15、好きの行方
「やぁ、ディナ」
久しぶりに顔を見せたグランはにこやかだった。
昼になり他の候補者達が食事をしている中、私が自分の部屋で苦手な刺繍の練習をして時間を潰していた時。
空気の入れ換えで開けていた窓から、入ってきた。
驚いて、針で指を刺さなくて良かった。
前に来たのが夜だから、また夜に来るものだと思っていて、油断した。
油断している内に近付いて来られて、まだ途中の刺繍を見られた。
「……混沌?」
薔薇です!
誰がそんな刺繍するのよ!!
【危ない魔法使い】
ソファーに隣り合って座る。
私の淹れたお茶を「美味しい」と笑顔で飲んでくれるのは嬉しいが、やはり少し距離が近い。
時間も少ないから、それは置いといて。
「そうだ、グラン。あなたが殿下に言ってくれたのよね?罪に問われず済んだの。……ありがとう」
助かったお礼は大事。
すぐに謹慎も解かれて、待遇は悪くなったものの生命の危険は一先ず去り安心は出来た。
「ディナが無事で良かった」と言ってくれて、もっと安心した。私の無事を喜んでくれる人がいるのは嬉しいことだから。
「それで、殿下には伝えてくれた?協力したいという話」
「……うん、伝えた。伝えたら、喜んでいたよ」
それはつまり了承して下さったということ?
「改めて言うね。ディナ、力を貸してほしい。君のことは何があっても私が護ると約束する」
「……はい。出来ることは少ないかと思いますが」
良かった。私も協力出来る。
協力するだけじゃない。私自身が生き抜く為に、協力してもらうのだ。
そうと決まれば、午後からはもう出来ない子じゃないわよ。一度王妃教育を一通り済ませた私の実力を見せてやるわ。
「けど、ディナに他の候補者より出来るところ見せられる?それなりに成績良くなくちゃ選べないよ?」
「失礼ね」
立ち上がり、ソファーの脇に立つ。
そして、まだ現在になってから一度も見せたことの無い挨拶を……膝を折って片足を後ろに引き、身を低くし、お辞儀をして見せる。
かつて、練習に練習を重ねてきたものだ。
グランは一瞬目を丸くした。
礼儀正しいところを一度も見せたことがないものね。そう反応されても仕方がない。
けれど、次の瞬間には、満足そうに微笑んだ。
「美しいね」
「ありがとうございます……ロード・ミュロス」
「一曲、お願いしたくなる」
「ふふ」
グランも立ち上がり、手を差し出してくる。
そこに手を重ねると、自然な動作で手の甲に口付けを。
実際に唇が触れた訳でもないのに擽ったく感じる。
……一曲、か。
貴族ではないから、王族や貴族が開く夜会に出たのは正式に陛下の婚約者となってから。
かつては物語で描かれる煌びやかな舞踏会に憧れ、夢を見た。最期まで踊ることは叶わなかった。体調の悪さから、挨拶した後すぐに下がってしまっていたからだ。一曲踊る余裕も無かった。
現在は、貴族社会が煌びやかなものだけではないことを知り、夢は見ていないが……一度ぐらいは素敵な殿方の手を取り踊れたらと思うことはあった。沢山、練習したのだから。
今はその練習でも一人だ。
ソフィア嬢のことがあって、私の手を取ることも拒否する所為で、相手がいる想定で練習していた。
影では、一緒に踊る物好きなどいないのに無駄な努力をしている、と言われている。
だから、かもしれない。
こうして、グランに何の抵抗も無く手を取ってもらえることが純粋に嬉しいのは。
「グランが一緒に踊ってくれるなら楽しそうね。練習以外で踊ったことがないから」
「そうか……じゃあ、ディナ、君のファーストダンスを踊る栄誉を私にくれないかな?今すぐじゃなく、煌びやかな大広間の真ん中で皆に見せ付けてやりたい」
「私の方が嫉妬されちゃうじゃないの」
「皆見る目が無いね。ディナの方が余程素敵な女性なのに。でも、皆が気付く頃にはもう手遅れかな?」
「それってどういう意味?」
「さぁ?どういう意味かな」
まったく、この人は……。
嬉しいのは、言葉もだ。
グランといたら自惚れてしまいそうになる。
言葉の一つ一つに心が弾んでしまう。
「あなたは人を駄目にするタイプの人だわ」
「なら、ディナは私を駄目にする女性だね。君と出逢ってから、私はどうしようもないぐらい愚かになっていくんだ」
手を引かれる。
抱き締められるのとは違う。
ただ、身体を寄せただけだ。
頬を撫でられ、唇に親指が触れる。柔らかさを確かめる様に。
こんな触れられ方は初めてで……初めて?
