理に逆らう事勿れ
この作品は書籍化され、販売されています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4815025169/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_F421X0WRA4A97YR9HZ73
小説家になろうに全て掲載していましたが、令和3年2月5日をもって、序章以外を削除致しました。
ご購読してくださった方、評価をくださった方、ブクマしてくださった方、ありがとうございました。見る度に、1人で歓喜していました。
今後とも、天神簗のメフィストフェレスの王宮シリーズをよろしくお願い致します。
また、このメフィストフェレスの王宮は続編執筆中です。そちらは、書籍化されるまでは投稿する予定ですのでお待ちください。
この世界には、二種類の人間がいた。
遥か昔、小さな町に流行病が襲い、数多の人間が死に絶えてしまった。それは、どんな名医でも治癒することのできない不治の病だった。国は町から病を持ち出させないために、そこに住んでいた町人全員を密かに殺害し、その甲斐あって、それ以上の伝染をしばらく確認することはなくなった。しかしその数年後、起源の町から遠く離れた町で一人の感染者が現れ、瞬く間に感染を広げていき、やがてその国は崩れ滅んだ。
そしてその地には現在、新たな国が栄えていた。豊かな土地、争いごとのない人々、そんな平和な日々がただ淡々と過ぎていった。しかしそこは元呪われた国の地。何もないはずがなかった。
「マーリンさんの息子、『呪い持ち』なんですって」
「じゃあ生きられて、あと数年なのね……。可哀想に」
普通の人間は、朝を迎えたら夜を迎えることが出来る。でも、普通ではない人間に朝は来ない。
「嫌だ嫌だ嫌だ! 俺を殺すんだろ! 全員敵なんだろ!」
普通ではない人間は、七歳を迎えるまでに国によって殺される。家族や友人がどんなに守っても、医に呪い持ちと診断されれば最後、どんなに抗っても無駄である。
逃げ出してきたのであろう彼も、あと数年で殺されるのだろう。なかったものとして、存在してはいけないものとして、全員が敵となり消される。その決定を覆せるものは誰もいない。誰も、誰一人も。
「可哀想だよね、まだあんなに幼いのに」
「そうですね。うちの子も今度診察を受けるの。この子は呪い持ちではないと信じているわ」
母の手が、僕の頭を優しく撫でていた。僕はもうすぐで三歳になる。
子どもは皆、三歳の誕生日に医のもとに診察を受けに行く。そこで、呪い持ちの有無を知ることができ、呪い持ちは七歳までに殺され、呪い持ちでなければ長い人生を生きることができる。
「止めろ! 離せっ!」
衛兵に取り押さえられる彼は、捕まってしまえばもう後はない。それでも憐れむ者はいても、手を差し伸べて助けようとする者は誰一人としていなかった。
「彼は今日が七歳の誕生日よッ!」
どこからか叫び声が聞こえ、その声が合図だったかのように全員が一斉に逃げ出した。辺りはまるで戦場のように、敵意むき出しの町人がいて、死から逃れようとする呪い持ちがいて、空気はとても淀んでいた。そして次の瞬間、時が止まったかのようだった。突然、彼の背から漆黒という言葉がよく似合う羽が生え、爪は長く鋭くなり、彼を抑えていた衛兵たちは瞬きをする間もなく、一瞬にして身体がバラバラにされ、そこに人型はなくなっていた。それを目撃した全員が恐怖で身動き一つできずに固まるなか、馬にまたがった小さな男の子が、たくさんの付き人を連れて現れた。男の子は、肉塊を一瞥し馬から降りると、凶変してしまった彼を見て薄ら笑みを浮かべた。
「面倒くさいことは嫌いだが、その姿を見るのは一興よ」
男の子はそういうなり、ゆっくりと手を前に出し、フッと笑うとスッと横に動かした。すると、男の子に敵意をむき出し今にも襲い掛かりそうだった彼の身体は、バタンと音をたてて地面に転がった。そして少しずつ、散り散りになりその存在はなくなってしまった。
その様子を見ていた全員が、安堵の表情を浮かべ道に出てきはじめた。
僕によく似た銀青の髪に、高貴な装い。僕は彼の名前を知らない。でも、皆は彼を『王太子殿下』と呼んでいる。
