14、舞台裏の道化(side.G)
小箱の蓋を閉じる。
身体から力が抜けて、背凭れに身を預けてしまう。
出てくる溜息は、悔しさか、哀しみか……或いは愛おしさからか。
沢山の感情が、今、自分な中で入り交じっていた。
「随分、笑える面してんじゃねーか」
「そちらも……似合わない格好だね」
記憶の男とは違う、魔法使いの格好。
本当は似合わない訳ではないが、こう言った方が喜ぶだろう。
「この方が都合が良いからな」
返しの方が似合わない。
向かいのソファーに遠慮無く座り、私の前に置いてある小箱を自分の方に引き寄せた。
「自分のやることが理解出来たか?」
「こんな物無くても解っていたよ」
「だが、前はそれを全う出来なかったんだ。お前自身からの警告を今一度刻めよ」
言われるまでも無い。
それでも、今の私には重たい言葉だった。
一度は何成せずに失ったから。
小箱は、記憶。
私達が否定した事実を閉じ込めた。
私達の命運を、私達自身に刻む為にここに在る。
【危ない魔法使い】
ディナの魔法使いが私の元に来たのは、ディナと別れた後の早朝だった。
寝ずに、救うことだけを考えていた時だ。
魔法使いは私が誰かを知っていた。
恐らく、初めて顔を合わせた時から知っていたのだろう。
「王子様が抜けてて心配だわ」
小さく喉を鳴らして笑い、魔法使いは私の前に小箱を置いた。
「王子様の想いは強過ぎる。想いと共に閉じ込めた魔力がお姫様に反応して暴発しちまったんだ」
指先で、開けろという様に小箱を叩く。
立場のある自分が不用意に開けて何かあれば大事になるが、小箱から私の魔力を感じ、手を伸ばさずにはいられなかった。
小箱に触れ、改めて私の魔力を強く感じた。
開けるまでもなく、中から溢れてくる様に蓋は開く。
頭の中に沢山の光景、沢山の感情が流れ込んできた。
情報量は多いのに、“自然”と処理していく。
「……セレン」
流れ込んできた中に、愛おしい女性がいた。
私が一生を懸けて償わなければならない女性。
私が、大切なものを全て奪ってしまった……。
それなのに、彼女はまだ奪われ続けていた。
その生命まで……。
こんなものはまやかしだと言ってしまいたかったが、既に起きたことだと私の頭は認識していた。
目の前の、魔法使い……魔法使い?
そんなモノにはなり得ない彼が何故そう名乗っているのかは知れないが、彼が自ら動くのなら、事実で間違いない。
交わす言葉は彼らしく、皮肉ってくる。
懐かしむ程、親しさはないが、安心した。
私の頼みを聞いてくれたと解るものだったからだ。
「お前自身からの警告を今一度刻めよ」
あぁ、解っている。
私は、もう間違えたりはしない。
過去の自分が残した、記憶を閉じ込めた小箱を手に取る。
これは、私の記憶ではあるが、もう私の中には戻らないものだ。
私の中には刻まれることの無い記憶。
「警告は刻む。だが、これは私の記憶にはならない」
今度は、護る。
この生命を懸けても、護り切ってみせる。
小箱を、私は燃やした。
私の、黒い炎で跡形も無く燃やし尽くした。
彼は口角を上げ、にやりと笑った。
この答えは気に入ったらしい。
少し首を傾け、深く被ったフードからギラギラとした獣の眸を覗かせた。
その眸は、私を見定めるものだ。
私は、まだ貴方に認められた存在ではないから。
いつか、認められたなら……彼女と一緒に生きていくことが許されるだろうか。
……今は、そこまで考えるべきではないな。
彼女にも、許されてもいない私が。
その日の朝の内に、ミュロス公爵を含めた上位の貴族を集めた。
ディナがソフィアを故意に傷付けた、と触れ回り、重く罰しようとしている連中だ。
碌に調べず、即刻罰をと訴えてきていた。
この国にいる貴族は殆どが無知で愚かだ。
他の国で出世出来ないから、貴族のいない国に入り込んで高い地位を得ようとする奴らが利口な筈はないか。
「エト、貴族が馬鹿しかいないと思われそうだな」
側近であり、護衛の騎士であるニュイテトワレに言うと、いつもの冷めた目を向けられる。
一応、私は上司なのだけど……。
「勿論、エトもノワール家も違うよ?」
「別に馬鹿でも構いません。御身を護る騎士というのに毎度逃げられてしまう無能な護衛なので」
「……ごめん、て」
と言っても、本気で追われたら私に逃げられる筈はない。
態と、見逃してくれている。
感謝しているよ。
集めた者達の元に向かっている最中の他愛ない会話だった。
エトの黒髪と色は違うが薄い眸の色を見て、彼女を思い出す。
早く片付けて安心させたい。
「待ちなさい!」
私に向かって、そう言って呼び止めるのはこの王宮でたった一人。
「……どうかしましたか、母上」
亡くなった王の第二妃の立場にあった、私の母だ。
「どうもこうも無い!お前が何故公爵達を呼び出す!?」
「母上にはお解りでしょう。無実の者を裁こうと言っているのに誰も止めようとはしないのです。なれば、私が止めるしかありません」
「無実?ソフィアは酷い傷痕を残すことになった」
「母上……母上は聞いている筈ですよ。黒い炎は私の炎なのですから」
