第二十二話
第二十二話
かつては聖女と呼ばれ、現在では国母となり英雄王アンリの脇を支えるエリザベートは、自室で政務をこなしていた。
国務大臣が持参した書類に目を通しては指示を出し、宰相が持ってくる法案を可決し、外務大臣が送られてきた親書を持ってくれば、読んで返事を返した。
仕事の手は止まることなく、建国記念日の当日であっても、新しい案件が舞い込んできた。
判断の難しい政策に目を通し、指示を出すエリザベートの横顔に、かつての世間知らずの聖女の面影はなく、今や王国の政務の一切を取り仕切る、王国の調整役と変貌していた。
多くの書類に目を通し、なんとか片づけることが出来たエリザベートは文官たちをさがらせた後、深いため息をついた。
腹立たしくもあのロメリアのおかげで魔王軍の脅威は去り、王国に入り込んだ外敵は取り除かれた。
今日、百年目の建国記念日を迎え、国威はこれまでになく高まっている。
だが内憂は多い。いや、多すぎるといっていい。
王はあまりにも正面から事を進めすぎる。
常に正々堂々と行動し、小細工を弄することを嫌う。
戦いではそれが通った。
通ってしまった。
王の、騎士の戦いとはかくあるべしと、正々堂々と戦いその規範を示し、すべての敵を打ち倒した。
だがその考え方は、政治の世界では通用しない。
権謀術数がひしめき合う王宮の中では、搦手がものをいう。
愚直ともいえる王の政策は足元をすくわれ、成果を残せなかった。
王は軍部との軋轢を解消するため、軍部の将校を更迭するつもりのようだが、うまくはいかないだろう。将校の更迭には有力者の賛同が必要となるし、更迭した後にこちら側の人材を据えることが出来なければ意味がない。
そもそも王は甘いのだ。更迭など手ぬるく、処刑すべきなのだ。
魔王軍との決戦の折、王は孤立し窮地に立たされた。
だがあれは兵が臆病で逃げたのではない。計画的な退却であり、謀殺だった。
ザリア将軍は自身を更迭した王に激怒し、子飼いの騎士団を使って戦闘のさなか、敵軍の手で王を殺させるつもりだったのだ。
結果として王は死ななかったが、謀殺を実行した事実は許すことはできない。
督戦隊を組織することで、二度目の謀殺は防ぐことが出来た。
さらに王国軍を正面からぶつけることで、軍部の主力を半壊させ、勢力を弱めることが出来た。
四散した魔王軍の残党を追うことが出来ず、辺境や地方が侵され、ロメリアの台頭を許す結果となってしまったが、あの時はあれが最善だった。
もし軍部が力を残していれば、返す刀で王が討たれていたことだろう。
この三年で勢力をそぎ、軍部の四割はこちらの陣営が占めることが出来た。しかしザリア将軍があきらめるとは思えない。
長年軍部を支配していたザリア将軍の手は長く、どこまでその影響が及んでいるのか、完全にはつかめていない。
そもそも一度謀殺という手に出た以上、引くなどということはありえない。必ず次の手を打ってくる。
問題はその手が読めないことだ。少しずつ麾下の兵を抽出し、不穏な動きを見せているが、なかなか尻尾をつかませない。
いずれ大胆な手を打ってくるだろうが、これにはロメリアの兵を当ててやるつもりだった。
認めたくはないが、ロメリアの兵は王国最強だ。数や規模ではザリア将軍率いる黒鷹騎士団には劣るが、激戦を潜り抜けてきたロメリア騎士団なら軍部とも対等に戦える。
ロメリアと顔を合わせたくはないが、騎士団ごと手元に置き、軍部に対する切り札としておけばいい牽制になる。
その間に計画のしっぽをつかみ、ザリア将軍を処刑する。最悪謀反を起こされても、ロメリア騎士団とつぶしあいをさせれば、労せずして二つの敵を倒すことが出来るだろう。
救世教会との関係も問題だ。
当初は蜜月関係にあったが、最近は亀裂が入っている。
財政の悪化に王が業を煮やし、改革に乗り出したことが原因だ。
これまで慣習とされてきた王家と教会の癒着にメスを入れ、不正を暴いた。
これに対してファーマイン枢機卿長が反発し、王を破門にするとまで言い出した。
もちろんこれには周りが止めて事なきを得たが、枢機卿長の強硬な態度には注意が必要だ。
特に教会内部には、私も知らない暗殺部隊が存在すると聞く。
私を殺すことはないと思うが、王の暗殺には動くかもしれない。
王と私の間には、すでに男児が二人も生まれている。
目障りな王を廃して幼子を王位につかせ、私を摂政の地位につけようとするかもしれない。
そうなれば王国は教会が握ったも同然だし、私にも絶対の権力が手に入るが、この事態は必ず避けたい。私はよくても、幼い子供たちが危険にさらされる。
