第八話
仕事から帰って見てみたら、ブックマークとポイントがなんかの冗談みたいに増えてる
読者様に楽しんでいただけて何よりです。
また明日もこれぐらいの時間に更新できたらします
第八話
地方代官のセルベクは、自室にある鏡の前で自身の顔を見つめていた。
顔には血管が浮き上がり、目は怒りに燃え、顔は憎悪に歪んでいた。
全ては一月ほど前にやってきたあの小娘が原因だった。
伯爵令嬢だかなんだか知らないが、突然やってきてやりたい放題。私を脅し兵と食料を奪っていった。
八つ裂きにしても飽きたらず、なぶり殺しにしてやりたいところだったが、何とか理性で衝動を抑え込んだ。
あの女を殺すことなど簡単なことだ。
ここはもはや私の王国。兵士は私に絶対の忠誠を誓い、領民達は皆が私の下僕だ。
たとえ伯爵の娘でもどうとでもできる。そもそもあの女は親に見捨てられ、この地に流されてきたのだ。親族が訪ねてくるわけでも無いし、都に戻ることもない。
殺した後は、病死したことにしてもいいし、代わりの女を見繕い幽閉してもいい。
だが奴が掴んでいる証拠の原本が問題だった。あれを奪わない限り、あの女を殺すことは出来ない。
その問題の原本だが、すでに奪う算段はついている。
兵を貸すことと引き替えに、あの女には原本が公開されないように、手紙を書くこと承諾させた。その手紙はもちろん中身を確認してある。
中身は暗号で書かれていたため、そのまま出すしかなかったが、手紙を配達しているのは、子飼いの兵士の中でも手練れの腕利き。配達された手紙を追い掛け、原本を持つ者を見つけだし、必ずや奪取するはずだ。
原本さえ押さえれば、あとはどうとでもなる。問題はそれまでの間、原本を奪おうとしていることを、悟られてはいけないと言うことだ。
「落ち着け、落ち着くのだ。セルベクよ」
鏡の中の自分に言い聞かせる。このような凶相を浮かべていては、殺意があると相手に教えているようなものだ。
「笑うのだ、セルベクよ、笑え」
内心にある怒りを隠し、へつらいの笑みを浮かべるのだ。
鏡の中の自分の顔が、徐々に柔和となり、丸みを帯びていく。
「そうだ、それでいいセルベクよ。こびへつらうことは恥ずかしいことなどではない。内心の怒りと復讐する気概さえ忘れなければそれでよいのだ。連中は私を蔑むだろうが、笑わせておけばよい。連中が笑っている間に、策を練り準備を整え、機をうかがうのだ」
下級役人の息子として生まれた私は、頭を下げてばかりの父を見て過ごした。
父は頭を下げるだけで何も出来ない腰抜けで、最後には汚職の濡れ衣を着せられ、処刑された。
父の死後、汚職役人の家族として辛酸をなめ、母も兄弟もゴミのように扱われ、殺されるように死んだ。
私は生きるためにそれこそ何でもやった、家畜同然の扱いを受け、この世のあらゆる暴力と侮辱を受けた。それでもなお私はこびへつらいの笑みを浮かべ、ゴミのような食事を恵んでもらい、命をつないだ。復讐するためには、生きていなければできないからだ。
私は徹底的に無害を装い、自分を踏みつけ見下した者たちを油断させ、だまし、罠にかけ、寝首をかいた。
ひとしきり復讐を終えた後は、名前を変え身分を乗っ取り、邪魔者を葬り去りライバルを失脚させ、この地位にまで上り詰めた。
だがここが終点ではない。自分はこんな片田舎の代官で終わる人間ではない。
私は飛躍する。ここで財を集め中央に働きかけ、この国の中枢に食い込み、今まで私を見下してきた奴らに復讐してやるのだ。
「そうだ、まだまだ私には先がある。未来がある。ここで終わりなのではない。これは試練なのだ。さぁ、笑え。笑うのだ、セルベクよ」
内心を隠し、完璧なへつらい笑みを浮かべるのに成功した。
笑いつつ、情けなさを感じさせる表情。長年訓練することで作り上げた、見る者に優越感を与える笑顔だ。
この笑顔を見せれば、どんな者も私を侮り、油断と隙を見せる。
そして私を無視するようになった頃に、のど笛に食らいついてやるのだ。
それに、聞けばあの女、魔物の討伐に出かけて、大きな損害を受けたと聞く。
死者こそ出ていないものの、半数が負傷し、自身も深手を負ったとか。
やはり女。軍事行動など出来るわけもなく、たかだか魔物の討伐に手間取り損害を出した。
自分でやると言い出して、このザマとは笑える。
兵達も女のわがままに付き合わされて、いい迷惑だろう。
しかしこの状況は使える。
ここは逆に、失敗して帰還した連中を慰めてやろう。わずかな戦果と武勇を大げさにたたえてやれば、意気消沈してきた女はそれで機嫌を直すだろうし、兵達も私に忠誠を誓うはずだ。いざあの女を殺すときには、兵達に任せるのもいいかも知れない。
事が露見した折りには、連中に責任を押しつけることも出来る。
鏡の中の私がにやりと笑顔を浮かべると、扉の外から伯爵の娘と兵達が帰還する先ぶれの報告があった。
