1、あなたと同じ眸
出逢いは最悪だった。
と言って、後に笑い合えたら、その出逢いは最高のものだったのだろう。
「そこで何をしている!」
こっそり城を抜け出し、こっそり城に戻るべく、壁に跳び移れる高い木をよじ登っていた。
そこに突然下から声だった。
驚いて、上手く手が掛からず、木からも身体が離れる。
落ちていく中で声の主であろう少年と合った、その眸がずっと捜していた者と同じ薔薇の眸だったから……
私は少し夢を見た。
【危ない魔法使い】
付きの使用人を一人と共に、城に上がった。
前は、その使用人も周りの威圧的な態度に耐え切れずに逃げ出してしまい、城で用意された侍女を付けられた。
今回も、あるかもしれない。
心配はあるが、堂々と、入城した。
向けられる視線はやはり前と同じ。
貴族でもないのに、という侮蔑的なものだ。
これから受けるだろう仕打ちも前と変わらないだろう。
前と違うのは、気張らず、王妃には相応しくないと思わせる演技をするディアーナ。
入城して間も無く、教育が始まる。
王族が──王太子の母であり、亡くなった王の第二妃が私達候補者を見に来たのは入城時のみ。
王太子はやはり顔も見せなかった。
候補者達に興味が無いのか、懇意にしている幼馴染みソフィア嬢が王妃になると信じているのか。
王太子を初めて見たのは、ソフィア嬢と庭を散策している姿だった。
白く美しいソフィア嬢の隣に立つ、美しい少年。……現在は、はっきりとは覚えていないけれど。
他の候補者も、城仕えの者達も、目にした者は皆その様子を溜め息を吐く様に「お似合いだ」と言っていた。私もそう思って、幼心に悔しさを感じた。それが意固地になる理由だった。何故、そこまでになったのか不思議に思う程だが。
もう意固地になることはない。
他の候補者が当然の様に熟す礼儀作法を、私は出来ないフリをする。本当は出来る。前の人生で散々学んだのだから。
出来ないことで「貴族じゃないから」と言われても、気にはならない。実際、貴族がないのだから気にしても仕方がない。
「出来ないフリも意外と大変ね」
与えられた個室で思い出して呟く。
城に上がって早一週間。
意識しなければ、自然と教えられてもいない礼儀作法もしてしまいそうになる。
身体に染み付いているのだと気付く。まだ、この幼い身体では経験していない筈なのに……。
身体じゃなく意識に染み付いているのだろうか。
気を違った意味で引き締めなければならないな。
「頭の方も使えない様に見せた方が良いんじゃねーの?お姫様は案外真面目なんだよなぁ」
案外、というのは失礼ではなくて?
屋敷とは違って毎夜ではないけれど、大魔導主はやってくる。
入城してすぐの日は林檎は用意出来ず、大丈夫かと思ったが、気にした様子はなかったから安心した。大きなことを言っておいて、林檎を用意出来ていないことが恥ずかしい。
今は常備しており、いつでも来なさいと構えている。……勝手に失くなることもあるから私が部屋にいない間にも来ているのだろう。この林檎泥棒は。
確かに、大魔導主の言う様にもっと頭も良くないフリをするべきか。
それからは、勉強したばかりのことも忘れた、分からないと言い勉強を滞らせた。
少し……かなり厳しくなったが、耐え切れない程ではなく、時には笑顔で空を演じた。
他の候補者達には時々憐れむ様に見られるけれど、私は気にしない。
他の候補者達といえば、やはり一番の有力者はソフィア嬢の様だ。
リリアーヌ嬢、ルネ嬢、キャロライン嬢は当初からソフィア嬢が王妃になれる様に彼女を持ち上げている。
家同士の関係もあるかもしれない。
どちらの家もミュロス公爵家の力を借りて、名を上げてきた。大恩が有るが故、候補者にはなったが、補佐することを目的に共に城に上がったのだ。
グリーズ公爵家は、彼らの家とは違って、ブランシュ家と同じ建国時から在る古い騎士の家で。アナベル嬢はソフィア嬢を格別推す訳ではないが、私の味方でもない。中立的な立場を守る娘だ。
前はリリアーヌ嬢、ルネ嬢、キャロライン嬢の様に嫌がらせをしてくることはなく、それを見掛けたら注意するぐらいに真っ直ぐさを持つので好感が持てた唯一の存在ではあった。残念ながら友人にはなれなかったが……。
ソフィア嬢は、よく分からない。
笑顔で接してはいるが、心はどうか。
自身が王妃になるのが当然という態度にも見える余裕がある様にも見える。周りにそう扱われても、何も気にすることなく受けているから。
現在と、かつてを思い返し、一度生まれた疑念の所為で素直に彼女の愛らしく見える笑顔を受け入れなれなかった。以前より、素っ気ない態度になっているかもしれない。