「王太子殿下、緊急事態に駆けつけていただき誠にありがとうございました」
王太子殿下は、町人に会釈だけすると馬にまたがった。彼はあまり人々と関わろうとしない。その理由は、国民を見ていれば分かる。ヒソヒソと聞こえる王太子殿下への謗り言。これも日常風景のひとつだった。
呪い持ちは七歳になると同時に、人間ならざる者へと変貌する。変貌した者たちは、人間を喰らい殺してしまうだけでなく、その血を分けることで仲間を増やしていく。これに例外はない。あるとすれば、彼、王太子殿下だけである。
王太子殿下は、付き人に死体の処理を命ずると、足早に宮へと帰って行った。
「危なかったわね、タドミール。さあ、帰って夕ご飯にするわよ」
「うん」
着々と片づけられていく人間だったもの。そして、もう誰も彼のことを口にすることはなかった。
家に帰りつくと、双子の妹が僕の手を引いた。彼女もまた、もうすぐ三歳を迎える。
「お兄ちゃん見て! お兄ちゃんを描いたの!」
顔から手足が生えた絵を、満面の笑みで見せてくれた。
「上手だね。この髪の毛とか僕そっくりだよ」
「お兄ちゃんなら分かってくれるって思ってた! 嬉しい!」
嬉しさを見せながら、絵を部屋の壁に飾っていた。でもすぐに、母によって剥がされてしまう。
悲しそうな彼女を見ても、僕は何も言えなかった。
母は町ではニコニコとして、とてもよい母を演じていたが、家では正反対であった。僕らのことなんて、気にもせず知らない男性を家にあげては遊んでばかりいた。二人は美味しそうなご飯を食べるが、僕らのご飯は小さなお皿一つに収まるくらいのご飯だけ。それが僕らの日常だった。僕の味方は妹だけ、妹の味方は僕だけ。そんな世界で、僕らは今を生きてきた。
その夜、王太子殿下の話しを妹に聞かせてあげた。
「その王太子殿下ってさ、どうしていつも一人なのかな? 寂しくないのかな?」
時々、殺されまいとして逃げ出してくる子どもがいた。その度に衛兵が殺しにくるが、凶変してしまってからでは、通常の人間では手が出せなくなってしまう。人間とは比にならない力と身体的能力の高さに、人々は負けてしまう。何人、何十人でかかっても、ものの数秒で全員が殺されてしまったという話もあるくらいに。でも、そんな凶変した者たちを唯一殺せる者がいる。それが、王太子殿下だった。
「力があるから、皆怖いんだよ。いつか自分も殺されちゃうかもって」
王太子殿下のみが持つ力。それは、現国王陛下でも持っていない力であった。
「力? 王太子殿下ってそんなにすごい人なの~? すごーい!」
純粋な妹の危うさに、時々不安になる。決して悪い人がいないわけでもないこの町で、気付けば悪い人に連れていかれるのではないかと。
小さなため息を吐き、おやすみの挨拶をして薄い布団を被った。
漆黒の羽に鋭い爪、獣のような歯。その異形さと怖さに僕は動けなかった。逃げることも隠れることも。でもそれは皆も同じで、自分とその家族を守ることに必死になっていた。
しかし一人だけ違った。王太子殿下だけは、一人、その異形さを見て恐怖にひきつることも逃げることもなく、正面に立って笑みを浮かべていた。そして、余裕の立ち振る舞いで僕らを守ってくれた。
僕らを守れる唯一の者。それなのに、王太子殿下は皆に恐れられ嫌われている。
それは彼もまた、呪い持ちであるからに他ならなかった。齢四歳。僕よりひとつ年上の僕と同じくらいの背。
僕と似ているのに、何もかもが違う。僕にはないものをたくさん持っていて、普通の人間ではない王太子という立場。きっと王太子といえども、七歳を前に殺されてしまうのだろう。
呪い持ち――悪魔と呼ばれるその者は、人を喰らい殺す異形の者。
三歳に診察を受けた王太子殿下は、同時に悪魔を殺す力を得た。しかし、何故なのか理由は分かっていない。
彼はすごいと思う。自分は数年で殺されてしまうのに、国民のためにその力を使う。でも、彼はどこか怖い。
『面倒くさいことは嫌いだが、その姿を見るのは一興よ』
何故……。
分からない。呪い持ち、異形、人を喰う、殺してしまう、悪魔……。
僕らはただ平凡に過ごしていたいだけなのに、それも叶わないのか。せめて妹だけでも、笑っていればいいのに。どうして、こうもうまくいかないのか。