仕方がないが、ここは城門まで出向き、迎えてやるべきだろう。
どうせ敗戦故に足どり遅く、時間があるだろうとゆっくりと砦の中を散歩するように歩いていると、城門が開く音が聞こえ、帰還してきた兵達の足音が聞こえてきた。
「ん?」
その足音を聞き、すぐに異変を察知した。
行軍の足音が、一つしかしないのだ。ただし大きい。規則正しく、まるで太鼓を鳴らしているように行軍の足音が一つにしか聞こえなかった。
慌てて窓から中庭を覗くと、すでに帰還した兵士たちが中庭に入ってきていた。
戦闘で負傷した報告に偽りはなく、兵達は何人も体に包帯を巻き、治療の跡が見える。
しかし二列縦隊の行軍に乱れはなく、兵士の歩幅と動きは計ったように一定。掲げられた槍の穂先にすらブレは無く、まるで全員の体が繋がっているかのようだった。
慌てて中庭にでると、兵達は大地を踏みしめ手足を止める。
目の前で見ると、稲妻でも鳴っているかのようだ。
先頭では、伯爵令嬢が馬から下りる。
「回れ右」
女が小さく号令すると、兵士たちが一斉に足を引いて反転。こちらを向いて大地を踏みならし槍を掲げる。
「休め」
また小さく号令すると、脚を肩幅に広げ槍を持ち帰る。
その動きは素早くも乱れはなく、行動を終えたあとは微動だにしない。怪我をし、負傷している兵がいるにもかかわらずだ。
中庭には他のベテラン兵がいたが、皆目を見開いて帰還した兵達を見ていた。
あり得ない、小娘に与えたのは今年入った新兵ばかり。練度は低く度胸も足りない連中だったはずだ。
しかしそれがどうだ、行軍の練度は兵の練度。これではまるで精鋭部隊ではないか。
顔つきも、歴戦の古参兵のように引き締まっている。
いったい何があったのだ? 一月もかけず、新兵を精鋭に作り替えたとでもいうのか?
何をすればこうなるのか、まるで想像がつかない。ただ一つ言えることは、相手を見誤っていたということだけだ。
この女、侮れぬ。
戦慄とともに認識を新たにしていると、女のそばに見慣れない顔があることに気づいた。
役人の服を着た一人の優男。その左右には。砦のものではない兵士を二人従えている。
何者か分からなかったが、とにかく今は目の前の女だ。ここは馬鹿のように従い、持ち上げ油断させる。この女がただ者ではないと分かった以上、入念に策を練り準備を整える必要がある。
「これはこれは、ロメリアお嬢様」
へつらい笑みを浮かべながら、伯爵令嬢に近づこうとすると、男の後ろにいた見慣れぬ兵士が歩み寄った。
「セルベクだな」
優男とともに兵士たちが私に歩み寄ると、突然腕をひねり上げ拘束した。
「何をする貴様ら」
藻掻くが腕は万力のような力でねじ上げられ、動かない。
捕らえられた私を見て、砦にいた兵士たちが動こうとしたが、伯爵令嬢が手を挙げると、二十人の兵士たちが一糸乱れぬ動きで方陣を作り上げ、鉄壁の陣形を構築させる。
まとまりに欠ける兵士たちは、近づくことすら出来ず遠巻きに眺めるばかり。
「静まれ」
伯爵令嬢と共に来た男が、丸められた書状を広げて声を上げる。
「セルベク・ロメス。貴様を国家反逆罪および横領の罪で逮捕する。手向かうものが有れば一味と見なし逮捕、拘束する。控えい」
男は書状を私に突きつける。逮捕状には国王の印章が押されていた。
すぐさま私は武装を解除され、縄にかけられる。砦の兵士たちはもはや抵抗すらあきらめ、主である私が捕らえられていくのを黙ってみていた。
「馬鹿な、話が違うぞ」
私は伯爵令嬢を睨んだ。兵を貸せば公表はしないという約束だったはずだ。
しかし伯爵令嬢は屠殺場に連れて行かれる動物でも見るように、温度のない瞳で私を見下ろしていた。
「貴方は抜け目ない危険な人間です。いずれ必ず私を裏切る。だからその前に私が裏切る」
その言葉を、いや淵の底を覗いたような目を見て、私は自らの不覚を悟った。そして笑った。
「ハハハハハッ、私が裏切るまで、相手が裏切らないと考えたのは確かに悠長に過ぎた。この私としたことが、こんな小娘にしてやられるとは。私もこの世の辛酸を味わいつくしたと思っていたが、お前はどんな地獄を見てきた、どれほどの地獄を潜り抜ければそうなるのだ」
私は女の忠犬となりはてた、新兵達を見る。
どいつもこいつも姫を守る騎士のように、使命感と忠義に瞳が輝いている。
「お前達も気をつけるがいい。この女は怪物だ。この女に信じるべきものなど何もない。お前達はその女に忠義と忠誠を捧げているかも知れないが、女にとっては敵も味方もすべては無意味だ。必要であるから作り、必要なくなれば切り捨てる。お前達もいずれこうなる」
締め上げられ、ひねり上げられても、私は言ってやった。笑ってやった。
例え牢獄に押し込められようとも、処刑場で首を切られる直前であろうとも、私は笑ってやる。言ってやる。
この汚れを知らないふりをした女の腹が、何も見えないほど真っ暗だと言うことを。