11、黒い炎
「からかわないで」
触れている手が、熱くなっていく。
前も少し熱さを感じたから、これは魔力だ。
グランの魔力で熱くなっているだけ。
「からかっていないよ」
ほら、触れていないところも熱で擽ってくる。
胸の奥に感じる熱さも、きっと……。
【危ない魔法使い】
明確な言葉は無かった。
グランも敢えて避けたのだろう。
半端な関係に名前など無く、先も無い。
どういう理由があっても、私は、今は王妃候補だから。この先、婚約者となるかもしれない。
王太子殿下には伝えられただろうか。
かつては只その座に納まっただけ。
協力者という形になれば、気構えは違ってくる。
殿下からも情報を得られ、以前の様なやってもいない罪に問われる可能性も低くなる。
他に何か、信頼を得る方法はないだろうか。
私が生き残る為の、確固たる信頼。
不出来な候補者を演じてきたが、出来るところを見せる必要があるだろう。
使えない者では協力者として置いても邪魔にしかならないのだから。
一通り、学んできたから、まだ全ての教育が終わっていない他の候補者達よりも出来ること、知っていることがある。
早く、グランと逢いたい。
……飽く迄も、王太子との繋ぎの為の話だ。
また暫く、グランとは逢うこと無く過ごした。
大魔導主も姿を現さず。
……あの林檎泥棒、いったい何処に。
一応、用意してある林檎達が二、三日に一度一つも残らず消える。
次に私の前に現れたら、これ以上無いというぐらいに扱き使ってやる。
タダ食いは許さない!
複製には一応「ディル」と名を付けた。
これといって変わりもないので、試しにディルに代わりに酒場に向かってもらうということもしてみた。
場合によっては、必要になるかもしれないからだ。
……酒場の方は休めば良いのだが、悠々自適の為の蓄えは多いに越したことはない。
ディルの報告には無かったが、城に残ってみて気付いたことがあった。
久しぶりに見たソフィア嬢の纏う空気感が刺々しく感じた。
最後に逢ったのは、グランと二度目に逢った時より前だったか。だいぶ前だな……数ヵ月経っている。
それだけディルに城でのこと任せきりにしていたのだと気付き、反省する。あの子にも休息日をあげよう。休みが必要かどうかは分からないが。
……ソフィア嬢の話に戻る。
前は常に笑顔を絶やさなかった彼女が、不機嫌を隠さず、心配するリリアーヌ嬢とルネ嬢、キャロライン嬢に当たることもあった。
殿下と逢えていないからだろうか?
庭で、一人でいるところも見る。決まって、可愛らしい小箱を手にしていた。
特別な物なのだろう。
ソフィア嬢を捜しに来た侍女が小箱を預かろうとすると、「触らないで!」と声を荒らげ、侍女を突き飛ばしていた。その様子は、当の侍女や私だけではなく、声を聞き付けた候補者達や使用人達も驚く程。
そこまで感情を露にするということは、殿下から頂いた物だろうか。
触れるべきではない、と思うが……微かに見えた小箱の紅い石に目を奪われた。
そして、何故か、あの小箱を取り戻さなければと思った。
取り戻す?
私の物でもないのに、何故……。
訳も分からず、目を反らそうとした時、黒い火花が散った様に見えた。
「キャアアアアアッ」と上がる悲鳴。
ソフィア嬢のものだ。
手元が燃えている?
燃えているのは……小箱の様だった。
見たこともない、黒い炎に包まれていた。
周章てて侍女が取り上げようとするが、侍女の手にも炎は移る。
強く燃え上がっていく異様な炎に周囲も怯え始め、逃げ出す者もいた。
水の魔力を持つ者達が前に出て鎮火させようとするが、炎の勢いは増していく。
このままではソフィア嬢も彼女の侍女も危ない。
しかし、私に何が出来る?
魔法の使えない私が……。
頭で考えたところでどうすることも出来ない。
近くにいたアナベル嬢に呼ばれたが、私はそこに近付いて行った。
近付く度に黒い炎の熱を感じ、高まっていく。
異様といえば異様。
けれど、他の者が口にする様な怖れは無かった。
私も燃やされるかな……。
ソフィア嬢の手の中にある小箱に手を伸ばす。
熱い……熱さはあるが、これは私を燃やさない。
「……鎮まって、私はここにいる」
何に、語り掛けているのだろう。
頭がぼんやりとする。
小箱に触れると熱いというより、温もりを感じた。
微かに蓋が開くと……。
誰かの声が聞こえた気がした。
ぼんやりしている頭では処理出来ず、ソフィア嬢の手を剥がすことに専念する。
離したくないのか、小箱を持つ手に力が入っていた。
構わず指を剥がしていく。
「いやぁ」とか細い声を出し、奪われない様に抗ってくる。
馬鹿なのか?と思ってしまう。
だが、死にたがりを死なせてやる義理は無い。
少し強引になるが、突き飛ばして離れさせた。
まだ小さな身体はあっさりと離れ、尻餅をつく。
助けたのだから無礼にならなければ良いが……彼女は目尻を引き上げ睨んでくる。
どうなるか、不安だ。
黒い炎は、ソフィア嬢が離れてすぐに小さくなっていき、消えた。
まだ傍にいたソフィア嬢の侍女は崩れ落ちる様にその場に倒れる。
ソフィア嬢も侍女も肘まで焼け爛れていて、すぐに治療の為に運ばれて行った。
魔法での治療になるから、大丈夫だろう。
手の中に残った小箱を見て、一息吐いた。
公爵家のご令嬢、白き聖女、王妃候補の筆頭、次期王妃と名高いソフィア嬢が怪我をする事態。
穏便には済む訳はなかった。
しかも、同じく黒い炎に触れた私が無傷だったこと。
良くないことになりそうだ。
その日の内に、謹慎を命じられた。
小箱はまだ私の手元にあるが、あれから何の反応も無く、蓋も開かない。
見た目は可愛いくせに、可愛くない小箱だ。
いつ、誰が来るか分からない部屋にディルを置いておく訳にはいかないので、外に出てもらい、私は一人部屋で待つ。
ディルを残し、私が外に出る選択肢もディルからされたが、残したディルに何かあると後味が悪い。
複製には生命は無いと聞いたものの、何となく……嫌、だった。
それより。こういう時にも姿を見せない大魔導主はやる気があるのか!?と問いたい。
もう三日経っていた。
外の様子を知りたくて扉を開けると、扉の前には監視なのか、強面の騎士が二人立っており「戻れ」と低い声で言われた。
扱いが王妃候補に対するものじゃないのだが……。
まさか、罪人扱いじゃないだろうな?