外は闇に呑まれるように、暗さを増していき、僕は静かに目を閉じた。
そして僕らは、棄てられた。
「タドミールくん、テュシアーちゃん、誕生日おめでとう」
光りのようだった朝。
「……残念ですが、タドミールくんは――」闇に包まれた昼。「――呪い持ちです」僕は死へと歩み始めた。
その夜、僕らは母によって呪い持ちのことを隠され、闇商人に売られた。
ざらざらとした地面に、薄い布が一枚、檻に囲まれた場所が僕らの新しい家になった。
「テュシアー、寒くない?」
冬も近い夜空の下、薄くボロボロの服で耐え忍ぶには、あまりに酷であった。しかし、売られた僕らに優しくしてくれるような人はおらず、ご飯さえまともに用意はしてくれなかった。
それから数日が経つも、僕らの檻をじろじろと覗いてくる気持ち悪い視線に耐える日々は変わらなかった。まるで虫けらを見るような目で、僕らを品定めしていく。でも、これといって何の特徴もない僕らを買う人など現れなかった。
「お兄ちゃん、寒い……」
テュシアーが風邪を引いた。薄い布を巻いてあげても寒さは増すばかりで、妹の力にはなれなかった。ご飯といってもほとんどが水だけで、栄養も足りない。頑丈な檻に囲まれているために、どうにか逃げ出そうと考え試してみたが檻はびくともしなかった。寒い、怖い、帰りたい……。帰る場所なんてないのに、とにかくこの地獄のような場所から逃げたかった。逃げてどうにか出来るわけではないけれど、このままでは死んでしまう。どうせ七歳になるまでに殺される予定だったこの命、少し早く消えたくらいでは変わらないかもしれない。でも、妹――テュシアーだけは、助けてあげたかった。テュシアーは呪い持ちではないのに、僕が呪い持ちのせいで棄てられてしまったのだ。完全に僕のせいなのに。テュシアーは一度も僕を責めなかった。
これからどうしよう。ずっとここにいて、こんな生活を送るのは嫌だ。でも、僕にテュシアーを守れるだけの力がないのも事実。どうして、僕はこんなにも無力なのだろう。僕もあんな風に、悪魔になってしまうのだろうか。そしたら、誰が妹を守ってくれるのだろうか。きっと、テュシアーも呪い持ちだと疑われて一緒に殺されてしまうだろう。それは絶対にダメだ。僕のせいで、テュシアーが死ぬなんて絶対に嫌だ。
答えが出ない。どんなに考えても、空回りするだけ。
それから数日経った、一際夕暮れの赤が差し込むとき、僕らの檻の鍵が開けられた。
「出ろ。お前らの買い手がついた」
衰弱しきった妹を背に抱え、久しぶりに陽の下に出ると眩しくて目が開けられなかった。少し目を開けると、そこに見える大きな人影が三つ。中央に立つ背の高い男が僕らに近づいてきた。
頭の先から足の先まで眺められた後、男はメガネをあげた。
「お初にお目に掛かります、タドミール様、テュシアー様。ツキと申します」
警戒していると、ツキと名乗った男は、後ろに立つ二人に合図を出した。そして、テュシアーを抱きかかえ、僕を馬車まで案内し始めた。初めて見る馬車に、動揺を隠せなかったが、僕を買ったのはたぶんツキという人で、逆らうには怖くて勇気もでなかった。なにより、テュシアーを抱きかかえられていて、テュシアーを抱えて逃げるのは不可能だった。
馬車内は終始無言だった。
ツキという人は、かなり高貴な人に見えた。見た目にも分かる良い装いに、綺麗に簪でまとめられた髪、後ろについていた二人に指示を出す姿は、まさに上に立つ者だった。貴族か王族、そのどちらかに相応しい。
馬車が坂を登りはじめると、ようやくツキが口を開いた。
「お二人には別々のお部屋をご用意しております。お部屋に着きましたら、沐浴後、着替えて頂き、診察を受けて頂きます。その後は夕食を、それからはゆっくりとお休みになられて下さい」
それだけ? 拍子抜けしてしまった。
僕をどうする気なのか、とても不安だったがとても丁寧な扱いである。まるで家族の一員になったのかのようだ。
「あの……」
「何でしょう」
恐る恐る口を開いては見たものの、その圧倒的な存在感に物怖じしてしまう。それを見てか、ツキは深いため息を漏らしてテュシアーを見た。