リリアーヌ嬢とルネ嬢、キャロライン嬢には態度が悪いと注意をされた。ソフィア嬢に対しては勿論、自分達も尊ぶべき貴族なのだから改めなさいと上から目線。
前の時からだが、飽き飽きしている台詞だ。
しかも、彼女らの間でも評判のデザイナーのカティや職人のネヴィルが私の専属として付いているのも、気に食わないらしい。私の身に付ける物にもケチを……正確には、私に不相応だというケチだが、当初から言われてきた理由だった。
勉強も出来なければ、態度も悪い。なのに、身に付ける物だけは一流の品。
候補者達だけではなく、教育係や使用人達も気に食わない様で、あからさまに表情を歪めてくる。
そこら辺のことも相まって、候補者達には定期的に丸一日ゆっくり休める様にと与えられる休息日があるが、私は色々良ろしくはないので、その日も返上で勉強をさせられていた。
そして、入城から一月で漸く休息日が与えられた。
これからずっとこうなのはキツいかもしれない。もう少し出来る子になって、休みを確保したいところ。しかし、出来ない子を演じないとどうなるか分からない不安がある。
どうするべきかを考えながら、出掛ける準備をする。
貴重な一日を城に籠って過ごすなんて勿体無い。だからと言って城から出ることは簡単には許してはもらえる筈もない。私は出来の悪い子だから、余計だ。
仕方がなく、昼食後にこっそり出掛けることにした。
簡素なワンピースに身を包む。
成長期の為に城で過ごす為の服やドレスは新調、または手直しが必要で頻繁にカティが来てくれるので、個室では楽に過ごしたいとお願いして作ってもらった物だ。ネヴィルからも髪を纏める組紐やゴム紐を貰った。
これなら、町娘に見えるだろうか。
長く休息日が無かったからと理由に、夕刻まで部屋に籠って休むから邪魔をするなと使用人達に伝えた。恐らく、誰も来ないだろう。
貴族ではない身分はたまに役に立つ。
登城したからといって、名の有るご令嬢達に対してとは違い、誰も、好んで私に挨拶をしに来る者はいないから。
気兼ねなく、出掛けられる。
人目に付かない様に窓からロープを垂らす。
大魔導主に前以て持って来てもらった物だ。
辺境の田舎育ちを舐めてもらっては困る。
ロープを使えば高いところから難なく降りるし、木だって上れる。
他のご令嬢には出来ないことだろう。
まだ小柄なので、人目を避けて外に出ることも私には出来た。城の中は隠れられる場所は幾らでもある。
解放された城の外に出て、笑いが止まらなかった。
城も大したことないわね。
流石に危険のある場所には行けないので、久しぶりの露店を楽しんだ。
遊ぶだけではなく、民の知る王妃候補者達の情報を集めながら。
貴族は有名だが、自分の存在は驚く程少なく、辺境の騎士の野蛮な娘だと広まっていたことにも驚いた。
城を抜け出して、こんなことをしているのだから、野蛮と言えば野蛮だ。
露店で買った串を両手に持って、それを齧りながら思う。
満喫、というには物足りないが、夕刻が近付いて城に戻る。
人目の付かない城壁に人が通れる隙間があって、そこから中に入った。無用心だと思う穴だが、私には有難い。
木々も多いから、隠れる場所には困らず。
後は城に、建物内にどう入るか。
出る時はロープで降りたところから、更に少し移動してから木を伝って下まで降りた。
帰りは、木を上るか、壁には指を引っ掛けられる凹凸があるからよじ上ることも出来る。
悩んだ結果、私は木を上ることにした。
見付かったら、怒られる程度では済まされないだろう。邪魔なワンピースの裾を捲り上げて、木にしがみつくなんて「はしたない」と言われるに違いない。
だが、私は楽しかった。
見付かって、即候補者から除外されても私としては問題無い。むしろ、願ったり叶ったりだ。
また込み上げる笑いを我慢しつつ、高い木の半ば辺りに差し掛かる。
──その時。
「そこで何をしている!」
声がした。
下から、声が。
願ったり叶ったりではあるが、見付かるとは思っていなかった。ここまで慎重に来たのだから。
思わぬ声に、上に運んでいた手が、指が上手く掛からず。驚いて跳ねた身体がバランスを崩して木から離れる。
「危ない!」と上がる先程と同じ声。
落ちていく身体はどうすることも出来ず、目に入ってきたのは私と同じぐらいの少年の姿。
大きく見開き私を見る眸が見えて、湧き上がりそうになった恐怖が消えた。
だって、あなたと同じ薔薇の眸だったから。
寂しさも、哀しさも、恐怖さえ、慰めてくれたあなたの眸と同じだったから。