5、穢れた水
「羨ましい、か……」
グランが隣で小さな笑いを零す。
何に対しての笑いなのか。
馬鹿にしたものとは違う。
……少し、何かを、誰かを憐れむ様な笑いだった。
【危ない魔法使い】
歩きながら、何処に行ったことがあるかを聞かれた。
治安の悪い場所のことは言わない方が良いだろう。
窓からロープで降りたり、木登りも危ないと言う者だ。そんな場所に行ったと言えば、また口煩くなると容易に想像出来た。
無難に主要な通りと住宅街と答えると、「君ならもっと危ない所にも行っているかと思った」などと返されて、胸が跳ねる。
「そんな所行きません!」と思わず声を荒らげてしまう。否定したのに、「困った人だね、君は」と行ったことを前提にした様な言葉が返ってきた。
そして、「こっちに行こう」と私が王都に来てから行ったことの無い西側に足を向ける。
王都の西側は、あまり整備されていない地区だ。
治安が悪いとも言われており、お兄様にも護衛達にも行かない様によく注意された覚えがある。
大魔導主と出逢った場所は東側で主要な通りから少し反れた程度。治安は悪く、寂れた雰囲気ではあるが、高い建物が建ち並んでいた。
グランに連れられて来た場所は、平屋が多く、古い家が点々とあるだけ。整備されていない道には雑草が生え放題で、木々も多い。
治安が悪いと言うけれど、街の雰囲気はこちらの方が私は好きだ。
「君はやっぱり変わっているね」
「失礼では?」
「悪い意味じゃないよ。こういう場所に連れて来たら大体の人は不快な表情をして、君みたいに目を輝かせたりはしない」
「はぁ……」
そういうものなのか?
空気感が……住民の表情が長閑とは言えず、殺伐としているのだけは頂けないが、良い場所だとは思う。
「この辺りも含めた西から北側に掛けては税を払えない貧民区になっているんだ」
「王都にもこんな場所が?」
「私が生まれる前は農業区だったらしい。税が納められなくなり国からの支援も失くなった所為で、現在は自分達の食べる分を作るのが精一杯になっている状況だよ。だが、それもいつまで続くか」
「何故そんなことに……」
「他の土地の安くて質の良い物を大量に仕入れる様になって需要が減ったからだ。王都は只でさえ他より物価が高いからね。皆が安い物を求めたんだよ」
殺伐としているのは、その日暮らしの為か。
「税を納められなくても受けられる支援があった筈では?」
「国の損になるからと貴族達が止めさせた」
「まさか……」
「今は貴族が国を牛耳っているんだ。そして、奴らは金儲けしか考えていない。他の土地の物を安く大量に仕入れて売らせているのも貴族達だからね」
同じ貴族でも、憂いている様だ。
グランに付いて行くと、井戸の前で足を止めた。
手慣れた様子で桶で水を汲み上げて、何処から出したのかカップに入れ、私に差し出す。
「美味しいよ」と先程の憂いを消した笑顔で。
「あ、私……王都の水は身体に合わないの」
「それって、街で売られている飲料水や城で出される物?」
「そうだけど……」
それ以外何があるというのか。
「あれと、これは違う物だよ」
「違うの?」
「あれも貴族の金儲けの代物。魔法使い達に精製させた物で、あれを飲むと魔力が高まるって言われている。売られ始めてから優秀な魔法使いが沢山生まれてきているらしいから、飲料水はあれが主流なんだよ」
「そう、なの……」
あれは、湧水じゃなかったのか。
ブランシュの領地では水は湧水で買う物ではなかった。王都は買うのが一般的だから、文化の違いとばかり思っていた。
カップを受け取り、口を付ける。
……あ、領地の水と似た味がする。
売っている水や城で出されていた水は少し苦味を感じていたけれど、この水は甘味がある。
「美味しい」
「良かった。身体に合わないってことは他から水を取り寄せているんだろ?それだとお金も掛かるし、大変だから、こっちの水にしたら良い」
「良いの?」
「あぁ、その代わり、ブランシュ家には少しここの支援を頼みたい。お金でも良いし、魔法でも良い」
「お兄様に話してみます」
「うん、ありがとう」
これは意外と良い情報だ。
グランに付いて来て良かったかもしれない。
お兄様にお手紙を書かねば。
領地の方から常に運んでもらわなければならなかったので、心配もあった。
遠い領地からだと天候を理由に数日遅れてしまうこともあったからだ。ここから運べるなら、届かず仕方なく数日の間あの水を飲んで苦しまなけらばならないということも無くなる。
むしろ、私の方が「ありがとう!」だ。
空になったカップを返すついでに手を握り感謝を伝えた。
先程、窓から降りる時にも握ったのにグランの顔が少し赤くなる。
自分から平気だが、人にされると照れるタイプか?