「テュシアー様は療養していただきますので、ご安心ください。それから、私はあなた方をとって食うことなどは致しませんので、例え呪い持ちであろうとも本日のところはお休みください。もう本日は、遅くなり始めておりますので。詳しい話は翌日致します」
何でもお見通しと思わせるツキに圧倒されながらも、僕はただただ頷くことしか出来なかった。
そこは王宮と呼ばれる場所だった。町では皆宮と呼び、それはそれは広い場所だと聞かされていたものの、これほどまでとは思ってもいなかった。廊下は四方にのび、部屋は数えきれないくらいにあった。沐浴中も僕の世話をしてくれる人たちが四人もいて、食事は見たことがないような料理が並んだ。久しぶりのちゃんとした食事に、お腹が壊れてしまうのではないかというくらいに食べてしまった。今考えれば、毒が入っていても可笑しくはないのに、不思議とツキという人からは冷たさや怖さを感じても、悪意は感じなかった。
段々と落ち着いてくると強い眠気と同時に、テュシアーのことが気になって仕方がなくなってきた。医は、ただの風邪だと薬を飲ませて粥を食べさせて少し様子を見ると言っていた。テュシアーは元気になるだろうか。殺されたりいなくなったりしないだろうか。
すぐにでもテュシアーのもとに行きたかったが、強すぎる睡魔に勝てなかった。
ツキは扉をノックした。すると中から、重厚な声が聞こえてきた。名を告げて、部屋に入ると寝台の上で本を読む男がいた。彼こそが、この国を治めている国王陛下である。
「夜分遅くに失礼いたします」
「何か動きがあったようだな、ツキ」
「はい。仰せの通りに下町の兄タドミールと妹テュシアーを、王宮へお連れいたしました。各部屋にて、お休みになられているとのことです」
「そうか。呪い持ちか?」
「はい。兄タドミールは呪い持ちですが、妹テュシアーはその兆候が見られません」
「そうか。明日会わせるのか?」
「そのつもりでございます。タドミールの体調に問題がなければ、そのように」
「普通の子か?」
「はい、夕食もたくさんお召し上がりになられたご様子。ただ、妹テュシアーはあまり食べられていないご様子でした。しかし、風邪とのことですので宮医であれば、問題はないかと思われます」
「面白みがないな」
「……母君はいかがいたしましょう」
「監視をつけておけ。何か動きがあれば、すぐに報告を」
「はい」
用事を終えて部屋を出ようとすると、背後から視線を感じ振り返った。すると、何か言いたげな顔をした国王陛下がじっとこちらを見ていた。再度敬礼の姿勢をとり、少し頭を下げる。
「どうかなさいましたか」
「……お前はこれを正しい判断だと思うか?」
珍しく意見を聞いてくる陛下に、違和感を覚えながらも自分の身分で答えられる精一杯の言葉を伝える。
「王家に生まれた者ならば、誰もが背負う宿命でございます。それから守られるというのもまた宿命にございます。陛下、私は無駄な争いごとを好みません。どうか、国のために一人の人間としてお考えを表してくださいませ。……もう夜も遅うございます。ゆっくりとお休みください」
「お前も変わらんな」
「陛下こそ」
「よい。あいつは宮に入れておけ。勝手に外を出歩かせるな」
「はい。失礼いたします」
ツキは静かに部屋を出て、小さなため息を漏らした。そして、おもむろに廊下の奥を見る。この香りは、聞かれてしまったようだ。少々面倒なことになってしまったが、王族の者にそんな自由がないことは百も承知だろう。まずは明日、明日から全てが始まる。
盗み聞きしていた者は、唇を噛みながら走って逃げていた。帯紐につけていたガラス玉がとれていることも気づかずに。
翌朝、タドミールが起きるとツキと二人の男女がやってきた。今日から僕の付き人として、側に付くのだという。僕はそんな人はいらないと断ったが、断ることは出来ないと半ば無理矢理二人を置かれた。そして、淡々とした口調で今日の予定を伝え始めた。昨日会ったときとは、打って変わって優しさを感じない。あるのは僕には見えない圧力と僕の意見は決して通ることがないという抑圧だけだった。
「朝食後、お迎えに参りますのでそちらにお召し替えをしておいてください。良いですね」
「えっと……」
