第六話
第六話
敵からの追尾を受けながら、私は隊を三つに分けた。
本隊とは別に二人一組を二つ作り、私たちとは違うルートを進ませたのだ。
別動隊を放った後、本隊はまっすぐ進み、山の斜面の開けた場所まで移動し、現在は行軍を停止している。
いま後ろを追いかけている連中が一番望んでいることは、我々がバラバラになって逃げること。
そして一番してほしくないことが、分散して行動することだからだ。
この二つは同じように見えて、実は全然違う。
バラバラになって逃げるのは悪手だ。制御も統率もない、ただの無軌道な行動。目的地もなく進行ルートも確かではない行動は、相手からしてみればはぐれた獲物でしかない。
だが統率を持ち、分散した行動をすれば、相手にとっては厄介なことこの上ない。追いかける相手が増えてしまうのだから、悩まされることだろう。
だが、分散策も決して上策ではない。むしろ戦力の分散は悪手といえた。
それでも兵を割ったのは、とにかく主導権が欲しかったからだ。
まずはこちらが動き、相手に対策させる。先手を取られては押し切られて負けるしかない。
当然連中は寡兵をさらに割る愚を犯さないだろうから、とるべき手は一つ。戦力を集中しての各個撃破だ。
こちらの分散策に気づいたとき、連中の目的は、早急に私たちを殲滅することに切り替わる。もちろん最初に狙うのは戦力を減らした本隊だ。
殲滅に来たところを罠にハメてたたく。
それしか生き延びる道はなかった。
それ故に、分散した隊には負傷した兵を配置した。
本当はその隊に一番重傷のアルを配置する予定だったのだが、かたくなにアルが本隊に残ると主張した。「相手を油断させるのに、けが人がいないとおかしいだろう」というのがその理由だった。
確かに理にはかなっている。
分散の目的は、数のごまかしと、相手が殲滅しに来たところを罠にかけるのが目的だ。そのために負傷していないカイルとオットー、グラとラグの双子を先行させ、伏兵として潜ませている。
あとは罠と気取られないようにする必要がある。
襲撃された時、迫真の演技でおびえ、こちらが無力であると思わせて、相手を油断させなければならない。
その時に負傷した兵士の存在は、何よりもこちらの無力さの証明となる。
ただし、負傷した状態で敵の襲撃を受けるのだから、アルの生存率は極端に下がってしまう。
死ぬことになるかもしれないと言おうとしたが、逆にそっちこそ逃げろと言われてしまった。
だがそれこそできない相談だ。私が逃げたら、確実に奇襲が失敗する。
すでに私が指揮を執っているところを、連中に見られてしまっている。
私の姿が見えなければ、連中は別動隊の存在を疑う。奇襲を完全に成功させるには、必ず私が敵の正面に居なければならない。
それに指揮や『恩寵』の効果を考えると、私がここから動くわけにはいかないだろう。
ただ一つの懸念はある。
私は隣で棒のように立ち尽くしているレイに目を向けた。
レイは青ざめ、がちがちに固まり、縋り付くように槍を握り締めている。
顔はかわいそうなほど恐怖に引きつり、まるで凍えるように体は震えていた。
「レイ、落ち着いてください。大丈夫です」
私は声をかけるが、レイの震えは一向に収まらない。
正直、レイが一番の問題だった。
本隊を中心に敵を受け止め、伏兵として配置したオットー達に後ろから襲撃させ、一気に打ち破る。
囮としての私やアルの存在、そして『恩寵』の効果から、敵をここに誘い込むことはできるだろう。だが根本的な問題として、敵の攻撃を受け止めることができなければ話にならない。
そのためには本隊の中心に、負傷の少ない兵をあてなければならないのだが、負傷のないレイがこのざまだ。重要な役目なのだが、前回の失敗を取り戻そうと固くなりすぎている。このままでは失敗は目に見えていた。
今からでも端に移動させて隊列を組みなおすか?