暗殺で作られた政権は、必ず暗殺によって塗り替えられる。
私が暗殺されるのは百歩譲って構わないが、あの子たちが政争の具となる可能性は、一片たりとも許容できない。
いずれ枢機卿長には引退してもらい暗部を取り上げるべきだろう。
すでに数々の不正や寄付金の横領など、いくつも証拠を握っている。いつでも不正を告発できる状況にあるが、告発は切り出す時期が命だ。最適の瞬間を狙わなければいけない。
時間稼ぎとしては、ロメリアの父親グラハム伯爵を動かそう。
グラハム伯爵がロメリアをどう思っているかはわからないが、さすがに自分の娘が死ぬのは見たくないだろう。
枢機卿長がロメリアの暗殺を考えているとほのめかしてやれば、莫大な献金をすることだろう。
わが父ながら、ファーマイン枢機卿長は金で転ぶ。金の使い道を考えている間は少しは動きが鈍るはずだ。
軍部に教会と大問題の連続だが、他にも頭が痛い問題が国内にはいくつもある。
最たるものとしては、国内に広がる教会への改革の動きだ。
新派擁立の動きは見過ごせない。
国教の分裂は国の分裂。王はそのことを軽く見過ぎている。新派が生まれるのを許せば国体が危ない。
もちろん現在の救世教会に問題が多いことは事実だし、状況を改善することで、彼らの不満を小さくすることは必須だ。
しかし話し合いだけで解決するつもりはない。
武力で弾圧することは悪手だが、危険な思想を持つ過激派は放置できない。
ファーマイン枢機卿長を引退させた後は、手に入れた暗殺部隊は彼らに向けるべきだろう。
いつでも抹殺できるように、密偵を放ち彼らの名前や素性を調べている。
まだ動けないが、時期を見ていずれ刈り取ろう。
ロメリアの人気の高まりにも注意が必要だった。
辺境の領主達は王家を信頼せず、連帯の動きを見せている。さっさと領地に引っ込んだロメリアに政治的野心があるとは思えないが、地方がロメリアを担ぎ上げて反旗を翻す可能性がある。
魔王軍の爪痕大きい地方が、すぐに動くことはないだろうが、王家への不信は大きい。
彼らにはとりあえず飴玉を与えておく。税を軽くし兵役を免除する。
王都の大商人や貴族たちに働きかけ、道路や水路の整備、農地の拡大などを推奨している。
上手く復興特需が起きれば、反乱よりも金儲けを優先させることだろう。
力をつけた地方が後々厄介になるが、密偵は送り込んである。反乱の兆しがあれば気づけるはずだ。
国内には火種が多く、考えただけでも頭が痛い。
またため息が漏れた。
どれもこれも、一手誤れば国を傾ける一撃となりうる。しかも問題は連鎖し、一つが倒れればほかのすべてを巻き込んでいくことだろう。最後には王家という柱を倒す力になりうる。
今の王国は危うい緊張の中に立たされている。
エリザベートは必死に各派閥や問題に対して手を打ち、なんとか王国を保っていた。
すべての問題には、手を打てているはずだった。
油断はできないが、それぞれに対策を立て、よほどのことがない限りどの勢力も動けないはずだ。
エリザベートの基本方針は現状維持。
時間を稼ぎ引き延ばし、それぞれの勢力の弱体化を図る。
軍部からは少しずつ将軍派の将校を排除し、要職から外していく。教会はファーマイン枢機卿長の勢力をそぎつつ、新派とは話し合いと暗殺の両面で対処する。
地方には税と兵役の負担を軽くし、一方で監視の目を強くする。
時間をかけて連中の頭が冷えてくれば、そのうち反乱の芽も小さくなる。楽につみ取れる頃に、頭だけつぶしてやれば、あとはおとなしく従うだろう。
問題はロメリアだ。
政治的野心はないだろうが、人気が高すぎるのが問題だ。小さな汚職や問題を公表して人気を落としつつ、民衆が忘れるのを待つべきなのだが、これにだけは個人的な感情が頭をもたげる。
陛下には冷静にと言ってはいるが、自分自身。あの女のことを思い出すと、心がざわつき、冷静でいられなくなる。
感情ではロメリアの首をはねてしまいたいが、そんなことをすれば民衆が蜂起し地方領主達も黙っていない。混乱に合わせて軍部と教会も動くだろう。
今は下手に動かず、ロメリアの人気が陳腐化するのを待つのが最善。
冷静になれと自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。
しばしの瞑目の後、心からロメリアを追い出せたが、何かが心に引っかかっていた。
何か大事なことを忘れている気がする。
ここ数日とらわれている不安でもあった。
しかしどれだけ考えても思いつかない。考えうる限り、すべての問題に対処できているはずなのだが、不安がぬぐえない。それともこれは連日の疲労による錯覚か?