僕をどうするつもりなのか、これからどうするのか聞きたかった。でも、ツキの鋭い視線はそれを許さない。しぶしぶ小さく頷いて見せると、ツキはやれやれといった様子で僕の前から離れると、従者の二人に着替えを手伝うように指示を出し、丁寧なお辞儀をして部屋から出て行った。彼は一体誰なのだろう。いや、ツキという人であることは分かるが、ツキが何者であるのかは知らなかった。この二人の従者より立場が上であることは分かるが、それ以外に何の情報もない。かなりの権力者のようだが、僕に構ってくれる時間はあるらしい。
「お初にお目に掛かります」スッと前に現れたかと思うと、敬礼の姿勢を見せた。「本日よりタドミール様の側仕えを命じられました風希と申します」と男の従者が言うと、続いて女の従者が「同じく令華と申します。私たちはいつまでも、タドミール様のお心のままにあります。どうぞ何なりとご遠慮なくお申し付けください」と続けた
風希と令華。彼らの素性も見えない。
「ねぇ」
「はい、どうなさいましたか?」
「ここってどこなの? 君たちは誰? あのツキっていう人誰? どうして僕たちを買ったの? 妹はどこ? 妹は大丈夫なの? 僕たちを利用するの?」
二人は一瞬困った様子だったが、すぐに落ち着きひとつひとつ丁寧に教えてくれた。しかし、一言一句失言をしないように、慎重に言葉選びをしながら言っているかのように、ゆっくりだった。彼らは怯えているのだ。自分よりも位の高い者たちに、自分が消されないように。
「ここはハイジシェンロウ王国、リョウ国王の王宮にございます」
「リョウ国王……?」
「私たちはタドミール様の身の回りのお世話を致します。毎日あなた様をお守り致します」
「ツキ様は、国王陛下の側仕えをしておりますと同時に、王太子殿下の教育係をしております者です」
「従者同士なのに、ツキ様って呼ぶの?」
「ツキ様は私どもよりも、はるかに高貴な方ですので、私たちはそうお呼びしております」
「そうなんだ」
ツキという人は、本当に高貴な人なんだ。それも、国王陛下の従者だなんて、思ってもいなかったな。そんな偉くて高貴な人どうして、僕に構うのだろう。
「タドミール様とテュシアーを買いましたのは国王陛下にございます。理由は後にご説明がツキ様よりあると思われます」
「そう! 妹はどこなの! 僕の妹は風邪を引いていて……」
「ご安心ください。腕は確かな宮医が診ております。数日もすれば、お元気になられると思います」
良かった。その事実だけでも確認できただけで、安心感が違った。
朝食を食べ始めて、風希と令華の方を見ると必ず目が合うことに気付いた。つまりは僕から目を離していないということになる。側仕えといいながら、僕を監視することがきっと一番の目的なのだろう。一体僕をどうするつもりなのだろうか。あの奴隷のような闇商人の場所に比べれば天と地の差があるが、それでも不安なことに変わりはなかった。得体の知れない者たちに囲まれ、かなりの好待遇の数々。
国王陛下が僕らを買った。ただの子ども二人に情けをかけただけで買うはずもない。品定めをしに来た様子もない。まず第一に闇商人に国王陛下が関わっていいのだろうか。国を治めるはずの立場の者が、国のダメな部分を黙認しているということか。それはそれで問題があるようにしか感じられない。
「ねぇ、僕が呪い持ちなの知ってるの?」
「はい、存じ上げております」
二人は頭を下げてそう言った。つまり、もうツキも知っているということ。呪い持ちは七歳までには殺されてしまう。僕の命も持ってあと四年。死にたく、ないな……。
朝食を食べ終わると、素早く片づけられ袖を通したこともないような綺麗な装いに着替えさせられていく。最後に帯紐を止めれば、着替えも終わり。鏡で自分の姿を確認して、見惚れてしまうほどに綺麗な刺繍が入っていた。大きさがぴったり僕の身体に合っている。わざわざ僕のために設えられたかのような……。でも、どうして。僕の余命は残り四年、母に棄てられた身寄りのない呪い持ちの子ども。どうしてここまで手を尽くす? 大切なものを扱うように、壊れないように丁寧に扱うように。
少ししてツキが迎えに来た。僕の結われた髪に簪をさしこみ、後ろを黙ってついてくるように言った。
