12、忘れた哀しみ
「女の部屋に夜這いをかけるなんざ、お前にはまだ早ぇぜお坊っちゃん」
その者は、突然会話に割り込んできた。
来てほしい時にすぐに来ないくせに……。
反射的というものだろう。
グランは私を庇う様に背に隠し、剣を抜いた。
切っ先を、侵入者──大魔導主に向ける。私からしたら、どちらも侵入者なのだけれど……。
「何者だ?」と問うグランに対して、大魔導主は何故か拍子抜けという様に肩を竦めた。
「お姫様と逢っているから期待したが……お坊ちゃんは抜けてんなぁ」
「……何の話だ?」
問いに答えないので警戒を強めたグランに後ろから「知り合いだから大丈夫」と警戒無く言っておいた。訝しむ表情は取れなかったが、剣は下ろしてくれた。
夜は、まだ続きそうだ。
【危ない魔法使い】
私達は声を潜めていたが、大魔導主は普段通り。
扉の外には騎士がいるから、と気を付ける様に言うとあっさり「防音にしてるに決まってんだろ」と。私が知らなかっただけで、ここに大魔導主が初めて来た時から魔法が掛けてあったらしい。
……そういう大事なことは言いなさいよ。
恨めしい気持ちで見やれば、馬鹿みたいに笑われた。グランとは違って、真正面から喧嘩を売ってくるタイプだ。腹が立つ。
こいつもいつかぶん殴ってやるんだから。
「それで、貴方は誰だ?」
大魔導主に突っ掛かっていた私はグランに引き戻された。「近いよ」と注意?をされるが、グランの方も十分近い。
大魔導主は笑い続けていて、いったいどういう状況だと言いたくなる。
「お姫様に雇われた只の魔法使い」
「お姫様ってディナのこと?」
「他に誰が?」
うっ……恥ずかしい。
だから、やめてと言っていたのに……。
それに、只の魔法使いではないだろう。
いや、大魔導主の身分は隠しておいた方がいいか。
国一の魔法使いが私みたいな田舎娘に協力していると知れたら大事になる。
魔法使いを雇っている理由は、私が魔法を使えないから、としておいた。魔法が使えない状態で一人家族と離れるのは不安だから、と加えたら深く突っ込まれることはなく、一応納得してくれた。
こういう未熟なところは理由に使えるから、あって良かった。……いや、良くはないが。
お姫様呼びも、雇い主だからで済ませた。
「それはそうと、お姫様の状況は良くないな」
それで、久しぶりに顔を見せたのか?
「良くないって?」
私が聞くより先にグランが聞いた。
「お姫様が例の嬢ちゃんを狙ったんじゃないかって話になってる」
「ディナがそんなことする筈がないだろう」
「奴さんはそうは思わないんだよ。評価の一番低いお姫様が王妃になりたくて他の候補者……特に王妃確実と言われている嬢ちゃんを潰そうとしたんだろうってミュロス公爵が言い出してな。お姫様が無傷なことが理由だとよ。自分の娘の生命の恩人に対して酷い言い草だよなぁ?」
やはり、疑われていたか。
扉の前の騎士達はミュロス公爵が手配したものかもしれない。
「公爵家が正式に訴えた。第二妃がしゃしゃり出てきたから重く罰するつもりだぜ?」
「なら、調べるまでも無くディナが関係無いことは分かる筈だ」
「分かってても罰するんだよ。邪魔な存在はな」
分かっているんだろ?と視線で問い掛けている様だった。
かつても、こうして罪にされた。
調べたら、分かる筈だ。
今回のことは魔法によるものなのだから、魔力を調べたら誰のものか分かる。
それをせずに、私をまた裁く?
何故、そこまでする必要があるのだろう。
私は只の候補者で、今は王妃になれる可能性も低いのに何故。邪魔になる程ではない筈だ。
訳が分からない。
「罰するというけれど、どんな……」
聞きたくないが、どこまでのことをされるのか。
高位の貴族相手の罪。
生命も危うくなるのでは……。
「良くて、腕を切り落とすぐらいはやるんじゃねぇの?」
良くて、だ。
悪かったら、確実に死でしょ?
落とされるかもしれないと聞いて、自分の腕を抱いた。
死にはならずとも、腕を棄てる気もない。訳も分からないことで。
早いが、逃亡も考えなければ……。
「させないよ。そんなこと絶対に」
「そうか。じゃあ、お坊ちゃんに今回は任せる」
え?任せるって?
