エレベーターで異世界に行く方法
「はい、ではこれからエレベーターで異世界に行く方法を実践して行きたいと思いまーす」
周りに誰かいるわけではではない。僕が話しかけているのは右手に持ったビデオカメラだ。
僕は某サイトで動画投稿者として活動している。
まぁ、活動しているといっても底辺も底辺。動画の再生回数は大抵二桁、たまたま当たった動画も四桁に届いたことはない。
それでも動画制作を続ける理由は他にやることがないからだ。僕は所謂ニートである。高校を一年生で中退してから三年間、僕は進学も就職もしなかった。バイトをしていた時期もあったが、どの職場も長続きせず、持って一ヶ月だ。
自分はそういう性分なのだと諦めているが、周りはそんな我儘を許してくれるほど甘くはない。
母親は二十歳になったら家を追い出すと言っているし、父親は何か言ってくることはないがそれは許しではなく呆れだ。高校生の妹は口すら聞いてくれない、基本いないものとして扱われている。
惰性で続けてきたこの活動を辞めてそろそろ真面目に生きなければいけない。来年には二十歳だ、母親は冗談ではなく僕を追い出すだろう。
だが自分の才能では人気投稿者となることは無理であろうという現実的な思考の一方で、有名になって家族を見返してやりたいという思いもある。
何も無計画に言っているわけではない、実は最近僕のチャンネルでそこそこの再生回数を出しているジャンルがあるのだ。
それが心霊、肝試し系の動画だ。夏だからという安直な理由で今シーズン三本の肝試し動画を上げたが全て三桁再生、一番多い動画はもうすぐ念願の千回に到達するだろう。
今日は有名な心霊スポットに行く予定だったのだが外は生憎の土砂降り、とても撮影はできない。
そうして急遽、回しているのがこの動画だ。代わりの動画を撮ろうとネットで調べていた時に見つけた『エレベーターで異世界に行く方法』の文字。
数年前に流行っていたそれはその名の通りエレベーターに乗り込んで行う都市伝説である。
手順はこうだ。
1.十階以上あるエレベーターに一人で乗り込む。
2.エレベーターで四階、二階、六階、二階、十階の順
番で移動する、この間に誰かが乗ってきたら失敗。
3.十階に着いたらそのまま五階のボタンを押す。
4.五階に着くと若い女性が乗ってくるが話しかけずに
一階のボタンを押す。
5.するとエレベーターは十階へと登っていく、途中の
階を押せば止まるが、九階を過ぎればもう後戻りは
できない
僕の住んでいるマンションは九階建てだったが、屋上を十階と捉えれば条件は満たしているだろう。
誰かが乗って来たら失敗することと、エレベーターを何度も上下させるので迷惑にならないようにするということ、そして単純に雰囲気が出るからという三つの理由から決行時間は深夜に決め、既に企画説明などの前撮りも終わらせた。
正直、全く信じてはいないがそんなことを言ったら視聴者は興醒めだろう、怖がっている風を装いながらエレベーターに乗る。
「ではまず四階に行きます」
右手はビデオカメラ、左手は手順を間違えないためにスマホを持っており両手は塞がっているがボタンを押すだけならできる。
エレベーターはスーッと登っていき最後に少し落ちて停止する。最後の落下時の独特の浮遊感を何度も味わうのかと思うと少し憂鬱だがそんなことを言っていてもしょうがない。
すぐにドアを閉めるとエレベーターは二階へと下がっていく。事前にボタンを押しておけば一々、押す必要もなくなる。最も二階が二回あるので最後までボタンを押し切ることができるのは二階についてからだが。
その後も何かトラブルが起きることもなく進んでいき、扉を閉じるボタンをただただ押すだけの時間が過ぎていく。
そして遂に五階に辿り着きドアが開く。僕は驚きのあまり硬直した。
時刻は深夜の2時だ、ほとんどの人は寝静まっているだろう。
しかし、ドアの前には人が立っていた。それもネットの情報通りの若い女性が。
猫背で立つその女性の顔色は青白く、カメラとスマホを両手に持っているという、側から見たらおかしな格好の僕のことなど見えていないかのように虚な目をどこか遠くに向けていた。
手からカメラとスマホが滑り落ちる、逃げようにも腰が抜けて立ち上がれない。カチカチとなっているのが自分の顎だと少しして気づく。
女がこちらを向いた。
焦点のあっていなかった瞳がこちらの両目を射抜く。
(ヤバい!ヤバい!ヤバい!死ぬ!死ぬ!死ぬ!)
女はおもむろにこちらに手を伸ばす。僕が咄嗟に振りかざした手をその女が握る。
「君、大丈夫?」
女性は僕の手を引っ張って僕を立ち上がらせる。
「立てる?突然倒れちゃって、救急車呼ぼうか?」
僕は自分の勘違いに気がついた。
「アッハッハ、急に倒れるからびっくりしちゃったけどそんなことしてたの?そりゃ怖いわ」
女性は普通にこのマンションの住人だった。あまり外に出ない僕でなかったら見覚えのあることに気づいただろうが、ニートの僕は他の入居者の顔などほとんど覚えていない。
雰囲気が変わっていたのでなかなか気づかなかったが、確かに何度か見たことある人だった。
「じゃあ試しに一階押してみる?」
女性は悪戯っぽく微笑んだ。
「いや、もう懲り懲りです…」
「そう?私は十階に用があるから別に上がっていっても構わないんだけど」
女性はそう言って一階のボタンを押す。僕は一瞬焦るが、エレベーターが下り始めたことで安堵する。
「もう、驚かさないでくださいよ…」
「ごめんごめん、君、部屋何階?」
「いや、一階の自販機で飲み物買うことにします、ビビって喉がカラカラですよ…」
僕がそう言うとちょうどドアが開いた。
「バイバーイ、次は私がいない時にやりなよー」
「もう、しませんよ」
僕が苦笑しながら答えるとドアが閉まり、エレベーターは登っていった。
僕は缶のコーラを開けて外に出る、雨はすっかり止んでいた。
コーラを飲みながらあの女性のことを考える。僕が高校に通っていた頃の彼女は恐らく大学生だっただろうが陽キャという感じでエレベーターに入ってきた時の不気味さは全くなかった。
もし彼女が当時のままなら僕はあんな無様を晒すことはなかっただろう。まぁ社会人になれば疲労もあるのかもしれない。少なくとも話した感じは記憶通りの明るい人だった。
僕も働くことになったら彼女みたいになるのかなと思ったが、元から病弱そうな見た目だし、疲れてもあまり変わらないかもしれない。
そんな働いてもいないくせに無駄なことで悩んでいると、ふと気がつく。
そういえば彼女は十階に用があると言っていたがどういうことだろう?十階は屋上だし何もない筈なのだが。
缶のコーラを飲み干すために上を向くと、何かが落ちてくるのが見えた。それは僕の数メートル横の地面に激突する。
土砂降りで濡れた地面に赤が広がっていった。