「それでも、あの者だけが無傷だ。何もしていない筈はないだろう」
そこまでディナを陥れたいのですか……。
「それについては解りませんが、ソフィアの怪我は私の魔力を込めた魔道具が原因でしょう。黒い炎が上がった時にソフィアは小箱を持っていたと聞きました。つまり、本来ならば、王宮の……私の物を勝手に持ち出したソフィアを裁くべきなのですよ」
今回のことが無ければ、私の元にあの小箱が戻ることは無かったかもしれない。
それを考えたら、許しがたいことだ。
「何を言っている!まさかソフィアに罰を与える気?」
「いえ、あの子は私の炎で傷付いたので十分罰を受けたと言えるでしょう。しかし、私の物に勝手に手を付ける者を私は傍に置くつもりはありません。妃にすることは無い」
「なっ……お前はあの子を大切にしていただろう?」
「えぇ、妹の様に想っていましたよ。だから、私が責任を持って良い嫁ぎ先を探します」
ソフィアが期待していたのも、母がそんなあの子を焚き付けていたのも知ってはいたが、私は線はしっかり引いて付き合ってきたつもりだ。
愛している、好き、どちらの言葉も言われても返したことは無い。
妃にすると言ったことも一度も無い。
昔から、私の心には……一人の少女しか、いなかったから。
母はソフィアを諦め切れないのか、食い下がってくる。私の腕を掴み、貴族達の元へ行こうとするのを阻む。
「ソフィア程良い娘はいない!家柄も、魔力も、その美貌もお前に相応しいだろう?幼い頃からお前を誰より慕っているというのに。何故、そんな酷いことが言える!?」
「母上こそ、罪の無い者に罰を与えようとしたのですよ。その方が余程酷い」
「罪が無いことは無い。あれは卑しいくせに弁えもせず、ソフィアや他の貴族の娘達に対し大きな顔をしているのだ。正すべきところは正さねばならぬ」
卑しい?
可笑しなことを言う。
だが、戴冠を終えていない私には母程の権限は無い。下手に逆らえば、ディナを危険に晒すことにもなる。
「母上は貴族派ですから、貴族以外に力を持たせたくはないのでしょう?彼女の家はブランシュ。古来から大きな権限を与えられてきたものの貴族ではない家ですから、彼女が私の妃になるとせっかく安定してきた情勢がまた崩れないかと心配なのですよね?」
「……そうだ。それに、身分は安定した社会には必要なもの。王族は王族に相応しい高い身分の者が伴侶とならねば、王族としての品格が保てぬ」
母は、私の言葉に口元を歪ませ笑った。
私が望む通りの認識を見せたからだ。
……母には、私がそこまで愚かな息子だと思われている。虚しくなるな。
まぁ、今はそれで良い。
本当のことに触れれば、強行な手段を取る可能性があるのだから。
「ならば、尚更ソフィアを妃には出来ないでしょう。品格を落とす行いをしたことは事実なので。候補として残すことは構いませんが、私の妃にすることだけは認めません。ブランシュ家の娘は候補者として残し、他の三人と平等に教育を受け、適性を見ます。選んでおきながら、不平等では我々王族の品格が問われますから」
「……分かった」
では、と一礼して向かおうとした。
母は、まだ私の腕を離さない。
「……母上」
「私が貴族達には言っておく。お前の炎については明かすべきではない」
そうやって、私を守ろうとする。
黒い炎は魔導大国でも、不吉なものとされていた。
一国の王となろうとする者が持っていれば、国が揺れるのは確実だろう。
貴族達は、魔導大国の民ではなく、外から来た者達。魔導大国の民より寛容ではない。何より黒に対しては特に……偏見を強く持つ。
母は貴族達の気持ちを私達から離したくないのだ。
これまでも、魔道具を身に付ける様に言われ、黒い炎ではない普通の炎と偽って見せてきた。
まだ、隠す方が得策ではあるかな。
この先、何があるか分からないのだから、隠し球として持っていても良い。
「ソフィアを候補から外し、ブランシュの娘に不要な罰を与えないと約束して下さるなら任せます」
「仕方があるまい」
渋々だろうが、了承してくれた。
その足で母が貴族達を待たせている方へと向かっていく。
見送り、姿が見えなくなった頃に一息吐いた。
「宜しかったので?」
「たぶん宜しくないね。自分の都合が良い様に言葉を加えて貴族達には言うだろうから」
どう都合良く言うのか気にはなるが、言ったことは守るだろう。
でなければ、私の信頼を損なうことになるから。
あの母はそれはしない。
ニュイテトワレもずっと私の傍にいて気付いているから、深く切り込んでは来ない。
「……エトは他の貴族の違うから敢えて聞くけど、君は私の味方になってくれる?」
護衛をしていても、味方とは言い切れない存在。
本来、護衛につくことも可笑しな存在だ。
私が斬られたとしても、それは極“自然”なこと。
「私も、ノワールも、王家に全てを捧げています」
「狡い答えだね」
私の味方ではない、と遠回しに言われてしまった。
まぁ、それが正しい。
いざという時、だからこそ、一番信頼出来る。
「さて、戻ろうか」
「はい、グランディミオン王太子殿下」
ほんと、良い性格だよ。
普段は呼びもしないくせに……。