第二話 処刑から約三十日後・エリオットは命令する
『悪役令嬢』オリヴィアの『処刑』から、約三十日が過ぎた。
この間、オリヴィアの『手記』は公開されていない。
エリオットに不利な何が書かれているのかわからない。
故に、エリオットはその『手記』と思しきものが発見されればすぐに兵を向け、その『手記』であろうモノを取り上げてきたのだ。
実は、そこまでせずとも構わないと、エリオットは考えてはいた。
どのみち100日後の復活などありえないからだ。
王都の民が『手記』の公開などを望んだとしても、オリヴィアが死ねばそれだけで済む。
悪は、オリヴィア。
正義は、エリオットとナタリーにある。
念には念を入れて、『手記』などは公開できないようにと、そう指示を出していただけ、なのだが。
なのに……。
「腐らない……だとっ⁉」
グレンヴィル王国の王太子であるエリオットは、側近が差し出した新聞を、執務机に叩きつけた。
その新聞の一面には、こう書かれている。
「三十日前、『聖剣』にて『審判の刑』に処された侯爵令嬢オリヴィア・L・ヒューレット。依然として体は腐らず、陶器人形のように美しいまま」
「死斑も浮かばず、腐敗臭現象も起こらない」
「真冬とはいえ、心臓を剣で突きさされ、死んだはずの令嬢の体が腐り落ちもしない。これはわが国の建国神話『初代国王陛下』が聖剣によって死した後、100日を経過して復活した、その『伝説』の再来ではなかろうか」
「どなたかオリヴィア嬢の『手記』を隠し持っている方はいないだろうか? 我々新聞社は、圧力に屈することなく『手記』の公開を望む」
エリオットは新聞に書かれている記事を睨むようにして読んだ後、その新聞紙をビリビリと引き裂いた。
「ふざけるなっ! 何が『伝説の再来』だっ! 『聖剣の騎士』が何かの不正をしたに決まっているっ!」
怒鳴るエリオットに、それでも側近の一人が静かに反論した。
「オリヴィア嬢は確かに『聖剣の騎士』ディラン・A・フォスターの手によって、その心臓を『聖剣』で突かれました。エリオット王太子殿下も、その瞬間をご自分の目でお確かめになりましたでしょう。ですから、オリヴィア嬢は……死ぬ、はずです」
「ああ、そうだっ! オリヴィアは、あの悪女は、死んだはずだっ! なのになぜっ!」
そう、オリヴィア・L・ヒューレットは、三十日前、確かに『審判の刑』に処された。『聖剣』で心臓を突かれ、そのまま100日間、磔になったまま、晒される。
何故、そんな刑に処されたのか。
それはオリヴィア・L・ヒューレットが自身で望んだことだった。
王太子であるエリオットの恋人、平民の娘ナタリーを嫉妬でもって虐げた。
が、そのことを告発すれは、オリヴィアはつまらなそうに反論したのだ。
「わたくしは、婚約者であるエリオット王太子殿下に興味はございません。恋人でも愛人でもいくらでもご随意に。わたくしには無関係でございます」
「何を言うっ! この俺様の愛を得られないからと言って、ナタリーを虐げたくせにっ!」
「王太子殿下は馬鹿ですか? わたくしはあなたに興味はないと申し上げました。婚約も、国王陛下からのご命令で仕方なく受けたまで。婚約を破棄なり解消なりしてくださるのなら喜んで。嫉妬など、馬鹿々々しい。わたくしに殿下は不要です」
「嘘をつくなっ!」
「嘘ではございません」
そんな水掛け論が繰り返された後、オリヴィアが言った。
「面倒ですわね。いっそわたくしを『審判の刑』にでもしてくれませんこと? どちらの言葉が正しいのか、『聖剣』に委ねていただいて構いませんわよ」
オリヴィアの言葉を聞いて、エリオットは高笑いを発した。
『審判の刑』など単なる『伝説』に過ぎない。
確かに『聖剣』は不思議な剣だ。
人の体を切り裂いても、突き殺しても、血は流れない。
だが、血が流れずとも、剣で心臓を突かれれば、人は当然死ぬのだ。
初代国王が100日の後に復活したという話も、実のところエリオットは信じてはいない。
建国より今まで、幾度か『聖剣』による『処刑』は行われては来た。
が、初代国王以外に復活を果たした者などいない。
所詮『伝説』は『伝説』でしかない。
そんな者を信じているオリヴィアを馬鹿々々しく思ったのだが、ちょうどいい。
どのみちオリヴィアのことなど処分しようとしていたのだ。
自ら『処刑』を望むとは、オリヴィアはなんと浅はかな女だろう……。
そう、高笑いをし、『処刑』の様子をナタリーと共に見ていた。
あとは100日が経過するのを待って、ナタリーを『聖女』にでも仕立て上げ、婚約者とすればいい……。
そんな夢を、エリオットは描いていた。
だが、『処刑』したはずのオリヴィアの体が腐らないとは、一体どういうことなのか……。
「まさか、ディランが剣で突くフリをして、実はオリヴィアを殺してはいなかったのか……?」
側近の一人が即座に答えた。
「もしも『聖剣の騎士』ディラン殿がオリヴィア嬢を『聖剣』で刺しておらずとも、三十日間も磔のままですから……、死んでいるはずです」