癒しを求めて、自然と視線が部屋の隅に向かう。
視線の先には子供用の寝台が置かれていた。
しかし、そこに愛くるしい天使たちの姿はない。
政務のさなかとはいえ、子供たちからは離れがたく、世話は侍女や乳母に任せているが、できるだけ一緒にいることにしている。
しかし今は時期が時期だ。軍部と教会が不穏な動きを見せている今、子供たちは城の中の安全な場所に隠している。それもどれだけ効果がある事か。
そんなことは起きないと考えたいが、最悪の事態を想定して、あの二人に手紙を出しておいた。
役に立たなければそれが一番いいのだが、打てる手は打つ。備えすぎるということはない。
全てはあの子たちのためだった。
自分だけなら国庫を気にせず浪費していただろうが、生まれてきた息子達のことを考えるとそうはいかない。いずれあの子達がこの国を担うのだ。子供達に負の遺産を引き継がせるわけにはいかない。少しでもいい状態で受け継がせてあげたい。
妻となり母となり、自分がこんな風に考えるなど、数年前には想像もしなかったものだが、人とは変わるものだと、他人事のように思ってしまう。
子供たちのことを想うと少しほおが緩む。ここにはいない天使たちに癒されていると、部屋の扉がノックされ我に返った。
「王妃様、そろそろお時間です」
気が付くと時間が経ち、建国記念日の式典まであとわずかとなっていた。
とにかく今日の式典を乗り越えなければならない。
上手くロメリア騎士団を呼び寄せることに成功し、パレードの列が国中をまたいでやってきている。救国の英雄の行進に国民達も喜んでいる。
ロメリアと顔を合わせるのは気が滅入るが、これも仕事と割り切るほか無い。
簡単に身支度を調え、自室を出る。
外で待っていた侍従に導かれながら廊下を歩くと、窓の外には城の前方に広がる広場が見えた。
広場の両脇には民衆が集まり、旗を振り歓声を上げている。
城門の外にも民衆の列が続き、城下街の通りを抜けて城壁にまで続いているのが分かる。
街の中頃では一際大きな歓声が広がり、行進をしているロメリア騎士団がどの辺りにいるのかが見ずとも分かった。この分では、あと半時と経たぬうちに、ここにまでやってくるだろう。
廊下を抜けて謁見の間にはいると、多くの文官や武官。有力貴族達が集まっていた。
玉座を見るが、そこに座す者の姿はなく、王はまだ来られていないようだった。
玉座の反対側、大きな窓の外には、バルコニーがあり、城下の広場を見下ろせる。
今日の予定では陛下はあそこから民衆とロメリア騎士団に声をかけ、その働きを称え、功績としてカシュー守備隊を正式にロメリア騎士団として認める。そしてロメリアを王国初の女性指揮官として、騎士団長の位を与える宣言をする手はずになっている。
ロメリアを持ち上げる結果となってしまうが、民衆は熱狂する。こういった催しでは、とにかく民衆の感情や動向に気を配らなければならない。
王位につく者が、このような人気取りをしなければならないなど、昔は考えもしなかった。
しかしなってみれば、民衆に貴族に教会に軍部。あちこちにいい顔をせねばならず、気ままに遊びにふけるわけにも行かない。
玉座の隣に歩み、少し下がった位置に配置された椅子に腰を下ろし待っていると、侍従が陛下の御成りを告げた。
活動報告にも書いていますが、
これから少し更新頻度を下げます
次回更新は七月九日を予定
理由はあるのですが、今は言えません。
いずれ報告できる時になれば、報告しようと思います
また、これまで感想は返信をさせてもらっていましたが、これも少しの間停止します。
これは単純に、感想に返信することで、ネタバレや読後感の夾雑物となる可能性を考えてです。
作者に邪魔されず、作品をお楽しみください
更新頻度は減りますが、これからもよろしくお願いします




