身がよくわかっていたのだ。
だけど、嘘を言うたびに、エリオットは満足げだし、エリオットとの仲も親密さを増す。
ああ、まるで小説の『悪役令嬢』と『虐げられたヒロイン』のようだわ。
夢想に、にんまりとしてしまう。
本当に、自分が『悪役令嬢』を排して、ヒーローとしあわせになる『ヒロイン』になれるのなら……。
夢想は夢想だ。
だが、その夢想が次第に現実味を帯びてくる。
エリオットはオリヴィアを厭い。
ナタリーを本気で王太子妃に娶ろうと画策し始めた。
ナタリーが何も言わずとも。
俯いて、泣き顔を見せるだけで、エリオットはオリヴィアを責める。
オリヴィアがナタリーを虐げたのだろう。
紅茶を腕にかけたのだろう。
階段から突き落としたのだろう……。
勝手な、エリオットの思い込みだ。
紅茶は、オリヴィアにかけられたのではない。食堂で昼食を取ろうとしたときに、うっかりと他の生徒にぶつかっただけ。
階段の下で、つまずいて転んだのは、わざとではあった。が、階段から落ちたわけではないし、その場にオリヴィアもいなかった。
だが、ナタリーに何かがあれば、エリオットはすぐにオリヴィアが手を下したものだと思い込む。
ナタリーは、何も言っていない。そうだとも、違うとも。
ただ「階段の下で、転んで……」と言っただけ。潤んだ瞳でエリオットを見ただけ。
それなのに、エリオットはオリヴィアに罪を着せた。
「あ、あたしのせいじゃないっ! エリオット様が、勝手に勘違いをしただけよっ!」
『審判の刑』に処されたオリヴィアが、そのまま死ねば。
何も問題なく、エリオットとナタリーは、物語のヒーローとヒロインのように結ばれたかもしれないのに。
「どうして……、どうして死なないの、オリヴィア様……」
死後五十日が経過した遺体が、腐りもせずにいることはおかしい。
エリオットがなんとかして、磔のオリヴィアの体を害そうとするが、何度繰り返しても、不思議な金色の光に阻まれる。
『聖剣』は、未だ処刑場の土の地面に突き刺さったまま。誰も引き抜くことはできずにいた。
そう、『聖剣の騎士』であるはずのディランさえも、だ。
彼は、まるで迷子のように、地面に突き刺さったままの『聖剣』の周りをうろうろとしているだけだ。
その様子は、連日のように新聞社が、記事に掲載をしている。
「エリオット王太子の命令にて、再度『聖剣』がオリヴィア嬢を貫こうとするも果たせず」
「『聖剣の騎士』ディラン、その剣を抜けず」
「金色の光に守られるオリヴィア嬢。初代国王の再来か⁉」
「100日後の復活劇。正しいのはオリヴィア嬢?」
処刑場にも大勢の見物人が詰めかけ、生前と何一つ変わらないオリヴィアの姿を見ている。
刑から100日後。つまり後五十日。
その後五十日後の自分の未来を考えると、ナタリーは震えが止まらなくなる。
「本当にオリヴィア様が神様に守られているのなら……。あたし、どうなるの……?」
怖い。
エリオットと別れて、他国にでも逃げたい。
だけど、もしも五十日後にオリヴィアがそのまま死ねば……と思うと、手に入れられるはずの幸運を、自分から放棄するように感じてしまう。
逃げるに逃げられない。
ただ、震えて、100日目を待つのか。
しかし、ナタリーにはどうしようもない。
震えながら、更に二十日ほどが経過した。
そうして、王都で、とある新聞が発行された。
その新聞には『オリヴィア嬢の手記』よりの抜粋と大きく見出しが書かれてあった。