「ではなぜオリヴィアの体は腐らないっ!」
エリオットはイライラを隠そうともせずに、側近たちを睨みつけた。
「あの……、エリオット殿下」
側近の一人が、おずおずとエリオットに言った。
「『審判の刑』がきちんと行われなかったのであれば、今からでももう一度『聖剣の騎士』ディラン・A・フォスターを呼び出し、オリヴィア・L・ヒューレットの心臓を、『聖剣』で突かせればよろしいのでは……と」
側近たちにおいては、既に処刑されたオリヴィアよりも、エリオットの機嫌のほうが優先される。
一度、剣で突いたのだから、二度目を行っても悪くはないだろう。
刑罰の公平性など全く考慮しない、浅はかな考えだが。
その側近の言葉に、エリオットは深くうなずいた。
「そうだな。不正があれば、直せばいい。この俺様、グレンヴィル王国の王太子であるエリオットが、改めて『聖剣の騎士』ディラン・A・フォスターに命じよう。この俺様の愛するナタリーを虐げたオリヴィア・L・ヒューレットの心臓を、『聖剣』によって、えぐり取れとなっ!」
***
五日後、公務を調整したエリオットは、平民の恋人であるナタリーを伴い、処刑場へとやってきた。
「さむーいっ!」
山から吹き降りる冬の風は冷たく、頬が切り裂かれそうなほどだ。
ぎゅっと腕にしがみ付いてくるナタリーを、エリオットは抱きしめる。
「処刑場は屋根もなく、吹きさらしだ。今日は風も強い。ナタリーは馬車で待っているかい?」
「ううんっ! 処刑場は寒いし怖いけど。そんなところにエリオットを一人で行かせるわけにはいかないもんね!」
「おお、ナタリーは優しいなあ」
イチャイチャベタベタとするエリオットとナタリーを、側近たちも護衛たちも、侍女たちも、内心では「何が一人だ、こんなにも大勢引き連れてきているのに」と、呆れてはいるが、それは顔には出さない。
粛々として、二人を処刑場の観客席に設けられた貴賓席へと案内する。
その貴賓席から処刑場を見下ろせば、確かに処刑台の上には十字に組まれた木材に磔になったオリヴィアの姿が見えた。
三十日以上も磔にされた哀れな女。
夏とは違い冬ではあるのだから、腐り果て、異臭を放っているとまでも思わなかったが。
「嫌だ……、まるで生きているみたい……」
ナタリーが、震える声で言った。
確かにその通りだった。
白い肌は滑らかで、頬も生前と同じく薔薇色のまま。唇も、口紅をひいたばかりのように鮮やかだった。
目は、瞼を閉じられてはいない。鮮やかなブルーグリーンの瞳は、処刑のときと同じく真正面を見いたまま……。
とても、処刑されて三十日以上経過した屍には見えない。
生前と同じ、美しい令嬢の姿がそこにあった。
吹き付ける風に、紫みのある赤の髪が揺れる。白いワンピースの裾も、ひらひらと。
手も足も体も微動だにしないし、瞼は動きもしない。
当然だ。
オリヴィアは死んでいるはずなのだ。
心臓を剣で貫かれたのだから。
きちんと突かれた証拠に、着ている服の、その豊かな胸と胸の間……は、すっと縦の線状に切られている。
「なんだ、腐っていないだけで、ちゃんと死んでいるではないか」
ナタリーの腰を抱きつつ、観客席に設けられた貴賓席で、磔になったオリヴィアをあざ笑った。
「わざわざ『聖剣の騎士』まで呼び出す必要などなかったな」
ちらと後ろを振り向けば、無言のまま『聖剣の騎士』であるディランが、控えていた。
「まあ、それでもわざわざ来てもらったのだからな。ディランよ、あの悪女を『聖剣』で突き、そして、その心臓をえぐり取ってこい」
残酷な命令にも、ディランは顔色一つ動かさなかった。
すっと腰を折って礼をすると、無言のまま貴賓席から出て行って、刑場へと向かった。
待つことしばし。
刑場の中央に設けられた磔刑台へと進むディランの姿が見えた。
戸惑うことなく磔刑台へと上がり……、そして、『聖剣』をオリヴィアに向ける。
そして、一気にその心臓を突こうとして……、突如として現れた金色の光によって、『聖剣』は弾かれた。
弾かれた『聖剣』は、くるくると回りながら、空を飛び、そして、処刑場の広場の、土の地面に突き刺さった。
「な、何……っ⁉」
弾き飛ばされた『聖剣』をディランは信じられない思いで見た。
慌てて、磔刑台から降りる。
そして、地面に突き刺さった『聖剣』を引き抜こうとした。
だが、ディランがどんなに力を込めても、『聖剣』は引き抜けない。
戸惑うディラン。
どうしたらよいのかと貴賓席を見上げれば、そこには怒りもあらわなエリオットがいた。
「誰かディランに別の剣を与えよっ! 『聖剣』でなくとも剣はあるだろうっ!」
ほかの護衛兵から剣を借りて、再度、ディランはオリヴィアを突こうとするが、それも叶わなかった。
二度も三度も、何度でも。
剣でオリヴィアの体を突こうとするたびに、剣は金色の光に阻まれて、空を舞い、そして、刑場の地面に突き刺さる。
「な、なんだあれは……」
何度試しても、金色の光が剣を弾く。
その様子を、観客席から見ていた見物人は大勢いた。
そして、その中には新聞の記者も……。