いや、食事がパンとスープだけの簡素な物になっているので、その可能性は大いにある。
まぁ、私は普段の濃い味付けの如何にもご馳走という料理より、こちらの方が美味しく頂けるが……腹は立つ。
私が何をした。
むしろ、ご令嬢を救った恩人なのだ。
……腹は立つ。
夜になっても扉の外には人の気配があり、気持ちが悪い。
いると気付いたら落ち着かなくなり、ベッドに入っても眠れなかった。
灯りを全て消すことにも抵抗があり、ランプの灯りだけは残し、目を瞑って何度も寝返りをうっていた。
眠れない。
寝不足になったらどうしてくれようかしら?
苛立ちが募っているのに、更に窓を叩く風の音までする。自然相手に文句を言っても仕方がないが、せめて静かにしてほしい。
眠れないついでに風の具合を見ようとベッドから降りて、窓に近付いた。
…………?
月の少ない明かりで見ると思ったより、風は吹いていなかった。
窓を開けても、今は静か。
少し冷たくはあるが、優しい風が吹いている。
強い風は一時的なものだった様だ。
静かになったなら、頑張れば眠れるかもしれない。
安心はしないが、気にしない様に努めよう。
深呼吸一つしてから、窓を閉めようとした。
何かに阻まれたことに気付いた時には、私の上に覆い被さる様にそれが入ってきた。
声を上げる前に口を塞がれて、押し倒される体勢になっていた。
暗くて顔がはっきりと見えない。
暗殺……される程の立場にはまだない筈では?
抵抗は危ない?
そのままでも危ない、のか……。
どうしたら、良いのだろう。
こんなことは初めてだ。
「君に危機感は無いのか?」
あれ、この声は……。
「大声は出さないでね」と言われて、口から手が外された。
まだ暗さには慣れないが、薄らとは見えてくる。
「どうして、ここに?……グラン」
声が、グランのものだった。
「昼に酒場近くでディナによく似た子がいてね。話を聞いて、心配になったんだよ」
……ディル、無事なのね。良かった。
ディルから聞いて来たって、妹のことは聞いていないの?
「……私を心配して、来たの?」
「うん。君に何かあったらって考えたら苦しくて、すぐに逢いに来たかったけど……人目があって、こんな時間になっちゃった」
「そう……今のところ、大丈夫」
いや、大丈夫じゃないか?
未だに押し倒された体勢のままなんだけれど……。
落ち着かなくて、身動ぎしてしまった。
グランもこの体勢のままだと気付いたのか、口元を押さえて「ごめん」と私の上から退いた。少し、声が震えていた。
やめてほしい。そんな、意識しているみたいな態度を取られたら私まで……。
身体を起こしてから、頬に手を当てた。
顔が熱い気がするが、気のせい。
気のせいと思わないと。
一応、声を潜めて会話をしているから、扉の外にいる騎士達には気付かれていないだろう。
見付かったら、大変なことになる。
こんな時間に、男を部屋に入れているなんて……。
いや、男なんて、いつも入れていたじゃない。
大魔導主だって男なのに、グランだけを意識するなんて可笑しい。
話をしなければ。
「えっと……ソフィア嬢の方は大丈夫なの?」
まずは気になっていることから。
部屋から出られず、扉の前にいる騎士達に聞いてはみたが、睨まれただけで答えてはくれなかったことだ。
グランは私の傍に座り直して、答えてくれる。でも、肩が触れる程の距離感というのが……んんっ。
「ジェリーの話じゃ、腕に痕は残るだろうって」
「そう……」
必死に意識を反らして、ソフィア嬢のことを考える。
痕は、残ってしまうのか。
あれだけ美しく、自信に満ちていた少女だ。辛いだろう。
「ソフィアの腕を燃やしたのは、黒い炎だったって聞いたけど……本当?」
「えぇ。あなたはあれを知っているの?」
不思議な炎だった。
ソフィア嬢達の腕は燃やしたのに、私の手は燃やさなかった。
人の様な意思は、たぶん無い。
だが、炎から誰か想いは伝わってきた。
誰かに『償わなければ』と。そして、誰かの幸せを願っている様な想い。
何か聞けたら、小箱についても分かるかもしれない。
「うん、一応ね。でも、あれがここに現れるなんて、どうなっているのか」
「何なの?あの黒い炎は」
「私にも詳しくは分からない。ただ、あれは……」
「女の部屋に夜這いをかけるなんざ、お前にはまだ早ぇぜお坊っちゃん」
良いところに割り込む、聞き知った声。