†訪問†相模 蕎Ⅰ
少年達は、そこから動けずにいた。魔王城の如く立ちはだかるのは、とあるアパートの玄関だ。
「……由貴、お前押せよ」
「いやここは敦がどーぞ」
未曾有への世界へ繋がるボタン……インターホンを押す権利を巡り、醜い戦いが繰り広げられている。
二人が今立っているのは、友人宅前。友人の名を相模 蕎という。
『霊はそこにおる』これが彼の口癖で……何を隠そう、霊感少年なのだ。
中学一年生の2学期に京都からやって来た転校生で、付き合いはそれなりに長い。漆黒の髪、黒曜石を思わせる瞳……何より全く動かない大頬骨筋は、人々の恐怖を煽る。
一風変わったこの友人は……だがしかし由貴と敦が加われば、制御不能なボケに鋭いメスを入れる、なくてはならないツッコミだ。
“三人一組凸凹トリオ”
そんな通り名が付く程度には懇意な仲だ。
―― がっ!
誰と住んでいるのか
どんな生活をしているのか
そもそもトイレに行くのか
全てが謎に包まれている。
一説に因れば、何かオーラを吸って生活しているとかいないとか……
とにかくミステリーの一言に尽きるのだ。永遠に続くと思われた必死な醜い戦いは、ギィという音によって終幕を余儀なくされた。
まるで二人を招き入れる様に、魔王城の扉が開いたのだ。
「「ぎゃぁあぁぁああぁぁぁあああぁぁぁあっ!!!!!」」
綺麗なユニゾンが閑静な住宅街に響き渡る。
「近所迷惑や。静かにしいや」
半開きの扉から、直立不動なままの蕎の姿が半分だけ覗く。
影で出来た凹凸が、更に不気味さを際立たせた。何時もの様に、淡々と蕎は友人達を諌めたのだった。
由貴は涙目になりながらも訴える。
「もっと普通に登場出来ないのかよ!?」
そんな身勝手極まりない注文に、敦は何度も頷いた。
「勝手に驚いたんは、そっちやろ」
もっともなお言葉である。
「そりゃ、そうなんだけどさ……っていうか、何かやけに部屋の中暗くね?」
敦は背伸びしながら蕎の宅内を覗き見る。
「ああ……今、呪い反しを更に返す準備をしよってん」
蕎はさらりと世間話でもするかの様に爆弾発言を投下した。理解の範疇を軽く飛び越えたその言葉に由貴と敦は早くもUターンをしたい衝動に駆られる。
「………」
「…………よしっ!」
少年達は、頷き合うとじりじりと後退し始めた。
「何だか忙しいところ悪かったな!また出直して来るよっ!」
敦は声を上擦らせながらも、何とか言う。
「じゃあなっ!」
由貴がそう言って走り出そうとしたその瞬間……
「ちょい待ちや」
蕎の言葉に、自分達との意思とは関係なく身体が静止したではないか!
「せっかく来たんや……ゆっくりして行きや」
―― ひぃいぃぃい!!!!!??