長い廊下を何度か曲り、別の宮に渡る。その途端に廊下を歩く従者の姿が増え、ツキが通ると誰もが会釈し通路を開けた。国王陛下の側仕えだからといって、あまりに高貴に扱いすぎだ。王宮について詳しく知らない僕でも分かるほどに、それは明確に出ていた。
どこからか甘い匂いがする。香の匂いだろう。そういえば至る所に、華美な装束を身に纏った女性の姿が見えていた。廊下や部屋、庭で会話に花を咲かせているようだった。でもどこか、それは母の笑みに似ていた。
突然前を歩いていたツキが立ち止まり、敬礼の姿勢をとった。僕はぽかんとその様子を見ていると、ツキの前に何人もの従者を連れた煌びやかな女性が立っていた。
「ご機嫌麗しゅうございます、ツキ」
ツキに敬称をつけずに呼ぶ人を初めて見た。誰だろう? とても綺麗な人。
僕が見惚れていると、女性は僕を見て驚き咄嗟に敬礼の姿勢をとった。
「申し訳ございません、ツキ様の後ろにいらっしゃるとは思わず、ご無礼をお許しください」
何の話しだろう。僕はこの人を知らないし、敬意を示されるような者でもないというのに。
動揺を隠せない女性をよそに、ツキは会釈をして僕を隠すようにその前に立った。
「御子をお待ちしております。失礼致します」
その言葉を聞いて、女性はムッとした表情になるも僕らに道を譲った。
そして、また別の宮に移ると高貴な装いをした者が一気に増え、それに伴って従者も格段に増えた。全員が神や本を手に、あっちこっちと忙しそうに動いていた。仕事場か何かだろうか。空気も先程とは違い、ピリピリとしているようだった。ツキはそれでも立ち止まることなく、歩き続ける。
「……どこまで行くのですか?」
思わず聞いてしまった。歩みを進めるほどに不安が増して仕方がなかったのだ。しかし、ツキは振り返ることもなくただ一言、「黙ってついてきなさい」というだけであった。
また宮を渡ると、今度は逆に従者の姿を見なくなった。そこだけ静かで、冷たく穏やかな風が吹いている。
ツキはようやく歩みを止めると、振り返り僕を見下ろす。
「余計なことは口にしないようにしてください。良いと言われるまでは、決して頭は上げないこと。良いですね」
「……はい」
「決して無礼のないようにお願いします」
僕が頷くのを見ると、ツキはノックをして扉を開ける。僕に頭を下げたまま部屋に入るように言うと、僕の後ろに立った。ツキが初めて僕の後ろに行き、抑えられない不安に顔をあげてしまいそうになる。
背後で扉が閉まる音が聞こえ、その場には僕の他にツキしかいないのだと気が付いた。ずっと僕の後ろをついてきていた風希と令華は扉の反対側にいるようだ。そして、僕の前方にもう一つの気配。今までのツキの冷たさよりもはるかに冷たい空気が僕を纏う。ダメだ……怖い。
「お前、名は?」
それがツキへの言葉ではなく、僕への問いかけであることはすぐに分かった。でも、怖くて口が思うように開かない。
「名も言えないのか?」
「た、タドミールです」
「ふ~ん」
自分で名前を聞いておきながら、全く興味の無さそうなこの感じ。僕はどうしたらいいのだろう。沈黙のなか、僕はじっと頭を下げたまま耐えていた。すると、その沈黙を破るようにツキが僕の横に立った。
「タドミール、齢三歳、呪い持ちでございます。妹が一人、テュシアーと申します。こちらは呪い持ちではございません」
国王陛下だろうか。この冷たさ、僕を買ったという張本人か。
「で、お前は僕に殺されに来たの?」
背筋が凍りつく。身動き一つ取れず、冷や汗が垂れてくることさえ怖かった。救いの手が伸びてきて、僕らはあの地獄から抜け出したのに、今度はどんなどん底に突き落とすのか。僕を殺す? 僕は殺される……。呪い持ちだから。僕はやっぱり生きていてはいけない存在なのだ。
「なりません、王太子殿下。彼は国王陛下より連れられし者でございます」
え? 今、王太子殿下って……。
思わずゆっくりと顔をあげてしまい、堂々と玉座に鎮座するあの王太子殿下と目が合う。町でものの見事に一瞬で、発症した悪魔を殺したあの男の子だった。装いこそ違うものの、これが本来の姿だろう。誰にも有無を言わせない威厳を感じるのは、どうしてだろう。歳に似合わず、大人びて見えるからだろうか。僕より一つ年上の王太子殿下。同じく呪い持ちでありながら、人々の前に現れては同じ呪い持ちを殺していく。その言動から、誰もが彼を恐れ嫌っていた。町の皆も僕の母も。僕によく似た銀青の髪に僕とは違う紫色の綺麗な瞳、髪をばっさりと切ったのだろう、とても短くなっていた。