前にも一度あった様な気がするが、いつだったか。
頬が熱くなる。唇も。
近付いて、唇が触れ合いそうで…………期待してしまっている私がいた。
胸が高鳴って、目の前にいるグランから目を反らしたいのに出来ない。
宝石の様に、光を拾い輝く薔薇の眸。
視界を覆ってくる白銀は……何故だろう?銀ではなく、金に、見えた。
より美しく輝いて、私の目が可笑しくなってしまった様に思える。
じっと見過ぎていたのか、グランには「こういう時は目を閉じるものだよ」と笑われてしまって……。
やはり、そういう時、だった様だ。
恥ずかしさもあり、周章てて目を閉じると「可愛い」と。目を閉じたことで吐息を鮮明に感じて、胸の高鳴りが抑えられない。
……あぁ、触れる。
そう思った時。
「お坊ちゃんにはまだ早いって言わなかったか?」
第三者の声。
このタイミングで現れる者は一人しかいない。
グランは「残念」と言い、口のすぐ横に軽く触れてから離れていった。
確かに、人前でするのは恥ずかし過ぎる。
頬でも唇が触れたことに変わりはなく。
顔から火が出る、という言葉があるが……今の私にぴったりかもしれない。
「夜這いは早いと言われたからね。早い時間に来たんだ」
「時間の問題だと思ってんの?お前」
違うわね。
夜だろうと昼だろうと、私は男を部屋に入れてしまったのだ。
しかも、扉も閉め切った中で、あんな……。
「空気読んでよ」
「最大限読んだ結果だが?」
……何かしら。
二人の間に火花が散っている様に見える?
この前逢ったばかりだから、そんなことはないか。
「それより、お姫様はそろそろ良いんじゃねーの?飯食って来いよ」
「あ……そうね!」
忘れていた。
時間が少ないのに、それも無くなるところだった。
雰囲気を壊されたことにも構ってはいられない。
「ごめんなさい、グラン」
「ううん、次はもっと時間のある時に来るよ。後、邪魔が来ない時に」
「……おい」
二人をこのまま残して大丈夫か、不安はあったが、部屋を出た。
さぁ!ここからは私の本領発揮だ。
挨拶の一つも儘ならなかった様に見せていたが、その必要は無くなった。
席に着き、かつて覚えた通りに食べ進める。
カチャカチャと音を立てたりはしない。次にどれを使えば良いかも迷わない。
テーブルマナーのなっていなかった小娘がまさか、と言いたげな表情をする使用人達が視界の隅に見えた。
可笑しく思えて、笑ってしまいそう。
綺麗に食べ終わり、満足。
ゆっくりしたいが、そうも言っていられない。
すぐに授業が始まるから。
大人しく目を付けられない様にと考えていたが、既に目を付けられたのだから、大人しくしている意味は無いか。
次の食事は乗り込もうかしら?
で、乗り込みましたよ私。
皆様に挨拶をしてから自分の席に着き、食事を摂る。
やはり、料理は他の候補者の物と共に出して来ていた。料理を持ってくる使用人にもぎょっとした表情を向けられる。これはこれで愉快ね。
温かい料理を口にして改めて思う。冷めた方がまだ美味しく感じるわね。味が濃いから、温かいと匂いもキツいし……。
正式に決まったら、料理の味付け変えさせよう。殿下の身体にも悪いし。
と私は思うのに、リリアーヌ嬢とルネ嬢、キャロライン嬢はここの料理責任者に賛辞を送っていた。……人の好みの問題だから口を出すべきではないが、仮にも王妃候補が殿下の身体のことも考えずに褒めるだけとは先が思いやられる。
賛辞を送る彼女らに目を向けずに、「味が濃いわ」と私は言った。
すると、分りやすくリリアーヌ嬢とルネ嬢、キャロライン嬢が睨んできた。……かつても、同じことがあったな。あの頃は上手く言葉を選べなくて、味付け一つしていない料理にされるという嫌がらせを受けたが。
今も上手く言葉を選べているかは分からない。
「魔導大国は土地が豊かで、そこで育つ物はどれも味が良い。なのに、食材の良さが生きていないわ。それに、王宮の料理人でしょう?あなた。王族が口にする物も同じ様に、健康も考えず、こんな調味料の味しかしない物を出すのかしら」
私、喧嘩を売る姿勢が性に合っているわ。
あんな濃い味ばかりだと舌が可笑しくなりそうだから、味の付いていない方がマシだし。
「ディアーナ嬢の言うこと正しいだろうね」
……ん?あ、アナベル嬢だ。
「私も再三言ったが、必要以上に味が濃いんだよ。……ソフィア嬢がこの味を好むからと言って、料理人達は取り合ってはくれなくてね、私も困っていた。そもそも、一人の者に合わせてしか料理を作らないなんて横着し過ぎだ。健康を言うなら各々違う。王族に対しても一律だなんて言わないよね?」
こちらもなかなか喧嘩腰ね。
「後、ソフィア嬢だけ優遇し過ぎじゃないか?地位だけで言うならソフィア嬢と私は対等。王妃候補と言うならここにいる全員が対等な筈だろう。地位や名声など何一つ関係無く、最終的に王となる王太子殿下が一人の人間を見て判断なさるんだ。……誰かを、見下している時点で人間性が透けて見えるぞ」
あら、あらあら……素敵。
やはり、お友達になりたいわ!アナベル嬢!