音にならない悲鳴が上がる。
奇しくもこの時、由貴と敦は金縛りを初めて体験したのだった。
結局、自分達の意思とは裏腹に蕎の家にお邪魔してしまった。
致し方ないだろう。
身体が言う事を聞かないのだから。
いうなれば、マリオネットにでもなってしまったかの様だった。
そんなアンビリーバボーな初体験と共に、初・蕎のお宅訪問を絶賛実施中な由貴と敦。一体何が出て来るのやらと戦々恐々な心境で身構えていた分、拍子抜けしてしまった。
由貴は、部屋を見回しながら安堵の溜息を漏らす。
「結構普通なんだな……」
失礼極まりない率直な感想だ。
胸を撫で下ろす由貴の隣で敦も脱力する。因みに、蕎はリビングに備え付けられているらしい固定電話に呼ばれて席を立っている。
特に危険がないと判れば、探検したくなるのが人の性というものだろう。
敦が呟く。
「健全な男子校生なら、エッチィ本の一つや二つ……」
由貴がその言葉に振り返れば、敦は人の悪い笑みを浮かべており……
由貴も釣られてニヤリと笑う。
他人の下事情が気になるお年頃な二人は、ガサ入れ調査を開始したのだった。
「う~ん……ないなぁ……」
蕎の住むアパートの間取りはざっと見2DKといったところか……
由貴と敦が通されたのは、6畳程度の洋間。
どうやら蕎の自室らしい。
「やっぱりここは定番だろ」
期待を込めてベッドの下に腕を伸ばせば……
「……これは……」
敦の指先が何かに触れる。
それは紛れも無く本の感触で……
気分は宝を捜し当てた冒険家だ。
とにかく、この大発見を相棒に伝えるべく振り返った。
「おい由貴あった!」
敦の声に由貴は「よっしゃ」とガッツポーズである。
「敦、早く出せよ!」
「そう急かすなって……」
指先で器用に手繰り寄せる。ベッド下という魅惑の暗闇から、一冊の本が光の下に晒される。しかし期待に満ち溢れていた二人は、本の題名を見て固まってしまった。
そこに達筆な字で書かれていたのは……
「………
……………
………………楽しい…………………呪術………?」
由貴の呟きに、敦は悟りの微笑みを浮かべ無言でそっと本を押し戻した。
「次こそはっ!」
意気込みも新たに、もう一冊本を引き出す。
オカルトの苦手な由貴は最早、涙声で声を搾り出す。
「……“正しい呪いの反し方”………?」
「何なんだよっ!何の嫌がらせだよ!」
敦は勢い良く力任せに本を床に叩き付けた。とんだ言い掛かりも良いところだ。
曲がりなりにも、家捜しをしているのは彼らの方だ。
この部屋の主がどこに何を直そうと、それこそ由貴と敦が文句を言う義理はない。
だがしかし、こんな瑣末な障害でめげる彼らではない。
「次こそはっ!」
気合いを入れて次の本に手を伸ばした。
丁度その時……襖が静かに開いた。
そこにいたのは、やはりと言うべきか……部屋の主である蕎その人だ。
「何しとんねん」
淡々と友人らに尋ねる。
「ほぅわあぁぁ!?」
これまた不可思議な叫びを上げたのは由貴だ。
敦は声もなく驚いている。
「蕎お前っ!いきなり現れるなよな!心臓が口から「こんにちは」って出て来るかと思ったじゃねえかっ!」
早口にまくし立てる由貴に、蕎はすかさず無表情のままツッコミを入れる。
「心臓が口から出るとか、どんだけホラーやねん」
そんなツッコミも何のその……由貴は続ける。
「だいたい、お前は一体どこに隠してるんだよ!」
その言葉を援護射撃するが如く敦が続く。
「そうだよ!男のロマンの隠し場所はベッドの下って昔から相場が決まってるんだぞ!?」
無茶苦茶な友人らの訴えに蕎は怒るどころか呆れ返ってしまった。
「何や、そないな事か」
そして、スタスタと押し入れの戸に手を掛ける。
「せやったら、こっちや」
言いながら開いた瞬間……
――ゴトッ……
何かが倒れる音がした。
微かに開かれた戸から覗いていたのは……
「……木札………?」
どこからどう見ても木札だ。
しかもただの木札ではない。
明らかにお墓などで見掛ける木札である。
何やら流体で書かれた筆字が不気味さを際立たせる。
「わああぁぁぁあ!」
光速度と言っても過言ではなかろう。
由貴は慌てて開かれた混沌への戸を閉めに走った。
「敦!俺達の当初の目的を果たそう!」
そう、決して友人の夜事情を探りに来たわけではないのだ。
由貴と敦は、物置から覗いた不審物は見なかった事に決め、気分も新たに蕎へここに来た当初の目的を告げたのだった。