†指導†鴻儒 緋岐
由貴は、とぼとぼと独りぼっちで歩いていた。
行く当てはある。とあるアパートだ。
「……敦……お前の犠牲を無駄にはしないからなっ!」
尊い犠牲と言えば聞こえは良いが、単に見捨てたに過ぎない。……とにかく、魔王の手に落ちた相棒へと決意も顕に拳を空へと向ける。春の陽気な青空に、今はもう遠い相棒の顔が浮かんで見えた。(決して臨終した訳ではない)
そんな思いに耽りながらも歩を進めれば、数分と立たずに目的地に到着した。
「緋岐せんぱ~い!」
インターホンを鳴らしながら相手の名を呼ぶ。
「来たな……」
鴻儒 緋岐はそう呟くように言うと、一つ息を吐き出した。その端正な顔立ちは正に眉目秀麗という四文字そのものだと言っても過言ではないだろう。180cmを越す長身でありながら、その所作はどこか美しい。
そんな彼は、ただ見目麗しいだけに留まらない。
成績は常にトップ、運動神経も抜群に良い。
まさに
眉目秀麗
容姿端麗
文武両道
“天は二物を与えない”そんな風説を軽く無視している少年なのだ。
緋岐は“陽だまりの家”という児童擁護施設で幼年期を過ごした。だが、高校進学を期に同じ施設で育った同年の少年と施設を出て、こうしてアパートで暮らしている。その少年というのが天海 将なのだが……それはまた別の話だ。
話を戻そう。
緋岐もまた、瑞智道場の門下生だ。
由貴とも昔馴染みの仲である。かつて“ひい兄ちゃん”と後ろをちょこまか着いて回る一つ下の弟分は可愛いものだった。なので、ここ最近著しい成長期を迎えた由貴が面白くない。
「緋岐せんぱーいっ!」
思わず感慨深い思いに囚われてしまっていた緋岐は、自分の名を連呼する声に我に返った。このまま放って置けば、出るまで連呼されるだろう。
―― それに、紗貴との約束もあるしな……
約束というか……最早ただの“お願い”なのだが……
“惚れたが負け”なのだろう。いつも強気な緋岐も、紗貴にだけは頭が上がらない。
目下、緋岐の彼女は紗貴である事を由貴は知らないのだが……彼らの関係を知る者は口を揃えてこう宣う。
―― 曰く……
“将来はカカア天下だろう”
……と。
「緋岐せんぱいってば!」
「一回言ったら聞こえてるんだよ黙れ馬鹿!」
言いながら玄関を思い切り開ければ……
「ぐはっ!?」
狙い通り由貴の顔面にクリティカルヒットだ。
「……いっ………痛いよ先輩……」
その声は顔を押さえている為かくぐもっている。
「ったく……近所迷惑だろうが!」
そう叱れば「だって……」と由貴は言い募る。
「中々出てくれないし……」
そんな由貴の言葉に、緋岐は思わず溜息を付いた。
「俺がいなかったらどうするんだよ」
そんな緋岐の言葉に由貴はVサインだ。
「そこは大丈夫!将先輩にメールで聞いたら“今日は居るよ”って!」
陽気にそう言ってのける由貴。段々と頭痛がして来る様な感覚に襲われる。
「直接俺にメールしろよ……」
その尤も過ぎる緋岐の言葉に今更気付いたらしく、一つ手を打ったのだった。
「……何処まで馬鹿なんだよお前は……」
余りの馬鹿さ加減に、虚しさを感じずにはいられない緋岐だった。
「……まあ、入れよ………」
多分にお馬鹿であっても、弟分を見捨てる訳にはいかない。……というより、紗貴との約束を果たさねばならない。さりげなく家の中に連れ込むと由貴に悟られない様、素早く内鍵とチェーンを掛けた。
そう……これで由貴の退路は断たれたのだった。
「とりあえず座っとけ。牛乳持って来るから……」
「サンキュー先輩!」
身長と牛乳の因果関係を信じて止まない由貴……飲み続ければ、まだ伸びると本気で思っているのだ。数分も経たずに戻って来た緋岐の手には、牛乳が注がれたコップとインスタントコーヒーの湯気が立ち上るカップがある。
「ほら」
言いながら差し出せば、短く礼を言ってから勢い良く飲む。
