†疑問†瑞智 紗貴Ⅰ
瑞智 紗貴は、縁側で捜し人を見付けて怒りも露に近付く。
紗貴は由貴の一つ上の姉だ。
肘辺りまで伸びている天然パーマ掛かった茶色の髪をきっちりと上で一つに結わえている。その様相からも窺い知れる様に、闊達な少女だ。
「こら由貴っ!」
叱る様に名前を呼べば、間髪いれずに振り返る。
「姉ちゃんっ!」
その顔は、期待に満ち溢れており……
「なっ……何よ……」
多少たじろぎながら、聞き返す。
隣には、由貴のお目付け役……もとい悪友の敦も居るではないか。
だが改めて挨拶をする様な仲でもない。たいていの場合、二人は一緒に居る。
紗貴にしてみれば、二人弟が居る様なもので……誰が、弟に挨拶などいちいちするだろうか?
「俺な、ホントに今悩んでるんだ!」
藁をも掴むが如く、必死に言い募る弟の姿に紗貴はほだされてしまい、とりあえず由貴の隣……敦の反対側に腰を下ろした。
「確かに、謎だよな……」
敦まで唸る始末。
いつもくだらない事で騒いでいる二人からは想像出来ない深刻な表情に、紗貴は生唾をごくりと飲み込んだ。
「何があったの?」
居住まいを心なしか正すと改めて尋ねた。
「あのさ……姉ちゃん……何で“辰”なのかな?」
瞬間、紗貴は固まる。
「………はい………?」
そう辛うじて返したのだった。思考回路がどうにも話に付いていけない。
何がどうしてそうなったのか……
「前略され過ぎてて、いまいち現状に付いていけないんだけどね?」
紗貴の言葉に、由貴は神妙な面持ちのまま一つ頷き口を開く。
「姉ちゃん、干支ってあるだろ?子・丑・寅・卯・辰・巳」
由貴の後に敦が続ける。
「午・未・申・酉・戌・亥」
まさに阿吽の呼吸だ。
だが、紗貴にしてみれば「だから何?」……その一言に尽きる。
もうただひたすら、真面目に尋ねた自分を悔いるしかない……既に半ば投げやりな紗貴の態度も何のそのだ。
由貴の熱弁は止まる事はない。
「姉ちゃん良く見てくれ!見事なまでに全部陸の動物かと思いきや……」
由貴は、そこで一旦言葉を切った。
軒先から庭へ下りて、手頃な木の棒をペン代わりに何やら書きはじめる。
「こいつだけ何故かファンタジーなんだよ!」
―― ビシッ!
「……ジョク…?そんなのいたっけ……」
紗貴は思わず眉をしかめる。
敦が慌てて立ち上がった。
「由貴!下の“寸”がいらないから!」
―― そう……
庭に力強く描かれた文字、それはどこからどう見ても“辱”だ。敦の指摘を受け、いそいそと“寸”を消せば、何ともいびつな“辰”が現れのだった。
「もう、あんたの存在がファンタジーね」
思わず紗貴は溜息を付いた。
可愛い子
大きくなったら
ただの馬鹿
この時生まれた、紗貴の名句ならぬ迷句である。そこはかとなく、自分よりも身長の低かった由貴が懐かしい。
小さければ可愛い気もあるが、こうも育てば正直ただひたすら残念なだけだ。
「とりあえず、言いたい事は判ったわ……」
気を取り直して紗貴は言う。
「要はするに、ネズミやらイノシシやら本当にいる動物だらけの中で何でいきなり竜……架空の生物が出て来るのかが気になって仕方ないと……」
紗貴の言葉に、弟達は勢い良く頷く。
それを見て、紗貴は呆れた様に首を横に振る。
「そんなくだらない事を悩んでたワケ?」
余りに酷い言い様に、由貴と敦の顔が険しくなる。
「じゃあ紗貴姉は、全く気にならないのか!?」
語気荒くそう責め立てる敦に紗貴は平然と頷いた。
「だって答え知ってるもの」
それは、由貴と敦にとって予想外の返答で……お互い顔を見合わせれば、相手の驚愕に満ちた顔があった。
そして、まるでタイミングを計ったかの様に勢い良く同時に紗貴へと振り返った。
「「マジで!?」」
二人の声が綺麗に重なったのだった。
詰め寄られて尚、しれっとしている紗貴は、肩を竦めながら口を開いた。
「あれは、適当に動物の羅列を作ったのよ」
衝撃の発言に、由貴と敦の動きが止まる。
「……へ……?」
何とも間の抜けた声を発したのは由貴だ。
「あれは元々のルーツは中国にあるのよ」
いきなり飛び出た豆知識に由貴と敦は「へぇ」と感嘆の声をあげた。
「しかもっ!干支ってのは言葉としては間違ってるのよ」
「何で?」
由貴から予想した通りの返事が返って来た。
したり顔で紗貴は続ける。
「十干十二支……これが正確な名称なの……それを勝手に略して“干支”になったってわけ……」
「あっ!」
これは予想外の叫びだ。敦が何やら思い出したらしい。
ポンと一つ手を打ってから口を開いた。
「昔はさ、木星の位置で年を知ってたんだよ」
その声は、どこかずっと遠い昔を懐かしんでいるようだ。
「木星がさ、丁度12年で地球の周りを一周するんだ」
―― その12の地点に名を宛てがったのが、十二支の起源である。
「……だけど、小難しい言葉は中々民衆の間に広まらなくて、身近な動物を当て嵌めたって……本に書いてたの読んだ事あったんだった」
意外や意外、ただのバスケ馬鹿なだけかと思いきや“趣味=読書”だったりするのだった。そんな本の虫である幼馴染みが、どうにも由貴には理解出来ない。
「あんたも少しは本読みなさいよ」
紗貴は、諌めるように由貴に言う。
「俺だって、読書くらいするよっ!」
あながち、この反論は間違ってはいない。由貴も読書は好んでする。
だが、それは決して文字が主役の文学ではない。絵を中心に展開していく、所謂“漫画”に御執心なのだった。
「とにかく!まあ適当に付けられたって事に間違いはないようねっ!」
紗貴は簡潔にまとめて言う。
「でもさ、何でわざわざ竜なんだろう……同じ強い動物ならさ、ライオンで良いじゃん」
まだ納得いかないらしい由貴は、言い募る。
「お前……子・丑・寅・卯・ライオン・巳とか語感最悪じゃんかっ!」
敦がすかさずツッコミを入れた。
どうやら紗貴も、敦に一票の様だ。
頷きながら続ける。
「よしんば“獅子”に換えてみたとしても、イノシシと混同しちゃって困るしね!」
更に追い打ちを掛ける敦。
「“獅子”に換えたら更に変だぞ?子・丑・寅・卯・シシ・ミ……何歌ってんだよって話じゃねえ?」
敦の言葉に、由貴は思わず納得だ。
だが、問題が解決されたわけではなくて……
「結局、何で“辰”になったのかは判らないまま…か……」
憂いを帯びた声音でそう呟きながら黄昏れる。
「ところで……」
騒動でうやむやになり掛かっていたが、紗貴は弟を捜していた本来の目的を思い出して、絶対零度の微笑みを口の端に浮かべた。
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