私の脚を見た時も照れていた様にも思うし……意外と初心なのだな、公子殿は。
からかいたいところだが、ちょっとしたことが私の生命を縮めるかもしれないのでしない。
話は元に戻してみるか。
気になることもある。
「でも、何故、魔法使いが作った水が身体に合わないのかしら?精製されたものなら、より良い水だと思うのですが……」
魔法が使えない代わりに魔法についての知識は高めてきたつもりでいたが、分からなかった。
魔法使いが生み出す物は、自然にあるものより、純度を高めることも身体に良い物を含ませることも可能だ。細かく指定した内容で作る受注精製品の人気が高まっている程。
「本当は、良い物じゃないからだよ」
「…………?」
「君と同じ様にあの水を口にして体調を悪くする人は他にも結構いるんだよ。多くは幼い子供だ」
幼い子供、と言う時に私に目を向けたのは何故かしら?喧嘩を売られた?
「なんで、子供ばかりなんだろうね」
「……魔力への耐性が低いからとか?」
「私も、そう思った時もあったよ。でも、ある人が言ったんだ。『“魔”は人を惑わすものだから』って。その“魔”というのが魔力だとしたら、純粋な子供達に悪影響を与えているんだろうね。魔力は人の心からも生まれるものだから、邪な心からは生まれた魔力は穢れたものだ。人の不幸も考えず金儲けのことだけ、そういう奴らの魔力で作った水が本当に良い水だと思う?」
良い、とは言えないかもしれない。
「君ぐらいの年頃になったら、皆あの水に慣れるんだ。初めて飲んだとしても、何ともない。既に、あの水と同じモノに染まっているのかも」
あの水と同じモノに……。
「君は……ディアーナは、まだ純粋なんだね」
近い距離感で、囁く様に言われる。
初めて、グランに名前を呼ばれて胸が跳ねた。
ずっと「君」だったのに。
それに、自分はもう違う、と言っている様に聞こえる。
貴族達のしていることを憂いている様に見えるのに、自分もその貴族達と同じなのだと。
私も、違う。
自分がグランの言う純粋だとは思えない。
「純粋な人間は、もっと人を信じられるわ」
「信じられないの?」
そう信じられない。
でも、それは……。
「私のことを信じてくれる人がいないんだもの」
必死に「違う」と「信じて」と叫んでも、誰にも届かなかった。
いつしか無意味だと諦めて、私自身も誰かを信じることを止めた。
「私は信じているよ、なんて軽々しくは言えないけど……ディアーナは、信じようとしているよ」
え?
「私のこと警戒しているくせに、恐る恐るではあるけど応えてくれているからね」
窓から降りる時。
抜け穴を教える時。
案内をされている時。
水を受け取り口にする時。
話の内容も、真実とは限らない。
「信じているよ、君は人を」
「……わ、私は…………それが、自分に都合が良いから……」
「都合が良くても、危険を孕んだことはあったよ?」
「………………」
「ソフィアの兄だから、私を警戒しているんだよね。候補者同士はライバルで、その身内なら排除しようとするかもしれないから。貴族達の間でもあることなのに、身分の違う君にはもっとキツイことだろう。それでも、窓から降りる時に身を委ねてくれたし、私の差し出す水を口にした。こんな人気の少ない所にも付いて来て、私が悪い人間だったら襲われていたよ?」
「それは、あなたが……悪い人間には見えなかったから……」
我ながら酷い言い訳だ。
だが、悪い人間には見えないのは確かで……。
え、本当に悪い人間だったら、ここで死んでいた?
歳は変わらないぐらいでも、私より背は高く、肩幅もある。魔法の使えない私ではどうしたって敵わない、だろう。
今更、怖くなるなんて……胸に手を当て、少し早くなった鼓動を確かめる。
「人を見る目はあるのかな?他の奴が相手でもそうだと心配になるけど」
俯いてしまっていた私の顔を覗き込んで来るグランの所為で、更に鼓動が早くなる。
初めて見た時と同じ、その眸が鮮やかな薔薇の色に輝いて見えたから。