「すぐに何とかするから、安心してディナ」と私の肩を一度軽く叩いて、グランは窓から飛び出していった。
行動が早いのは嬉しいが、説明も無く、只任せて……って。
窓の外を見たら、走っていく後ろ姿が見えた。
「息子だからって公爵を止められるの?それに、第二妃のことも……」
「誰が誰の息子って?」
「彼、ミュロス公爵家のご令息なのよ」
「え?マジで?」
お坊ちゃん呼びしていたから知っているものだと思っていたけど、知らなかったのね。
この男のことだから興味が無いだけか。
……ん?ということは、誰か知らないのに任せたっていうの??
「ちょっと、あな……」
「黒い炎ってのは本当か?」
「何……」
文句を言おうとしたら、止められた。
この男は本当都合の悪いことは聞かないわね。
「ソフィア嬢の腕を燃やした炎のこと?」
「何燃やしたかは知らねぇが、たぶんそれ。お姫様を危うくした原因だろ?」
「いい加減ね。……そう、黒い炎だったわ」
大魔導主なだけはあり、知っている様だ。
「あなたの所為で聞きそびれたの、あれは何?」
「あれは呪いから生まれた炎だ」
「呪い?」
「魔法が“自然”であるなら、呪いは“不自然”。つまり、あの炎は生まれてはならないものだった。燃やしたモノは元に戻ることは無ぇし、“自然”の炎では燃やせないモノまで燃やせる」
「“自然”の炎では燃やせないモノって……例えば?」
「例えば、人の心。魔力は心を動かす、言い換えれば心を燃焼させて生まれるものだ。心が燃え尽きることはない。だが、黒い炎が燃やすと、何も生み出さず、本来燃え尽きることのない心を燃やし尽くす。心を殺すという方が解り易いかもな。燃やす、動かす心自体が失くなり、心から生み出していた魔力も生み出せなくなる」
そんなに危険かものだった?
不用意に触れてしまったが、何事も無かったことは幸いだったと思うべきだろう。
とても、温かなものに思えたのに。
ということは……。
「小箱持っていたら危険ってことかしら?」
仕舞っていた、黒い炎を上げていた小箱を取り出して、大魔導主に見せた。
口元しか分からないが、見せた途端、口を開いたまま固まった。
そして、これまでに見たことが無いぐらい声を震わせる。
「なんで、お姫様がそれ持ってんだよ!!」
「まさか」「嘘だろ」「あの坊っちゃん何してんだ?」とぼそぼそと言いながら頭を抱える。
訳が分からない。
「中開けたか?」
「……開かないもの」
初めて触れた時に開いたが、中は見えなかったから開けたという必要は無いだろう。
「開かない?……そうか。じゃあ、俺が預かる」
やはり、危険なの?
差し出してくる手に乗せた。
乗せてから、それで良かったのか心配した。
私が持っていても、黒い炎は上がらなかったが、大魔導主は大丈夫か。
暫く見ていても、変化は無かった。
「ま、もう暫く大人しくしてな、お姫様は」
「あなたは何もしないの?」
「どうにもならない様なら手伝ってやるよ」
「顔も見せなかったくせに……」
「何、寂しかった?添い寝してやろうか?」
「馬鹿!」
魔法使いとして優秀な様だが、性格面は最低だ。
何が添い寝よ。
淑女に言う言葉ではない。
「もう寝ます!邪魔しないで」と言ってから、ベッドに入り直した。
扉の前にいる騎士達のことは気になったのに、同じ部屋の中にいる大魔導主のことは気にならなかった。むしろ、いてくれることに安心していたのかもしれない。
眠れなかったのが嘘の様に、すぐにうとうとし始めて眠ってしまった。
もう夢に入っていたのか、まだ現なのか。
頭を撫でられた。
優しい、優しい撫で方。
「俺の“カミサマ”の為に生きて、お姫様」と少し寂しそうな声が聞こえた気がした。
あなたの“カミサマ”……
私に、とっては“────”…………
遠い昔の夢を見た。
ガンとも出逢う前の……。
私達はずっと一緒だった。
この先も、ずっと一緒の筈だった。
さみしいよ……
朝起きて、涙の痕に気付いて顔を両手で覆った。
何か哀しい夢でも見たのだろうか。
夢など、起きたら忘れてしまうことばかりだ。
幼い頃、領地の家でもよく夢を見て泣いていたらしいことを思い出した。
もう、そんな幼い子供じゃないのに……。
生命の危機が迫っていることに、不安になったからか?
ただ、待っていろと言われている状況だ。
大魔導主も任せたグランを信じて、待つしかない。
いざと言う時は、私は一人でも逃げる。
必ず、生き残ってみせるわ。
だらだらとしていても、仕方がない。
顔を洗い、気を引き締めて、いつ来るか分からないお達しを待つ。
この日は、誰も来なかったけれど……。