強い力で頭を抑えられる。ツキが慌てて僕の無礼を謝っていた。
「申し訳ございません。まだ教育を行っておらず、非礼をお許しください」
そんなツキをよそに、王太子殿下は話を続ける。
「お前、俺にそっくりなんだな。違うのは目の色くらいか?」
ここで怒りを買ってはいけない。
「王太子殿下の方が、とても綺麗な紫色の目をしていますね」
「顔をあげよ、タドミール」
ツキの手が離れ、スッと顔をあげると再度目が合う。ツキは動揺が表情に出ていたが、それでも僕らの会話には入らないように一歩後ろにさがった。
彼、王太子殿下は紫の瞳、僕は青の瞳。髪は僕の方が、少し長いくらいだろうか。それ以外は本当にそっくりだった。鏡合わせのように。
王太子殿下はフッと笑うと、立ち上がり僕の前に立った。
「お前はこれからどうしたい?」
これから……。僕に残された時間はもう長くはないというのに。
「僕はあと四年しか命がありません。呪い持ちの王太子殿下ならよくお分かりかと」
「俺は死なない」
「え?」
「俺が死んだら、誰が悪魔を狩るのだ? 俺しかいないだろう?」
「でも、呪い持ちは七歳に呪いを発症して悪魔になってしまうのです。悪魔は人間を喰い殺します。それは、王太子殿下といえども例外ではないはずです」
「普通の呪い持ちならな。俺は死なない、俺は死ねない。そういうことだ」
意味が分からない。どうして、呪い持ちなのに殺されずに、それも死なないと言い切れるのだろうか。王族の者は、殺されないのか、それとも治す特効薬でもあるのだろうか。
普通の呪い持ちなら? なら、普通じゃないとしたら? 彼が普通の人間でもなく、普通の呪い持ちでもなかったら、死なないという話になるのだろうか。
「しかしながら、俺に似た影武者が見つかったと聞いてはいたが、まさか呪い持ちとは残念だ」
影武者とはどういうことだろうか。
「七つで死ぬではないか、ツキ」
「御年四歳である殿下の身代わりは、やはり歳の近い者でなければなりません。最善を尽くしましたが、彼が最適者と判断致しました。発症するまでは生かしますが、発症し次第こちらで処分致します」
処分。それはつまり、発症した場合は殺されるということだ。そんな神の御業ではないのだ。王太子殿下のように死ななくて済む方法があるのなら良いが、そんな特別な僕でないことは承知の上の発言だろう。僕の命は四年。たった四年だけだ。
「身代わりってどういうことですか?」
王太子殿下は虚を衝かれたような顔をして、ツキを見た。
「お前話していないのか?」
「殿下の前で話した方がよろしいかと思い、まだ何も説明をしておりません」
「さっさと話してしまえばよいものを」
「申し訳ございません」
「タドミール、お前は俺の影武者になってもらう。それがお前の役目だ」
「王太子殿下のですか? つまり、僕が王太子殿下になる、ということですか?」
「その通りだ。お前は俺と入れかわり、王太子として振舞ってもらう」
「どうして……」
何の力も持たないただの子どもに、そんな大役を担わせるのはどうしてだろう。僕と王太子殿下が似ていることは条件のうちだろうが、それ以外に何のとりえもないというのに。
「殿下は日々、命を狙われております。それは絶え間を知らないほどに、過激さを増しており、このままでは即位前に殿下が殺されてしまうかもしれないとお考えになった陛下の要望により、王太子殿下には隠居していただき、その身代わりは王太子殿下として成り代わって頂きたいのです。その役として選ばれたのが、あなた様、タドミール様でございます。殿下に似た容姿、身寄りのない状態、とても良いタイミングでございました」
淡々と説明するツキに、苛立ちと恐怖を覚える。
「つまり僕は餌ということですか……? 僕はこの王太子殿下の代わりになって、命を危険に晒さなくてはいけないということですか?」
「別に構わないでしょう? 放っておいても、あと四年です」