「ぷはーっ!やっぱり牛乳はサイコーだなっ!」
「………お前は何処の親父だよ」
満面笑みな由貴の口の周りには、お約束である白い髭が生えている。疲れた様に一つ溜息を付くと緋岐は「で?」と話題転換したのだった。
「何が聞きたくて来たんだよ?」
緋岐がそう問えば「待ってました」と言わんばかりに由貴は問う。
「……干支について、謎が浮上してさ……」
「……はあ……で?」
深刻そうな由貴に、さしたる感慨もなさ気に緋岐は先を促す。
「……何で“辰”なのかな……?」
由貴の問いに負けないだけ間を取って、緋岐は一言。
「物事はちゃんと順序立てて説明しろ?」
そんな緋岐の言葉に由貴は眉をしかめる。
「ぇえー……もう俺説明するの4回目になるんだけど……」
もう、我慢の限界だった。緋岐はこめかみをひくつかせながら言う。
「それはお前、ここに来る前の事だろうが!俺にもきちんと説明しろ!」
「……俺と先輩の仲じゃん。そこは以心伝達しようよ」
しれっと言ってのける由貴。緋岐は教育的指導をする為にゆらりと立ち上がる。
「俺とお前が一体どんな仲だっていうんだよぁあっ!?しかも“以心伝達”って何だよそれ言うなら“以心伝心”だ!!」
ノンブレスで言い切る緋岐。余りの迫力に圧倒され、由貴は言葉を失った。
そして……
「ぎゃあぁあぁぁあ!」
断末魔の様な悲鳴が上がったのだった。教育的指導も一段落し(ここでは敢えて教育的指導の内容には触れまい)どこがゲッソリしている由貴とは対照的に、すっきり顔の緋岐。
「……なるほど。そんな事か……」
「先輩知ってるのか!?」
先程までダメージも、この謎が解決するなら何のその。
尊い犠牲を払ってここまで辿り着いた甲斐があるというものだ。(くどいようだが、尊い犠牲ではなく由貴が単に見捨てただけだ)
「ああ……話せば長くなるんだが……」
※本当に長いです。「面倒くさっ」と思われたそこの貴方。どうぞ読み飛ばして、お進み下さいませ。
「「辰」の本来の読みは「しん」で原字は「蜃」だ。「蜃」は二枚貝が開き、弾力性のある肉をピラピラと動かしているさまを描いたもので「振」「震」の意味を持っているんだ。
『漢書 律暦志』では「動いて伸びる」「整う」の意味とし、草木が盛んに成長し形が整った状態を表すと解釈されている。
そして何でこんな漢字に“龍”と言う空想上の動物が当て嵌められたか……
その謎の答えは十二生肖の選出の方法にある。内訳を見ると、牛・馬・羊・鶏・犬・豚は六畜と呼ばれる古代中国における代表的な家畜なんだ。また鼠・牛・虎・兎・龍・馬・羊・犬・豚は漢字において意符となり、部首となってる。
更に“辰”っていう漢字は“十二辰”という戦国時代の中国天文学において天球の分割方法の名にも使われている。つまりは“辰”という字そのものが特別なんだ。
だからこそ“瑞祥と言われ、古来中国では権力者の象徴として扱われて来た”龍を宛てがったと考えられているんだ」
【出典】
Wikipedia
語源由来辞典
riranedia
「……ええっと……つまり、ホントは“貝”だったんだけどあんまり偉くなさそうだったから、何か強くて偉そうな“龍”にしちゃった……みたいな?」
「………………そこまで略されると何か悲しいな……」
「任せて!」
「1mmも褒めてねーよ!」
緋岐はそこで息を整え直すと居住まいを正した。
「ところで……俺もお前に用があるんだ」
微妙に声のトーンが下がる。
「………紗貴から連絡があってな?」
そこで由貴はギクリと明らかに動揺を示した。そんな由貴に気付かない振りをしたまま緋岐は続ける。
「何でも……内田先生にばったり会って言われたらしいんだよ……」
そう、それは昨日の放課後にまで遡る。
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