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水沢ながる短編集

MARKING

作者: 水沢ながる

 僕が最初にそのマークを見つけたのは、コンビニのバイトから帰って来た時だった。


 しがない大学生の身には、バイトは必須だ。その日も僕は疲れた体を引きずるように帰途についていた。コンビニは意外とやることも多いし、体力も気も使う。

 今日も今日とて、クレーマー常連客のジジイに絡まれ、大変だった。店長はお客様第一だし、こちらもクビにはなりたくない。ひたすら謝るしかない。精神削られる。

 そんなわけで余計にくたびれた僕は、ひたすらアパートの自分の部屋で寝ることを目指していた。ドアの鍵を開けようとして、僕はふとその横に目をやった。

「ん?」

 部屋のドアの横、「横山」という名字だけがそっけなく書かれている表札。その隅に、目立たないように小さく○が書いてある。

「なんだこれ?」

 何の変哲もない、手書きの丸印。それなのに、何だかひどく嫌な感じがした。僕はその丸印を手でこすってみた。丸印はあっけなく消えたが、代わりに僕の手がインクで黒くなった。

 やれやれ、今日はついてないや。そう思いながら僕は部屋に入り、手を洗うのもそこそこに眠りについた。


 翌日。大学から帰ると、昨日と同じように表札に目が行った。

 白い表札の右下の隅。目立たないようにひっそりと、今度は✕の印がついていた。

「今日もかよ……」

 僕は軽く舌打ちをして、ティッシュで✕印をこすった。やはり印は簡単に消えた。

 さらに翌日は△、そのまた翌日は□。落書きとも言えないそれは毎日続き、その度に僕はそれを消した。

 呑気な僕も、こう毎日だとさすがに気味悪くなって来た。一体誰がこんなことをしてるんだ。ただのいたずらなのか、それとも?


「それ、マズいんじゃね?」

 友人の竹内に相談してみると、そんな風に言われた。

「訪問販売とか空き巣とかが、住人の情報をそんな風にマーキングで残すって聞いたことあるぞ。ここの家は留守がちだとか、カモだとか思われてんじゃねーのか? 今に家財道具とかごっそりなくなったりしてな」

「僕ん家に盗るようなものなんか何もないよ」

「泥棒がんなことわかるわけねーだろ」

 それはまあそうだけど。

 にしても、何かの標的にされてる可能性があるのはちょっと気分が悪い。毎日違うマークがされているのは、何人かのグループなんだろうか?

 見つけ次第消すしかないか。


 それからも、表札にひっそりとマークが書かれては消す日々が続いた。最初はすぐに止むかと思っていたが、案外治まらない。

 マークはやはり日毎に違っていて、○や✕みたいに単純な記号な時もあれば、それを組み合わせたちょっと複雑なマークの時もあった。マーク自体に規則性はないように見えた。

 一体、何処のどいつがこんなものを書いてるんだ? 僕は何となく興味がわいて来た。


 休みの日、僕はマーキングの主を確かめてみようと、自室で待機してみることにした。安アパートなのが幸いというか、壁が薄めなので誰かが外を通ると大抵はわかる。

 見張っていると言っても、いつそいつが来るかわからないので、一日中部屋の中で本やマンガを読んだり、カップ麺やお菓子を食べたり、ネットの動画を見たりしてゴロゴロしていることになる。……いつもの休日と変わんないなこれ。

 しかし、いつまで経ってもそれらしい奴は誰も来ない。アパートの他の住人なら通っても何となくわかるけど、わざわざうちの前に立ち止まってマークを書いてるそぶりはない。

 いいかげん退屈になって来た時、誰かがドアの前に立つ気配がした。お、やっと来たか?

 ピンポーン。

 身構えた途端に、相手がドアチャイムを押した。

「すいませーん。横山さん、宅配便でーす」

 なんだ、配達か。僕はドアを開けた。よく見るこの辺の担当の配達員さんが、にっこり笑いかけて来た。

「はい、こちらに印鑑かサインをお願いします」

 伝票に名前を書きながら、僕は何となく妙な予感がした。外に出て、表札を見てみる。……隅っこに、小さな◇が書かれていた。

「あ、あのっ!」

 僕は帰りかけた配達員さんを呼び止め、表札を指差して訊いた。

「ここにこれ書いたの、あなたですか?」

「いいえ、そんなもの書きませんよ」

 配達員さんは不審そうに答えた。まあ当然だ。この人がこんなものを書く理由もない。

 あきらめてマークを消そうとした僕の耳に、配達員さんの独り言が聞こえて来た。

「あれ、でも、さっき表札を確認した時には、あんなもの書いてあったっけな?」


 それから何回かマークを書く者の首根っこを押さえようとしたが、ことごとく失敗に終わった。マークを見つけ次第消すことは、もはや僕の日課のようになっていた。

 そんなある日。

 少し早目にバイトに行こうとしていた僕は、見覚えのある後ろ姿を見かけた。うちのコンビニによく来る、クレーマー常連の爺さんだ。

 若いバイトを見れば何かと難癖をつけ、ネチネチとイヤミったらしく説教をする。相手が女の子なら更に居丈高になり、こいつのせいで辞めて行ったバイトも多いという。

 この辺に住んでるんだろうなとは思っていたが、案外ご近所さんだったのか。行く方向が同じだということもあり、僕は何の気なしに爺さんの後をつけて行った。爺さんは近くの古い平屋の家に入って行き、鍵を閉める音が聞こえた。「山本」という表札が見えた。

 そこで、ふと僕はいたずら心を出してしまった。うちの表札に書かれるマーク。あれが空き巣とか押し売りとかのつけた印なら、よその家に同じものを書いたら、そちらに標的が移ったりしないか?