誘惑が頭をよぎったが、隊列を変えないことに決めた。ただし、少しいじろう。
「レイ、貴方には敵の正面を担当してもらいます」
私はあえて、レイを正面に置くことにした。
「しょ、正面ですか」
「おい、それは」
正面は敵の最も激しい攻撃が予想される場所だ。
レイの顔が青ざめ、青色吐息のアルが非難の目を向ける。
確かに死ねというようなものかもしれないが、それは違う。
「言っておきますが、信用できない部下を、敵の正面に置く指揮官はいませんよ」
正面を突破されれば、どう頑張っても勝てない。少しでも信頼できる部下を置きたいと考えるのが指揮官の常だ。
「レイ、信頼していますよ」
私は軽く肩をたたく。
「は、はい」
少しでも緊張をほぐそうとしたが、かえって槍を持つレイの手にさらに力がこもってしまう。
「私があなたを信頼するように、貴方も周りを信頼してください。各々がそれぞれの役割をこなせば、それでいいのです」
たとえどれほど優秀な兵士でも、一人でできることは限られている。自分ですべてをやる必要はない。ほかの仲間に任せ、仲間が必ずやってくれると、信じるしかない。
そして自分もまた仲間に信頼され、信じてくれて居るのだと、目の前の任務に集中すればいいのだ。
その時になって、ようやくレイは周りを見ることができた。
そばにいる仲間たちは、レイと目が合うと、ほんの少しだけ笑って応えた。
「そうだ、俺たちを信じろ。誰もお前に期待なんかしてねーんだよ」
死にかけていても口の悪さが治らないアルが、わざと憎まれ口をたたく。
周囲にいる仲間たちの顔を見て、レイの顔が少しだけ和らいだ。
少しだけ緊張を解くことができたが、直後、渓谷に鳴り響いた鳥の声が、弛緩しかけた空気を一瞬にして凍り付かせた。
この鳥の鳴き声は、別動隊として配置したカイルの符牒だ。敵の襲来を教えてくれている。敵はもうすぐそこまで来ている。
兵士たちが腰を浮かしかけたが、私は手で制した。
今現在、私たちは休息中という設定だ。
行軍に疲れ果て、これまでのペースを乱し、長く休息をとっている。弱っている私たちを、敵は包囲しようとするだろう。
しかしここは山の斜面にできた窪地。上下は急な斜面で包囲はできず、前後は細い道しかないため、人数の多さも発揮できない。守るには適した場所だ。
当然連中は二手に分かれ、片方を大きく迂回させて、前後からの挟み撃ちを狙ってくるはずだ。
そう予想し、私は手前と奥の両方にオットー達を配置した。
私たちを包囲しようとする、連中を逆に包囲する。
これで勝てるとは限らないが、現在残された兵数や時間を考えれば、これが精いっぱいだった。
遠距離攻撃手段。弓兵や魔法使いがいればもう少し勝率の高い作戦を立てられるが、ないものは仕方ない。
焦れるような時間が過ぎる。
すべての兵が小刻みに震え、青白い顔で荒く息を吐いていた。中には本当に心臓を吐きだしそうな顔をしている者もいた。
敵が来ることと来ないこと、どちらを願っているのかもわからなくなっている。
私は兵を落ち着かせるため、ゆったりと午後のまどろみでも楽しむようにくつろぎ微笑む。
くつろぐ私を見て、兵士たちがほっと息を吐く。少しは役に立ったようだが、兵に落ち着けとする前に、私自身が落ち着くべきだった。
態度では何とか平静を保っているが、内心は焦れに焦れていた。
頭の中では、相手が予想外の行動に出ているのではないかと考え、形のない焦りに胸をかきむしりたくなる。
勝手に大きく膨らむ不安を無理やり抑え込み、爆発しそうになる寸前、悲鳴のような声で敵襲が告げられた。
「て、敵襲!」
全員がばねのように動き、立ち上がり槍を構える。
見ると前後の細い道から、二人組の魔族が黒い犬のようにまっすぐこちらにかけてくる。
魔王軍の姿を見て兵士たちが取り乱すが、それでも逃げはしなかった。
逃げる道もなく、私の策にすがっているだけだろうが、それでも打ち合わせ通りに動いてくれるのなら、か細いが勝算はある。
「円陣を組め、防ぐのです」
私はお腹に力を込めて、大きく声を出した。兵たちを激励すると同時に、魔王軍の注意を引きつけ、後ろに配置した別動隊に気づかれないようにするためだ。
私の声に元気づけられたのか、兵士たちが槍をそろえて突き出す。
陣形を固め防御に徹すれば、時間稼ぎはできる
心配していたレイも、今は落ち着いて周りと呼吸を合わせていた。
あとは後方からオットー達が強襲を仕掛ければ、勝算は出てくる。
いける。もしかしたら何とかなるかもしれない。
作戦がうまくいきかけていると感じた時、強烈な違和感と不安が私の全身を駆け抜けた。
その違和感は、その時はまだ理由もない、ただの直勘でしかなかった。
だが私は勘を信じることにしている。
勘とはただの偶然の思い付きではない。思考が追いついていないだけで、気づいていない情報を感じ取っていることもあるからだ。
なんだ? 私は何を見逃している?
自分でもわからない違和感の正体をさぐると、答えはすぐ目の前にあった。
「数が、数が足りない!」
魔王軍の数は前に二人後ろに二人の計四名。しかし最初に遭遇した時、連中は五名いたはずだ。一人足りない。
それに前後から攻撃する連中の圧力が、最初に遭遇した時よりもずっと弱い。こちらが頑張っているから? いや、わざと手を抜いている?
観察を続ければ、連中は時折上に向けて視線を送り、何かを話している。
魔族はエノルク言語という、私たちと違う言語を話す。
知らない者にとっては、ただの叫び声にしか聞こえないような言葉だが、王子との旅で魔大陸に乗り込むことはわかっていたので、私は旅の最中、必死になって彼らの言葉を覚えた。
もちろん完璧には扱えない。手引書や教師がいるわけでもなし、文法もあやふやで片言でしかわからないが、何を言っているかは大体わかる。
待つ? 隊長? 上から?
聞き取りにくい状況で、なんとか言葉の断片を拾い集める。
それらをつなぎ合わせたとき、私は大声で叫んでいた。
「上だ! 上からくる!」
私が警告を発した直後、頭上から土砂崩れのような音とともに、黒い影が円陣を組む私たちの真ん中に滑り落ちてきた。
「シャァァッァァァア」
円陣の真ん中に舞い降りた魔王軍の兵士は、蛇のごとく声を上げて威嚇した。
身を軽くするためか、すべての鎧を脱ぎ捨て、武装は左右に握る幅広の蛮族刀二本のみ。
両手に握る刃を翼のように広げ、踊るように襲い掛かった。