悔しいがその通りだ。そのままただ生きても四年後には殺される。
「ここで断ることも可能です。しかしながら、断られた場合は、タドミール様は王族扱いがなくなりますし、部外者とみなされ、この王宮を出ることになります。私たちもそこまでお優しくはありませんので、わざわざ居住地を用意するなどは致しません。それから、七歳を迎える前にこちらの衛兵があなた様を捕まえに行くことでしょう。テュシアー様も完治しておられませんが、あなた様がここを出ると同時に同じ扱いとなります。そして、この件を口外しないか監視をつけさせていただきます。二度と一人で自由に、などとは思いませぬよう」
選択肢は……ない。王宮を出れば僕は食べ物もなく住むところもなく飢え死にするか、闇商人に拾われるか、森の獣に食い殺されるかのどれかだ。体調を崩して治りきっていない妹を連れて、僕が妹を守れるはずもない。非力で無力な僕は、何も出来ない。何が断ることも可能だ。断る道なんて何一つ用意されていないじゃないか。僕を買って、僕の主人はここの国王陛下で久しぶりに美味しいご飯とふかふかな布団に包まれて、幸せのような時間を過ごしたのに、この大きいくらいの見返り。僕たちが一体何をしたっていうんだ。僕はただ、楽しく過ごせていればそれでよかったのに。誰もが僕らの敵に見えてくる。王族にとって、僕のようなものは変わりがいくらでもいる道具にしか過ぎないのだろう。平民というだけで、下なのだ。下の者はいくら抗っても上にはいけない。そういうふうにできている。
分かった。やってやろう。僕に出来る限り、僕の命がある限り、お前らの思い通りになってやる。だけど僕は、お前らが嫌いだ。
「分かりました」
揺れていた瞳が真っ直ぐと王太子殿下を見た。その揺らぎのない瞳に、王太子殿下はクスッと笑った。
「フェレス」
「え?」
「それがお前の真名だ。真名は誰にも言うな。タドミールではない、フェレス、良いな?」
フェレス。それは僕の新しい名前。そして、僕の新しい人生の始まり。
「そして俺の名は、メフィスト。王太子としているときには、お前はいつだってメフィストだ」
「メフィスト……フェレス」
「頼むぞ、フェレス。幸運を祈る」
僕はその日を境に、僕を棄てた。
タドミールという人間は消え去り、代わりにフェレスという一人の子どもが生まれた。その瞬間、隅の方で様子をうかがっていた王太子殿下の側仕えの者が敬礼の姿勢をとり、それに続くようにツキも僕に向かって敬礼をした。それは、僕がもう普通の人間ではないことを示していた。ツキが深く会釈し、僕を真っ直ぐに見た。
「本日よりフェレス様、メフィスト殿下の側仕えを致しますツキと申します。私はいつまでも、王太子殿下のお心のままにあります。どうぞ何なりとご遠慮なくお申し付けください」
先ほどまでとは打って変わって違う態度に、驚きを隠せない。これが王族としての力。僕が初めて手にした力だ。
「メフィスト殿下、王太子宮をご案内致します。こちらへ」
呼ばれたことに気付かず佇んでいると、位を譲り渡したメフィストが手を振った。
「お前だ、フェレス。お前がメフィスト殿下だ。行って来い」
「は、はい」
先に扉の前で待つツキのそばに駆け寄り、廊下に一歩出てふと振り返る。
「王太子殿下」
「メフィストでいい。今はただのメフィストだ」
「メフィスト。どうして、あのとき笑ったのですか?」
「あのとき?」
そうあのとき、彼は確かに笑っていた。町で発症した男を殺すとき、笑みは小さかったがあれは心底笑っていた。
『面倒くさいことは嫌いだが、その姿を見るのは一興よ』
「僕のいた町で発症した男を殺すとき、あなたは確かに笑っていました。あの姿を見て笑うのは、あなただけでしたから」
メフィストは驚いたように笑った。やがて笑いをおさめると、不敵に笑みを浮かべ手を前に掲げた。
「どうしてって、それは簡単だよ」
彼は悪魔より、よほど悪魔らしかった。
「――楽しいからだよ」
僕はフェレス。そして、メフィスト殿下の身代わりとして生きている。
フェレスとなってはじめての朝、僕は地獄を知ることとなる――。
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