 迷惑な者同士、対消滅してくれないかな……と虫のいいことを考えながら、僕はバックパックに入れっぱなしにしていたペンケースからサインペンを出して、表札の隅にこっそり●を書いた。


 そのままバイトに行って仕事をしていると、表が妙に騒がしくなった。パトカーが何台も通り過ぎ、野次馬らしい人達もそちらに向かっている。

 あの爺さんの家がある方向だった。ちょうど近所のおばちゃん達がやって来たので、さり気なく聞いてみる。

「なんか騒がしいですね。何かあったんですか?」

 おばちゃん達は誰かに話したくてたまらなかったらしく、すぐに食いついて来た。

「何でもね、殺人事件があったんですって。怖いわあ」

「三丁目の山本さんとこですって」

「あの人、偏屈な人だったからねえ、誰かに恨みでも買ってたのかしら」

「あら、私は強盗だって聞いたわよ」

「でも、玄関も窓も全部閉まってたらしいじゃない?」

 爺さんが家に帰るところを見たのは、ほんの何時間か前だ。その間に、爺さんは殺されてしまったのか。

 ……まさか、僕が表札に●を書いてしまったから? あれを書いた誰かが、爺さんを殺してしまった? そう思うと気が気ではなくなった。もしあれを消さなければ、僕も、もしかして……?

 終業までの時間が長かった。バイトが終わると、僕は一目散に家まで急いだ。

 ──僕の部屋の表札の隅には、僕があの爺さんの表札に書いたのと同じような●が、黒々と書かれていた。

 消さなければ。早く。僕はそれを手でこすった。……いつもはすぐに消えるマークは、今日ばかりはどれだけこすっても消えなかった。ティッシュやタオルでやってみても、水で濡らしてみても、洗剤をつけてみても、消しゴムをかけてみてもダメだった。消えない。

 このままだと危ない。家にこもっているか。いや、あの爺さんは鍵をかけた家の中で殺された。ここにいるとヤバい。

 僕は最低限の身の回りのものとお金をリュックの中にぶち込み、家を出た。二駅離れたネットカフェの個室に逃げ込む。

 落書きの消し方を検索していると、スマホのアラームが鳴った。LINEの受信。竹内からだ。何だ、こんな時に。


『横山、どこいるんだよ? ゼミのみんなで集まる約束してたろ』


 そうだ、すっかり忘れていた。バイトが終わったら仲間内で集まって飯を食う予定だった。スマホには不在着信がいくつか入っている。


『横山ん家行ってもいねーから、先に店行っとくぞ』


 今はんなことどうでもいい。僕の気持ちにはお構いなしに、竹内からのメッセージは続いた。


『あ、そうそう、おまえまたマーキングされてんのな』

『同じマークをアパートの他の部屋にも書いといたぞ』

『アリババと40人の盗賊の話でも使われた、由緒正しいごまかし方だ』


「なんてことしてくれたんだよ!」

 僕は思わず大声を上げた。店員や他の客が僕に視線を向けたが、気にしている余裕はなかった。すぐさま荷物をひっつかみ、家まで引き返す。

 ……遅かった。

 アパートの前には数台のパトカーが止まり、建物全体を囲むように立入禁止のテープが張られていた。あちこちの窓に、中から血しぶきが飛んでいるのが見て取れた。

 呆然と立ちすくんでいる僕に、誰かが声をかけた。

「横山浩一さんですね? ちょっとお話を聞きたいんですが」

 私服の刑事だった。


 竹内は、ご丁寧にアパートの全ての部屋にマークを書いて行ったらしい。小さなアパートなのでそんなに部屋数がなかったのだが、それが不幸だったのか幸いだったのかはわからない。

 警察は、ただ一人無事だった僕に疑いをかけているらしい。僕はマークのことを言ったのだが、どこまで本気で取り合ってくれているのかは見当もつかない。

 ただ、事件が起こった時も、マークが書かれたと思われる時間も、近辺の監視カメラには怪しい人影は一切映っていなかったのだと聞かされた。そんなバカな。

 鍵のかかった各部屋をどうやって短時間のうちに回って、住人達を惨殺して元通り鍵をかけることが出来たんだって、そんなこと知らないよ。

 僕は留置場に入れられることになった。これからどうなるのかわからず、まんじりともせずに夜を明かす。

 朝になって、係員のおじさんが食事を持って来た。食べる気にはなれないが、何か腹に入れておいた方がいいか……と思った時、係員さんの独り言が僕の耳に入って来た。


「誰だ、こんなところに丸印なんて書いたのは?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)これは素晴らしく奥ゆきがあるホラー作品ですね。真実がみえてこないからこそ、様々な想像が膨らみます。マーキングと聞くと、人間でない動物の諸行を想像しがちですが、これは人間とも人間でない…
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