泣き虫な男
玄関の扉を開けると、外は暗く、冷え込みも厳しい。
気が付くと、初冬の訪れ。
AM6時は未だ日の出前。
松茸狩りのシーズンが終わってから2週間が経っていた……
刃物工場に半導体工場、ドラッグストア、マンション。
そして、今日、千香良が行く予定の小学校。
『プラスター工房ムラオカ』が現時点で抱えている現場は野丁場だけでも5件。
その全てが『青興建設』が元請けの物件だ。
要するに『プラスター工房ムラオカ』と『青興建設』は切っても切れない関係なのだ。
けれども、やはり千香良の予想は確かで、今の所、丁稚からの誘いは無く、それ以前に、現場で見掛けることもない。
千香良は気が付くと、丁稚の姿を探している、自分が可笑しかった。
面積は630平米。
畳に換算すると、約、1257畳だ。
千香良は校舎の1階部分を左官ブラシで延々と掃いていた。
単に掃除といっても、しゃがみ込んだ体勢での作業は結構な重労働。
T箒で掃いていく館が恨めしい。
しかし、流し込むだけで完了するセルフレベリングは下準備が要。
手を抜くなんて以ての外だ。
千香良は一旦、立ち上がると、大きく右肩を回した。
そして、改めて全体を眺めると気が遠くなる広さだが……
何か違和感を覚えたらしい。
千香良の首がゆっくりと横に傾いていく。
「どうした?」
立ち上がったまま静止している千香良は不可解だ。
館が声を掛けてきた。
「館さん……あそこ……」
千香良は違和感の正体を指で差す。
「おい、おい……」
館は信じられない凡ミスに次に言葉をなくしている。
しかし、セルフレベリングの墨出しは現場監督に仕事。
勝手にどうこう出来ない。
「お疲れさま、どう?」
そこに、渡りに船。
現場主任の新藤佐介が様子を見に来た。
新藤佐介は『青興建設』で1番のイケオジと言われているらしいが、千香良は叔父さんの個体識別は不得手。
松茸狩りにも、来ていたらしいが、薄ぼんやりとしか覚えていない。
「どうもこうも……」
館は斜めに引かれ線に向かって、顎をしゃくった。
「丁稚の奴は……」
どうやら、レベル(高さ)明示の墨打ちをしたのは丁稚のようだ。
「直ぐに来い!」
新藤はスマホを取り出すと、架電相手に荒ぶる声で呼びつけた。
「レーザーで墨出しして、どうして間違えますかね……」
館は怒るでもなく、ただ呆れている。
「兎に角、レベリングを打つ前に分って、良かったですよ」
確かに明示された線に合わせてレベリングを流していたら、床が斜めになっていた。
「僕……何かしましたか?」
身に覚えがないのか、丁稚は飄々とやって来た。
そこに、新藤が、いきなり腹に一発入れる振りをする。
「お前、又、相葉さんに世話になって……礼を言えよ。レベルが斜めの所を見つけてくれたぞ」
新藤の言葉に、丁稚が千香良に向き直る。
千香良はどんな顔をして良いか分らず無表情を崩せない。
「気が付かなかったら、大事になっていました。ありがとうございます」
丁稚は反省と謝罪に馴れているのか、躊躇なく、千香良に頭を下げてきた。
しかし、間違いなく丁稚は千香良よりも年上だ。
返って恐縮してしまう。
「本当に偶然、目に付いただけで……」
千香良は、どんでもないと、手を振って伝えてみせた。
「お前、相葉さんに、豚カツでも飯でも奢ってやれよ」
新藤が龍太と似たような台詞を言った。
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