第二十話
第二十話
ライオネル王国の王城の執務室では、英雄王アンリが報告書を投げ捨て、側に控える文官達に対して怒鳴り散らしていた。
「ええい、もういい。下がれ」
文官達を退出させ、苛立ちまぎれに机を叩く。
上げられてくる報告は、どれもこれも気に入らないものばかりだった。
まず王国の財政は火の車だ。
税収は減る一方であるのに、国庫金は底を突きかけている。
もちろんこれには私にも反省がある。
王位を継いだ当初、つい喜びにふけり、園遊会を開いて浪費してしまった。
王国の財政難を知ってからは、そのような浪費は切りつめ、緊縮政策を実施した。一方で財政改革を行い、何とか財政を立て直そうとしたが、上手く行かないのが現状だ。
商人や教会勢力との癒着が横行し、地方役人が税を誤魔化し、賄賂を受け取っている。
汚職がまかり通る世界では、誰も真面目に税など払わない。財政は健全化されず、一向に回復しない。
頼みの綱の金鉱山の開発も期待されたほどではなく、予想を大きく下回った。
何とか財政を立て直す方法を考えていれば、文官達は口をそろえて増税をしろという。
全く無能な限りだ。
確かに増税こそ財政を立て直す近道だが、財政悪化の原因は他にある。
そのツケを国民に支払わせるわけにはいかない。
いや、無能なのは文官だけではない。軍部も怠惰そのものだ。
魔王軍の戦いでは消極的な意見ばかりで攻撃に出ようとせず、仕方なく私が陣頭指揮をとれば逃げ出し私一人敵陣に残された。
あの時は危うく死ぬところだった。本当に、命があったのが不思議だった。
これが農村から徴兵した農民兵であるなら命惜しさに逃げるのもわかるが、私の周囲にいたのはもちろん精鋭の王国軍だ。指揮官が、王が最前線で剣をふるっているというのに、軍が王を見捨てて逃げ出すなどありえない。
指揮官を敵前逃亡の罪で斬り、綱紀粛正を図ったが、当時婚約者のエリザベートがそれでは手ぬるいと、督戦隊を作れと言ってきた。
さすがに味方を討つような真似はしたくないと反対だったが、エリザベートがかたくなに譲らず、仕方なく形だけ組織した。
その後は敵前逃亡するものはなく、なんとか魔王軍を打ち倒すことが出来たが、軍部の連中は、私の功績を称えるどころか、公然と命令を無視し始めた。
今なお残る魔王軍の残党の討伐を命じれば、やれ兵力が足りないだの食料が無いだのと、何かと言い訳をつけて一向に動かない。
今考えればあの時、督戦隊を組織したのは正しかった、そうでなければ決戦には負けていたかもしれない。
地方が蚕食された原因は、全て軍部にあると言って良い。
そしてロメ。
ロメ、ロメ! ロメ!!
全く何度聞いても忌々しい名前だった。
私が苦労して魔王軍との決戦に勝利したあと、あの女は突然現れて、私の勝利をかすめ取った。
軍がマゴマゴしている間に、あいつはどこから調達したのか、兵を率いて辺境各地の魔王軍を討伐し、今では救国の英雄扱いだ。
だが英雄はこの私だ。
魔王を倒したのはこの私だ! 魔王軍との決戦に挑み、勝利したのはこの私だ!
あの女はただ付いてきただけだ。
魔王との戦いで、あの女は何もしていなかった。魔王軍との戦いでも、あの女が何かをしたという話は聞いていない。一度も武器を持たず、ただいるだけの存在だ。
戦ってもいないのに、なぜ英雄なのか!
「全く、民衆は一体何を考えているのか」
民衆は恩知らずだ。
魔王を倒し、ガレ大将を討ち取り、魔王軍を撃破したのはこの私だというのに、最近ではロメリアばかり持ち上げ、税が重いと不満の声ばかり上げる。
なぜあんな奴らのために、私は戦ったのか。
「えええい、忌々しい」
机を殴りつけると、閉じたはずの扉が開いた。
「騒がしいこと。外まで声が聞こえましてよ」
入ってきたのは王妃のエリザベートだった。
妻は氷のように冷たい眼差しで俺を見る。
結婚してからと言うもの、エリザベートとの関係も悪くなる一方だった。
今では夫婦の間は完全に冷え切り、ろくに会話もない。
本心を言えばもう離縁したかったが、聖女とされるエリザベートと離婚するわけにも行かない。教会との対立も考えれば、冷め切っていても夫婦である必要があった。
それに子供のこともある。
「ティルとエイルはもう寝たのか?」
昨年と一昨年に生まれた息子達のことを尋ねる。
妻との関係は冷めきっているが、子供のことは愛している。子供のためにも、夫婦でいる必要があった。
しかし妻の顔が気に入らない。特にその何かをあきらめたような目が気に入らなかった。
「お前のせいだぞ、お前の言うとおりロメリアを泳がせていたら、奴を反逆者として討伐する機会を失ってしまったではないか」
勝手に軍を越境させ、魔王軍と戦うロメリアは間違いなく反逆者だ。
私はすぐにあの女の討伐を命じようとしたが、家臣や大臣達はこぞって止めた。
それでも私が討伐の勅令を出そうとすると、エリザベートが策を献じた。
ロメリアに魔王軍の残党を退治させ、あらかた終わったあとに解散を命じ、従わなかったときには叛意ありとして、討伐の勅令を出すというものだった。
しかしロメリアは魔王軍の残党を蹴散らしたあとは、こちらの命が届く前に騎士団を解体し、自身は少数の騎士を率いてカシューに戻ったという。
「これではもう手が出せないではないか。あいつは勝手に軍を動かした反逆者だぞ」
「こちらの動きを読んでいたとは言え、ここまで思い切って軍を解体するとは思いもしませんでしたな」
自身の策が空振りに終わったというのに、悪びれもせずにエリザベートがのたまう。
「あいつが勝手に軍を動かしたことは間違いないのだ。それを理由に反逆罪で引っ立てるか?」
「それは出来ますまい。公式にはあの女は軍属ではありません。指揮官でもなければ領主でもない。身分もただの伯爵令嬢のままです。兵の慰問や視察のためにやってきているだけのものに、責任は問えません」
「しかしロメリア騎士団と名乗っているではないか。どう見ても奴の私兵だ」
「周りがそういっているだけです。公式にはあの部隊はカシュー守備隊。指揮官は炎の騎士アルビオンとなっています。反逆罪を問うならば、あの者を罰することになりますが。陛下はあの騎士を気に入っているのでしょう?」
妻に指摘されると言葉に詰まった。
ロメリア騎士団の兵士達は、皆が立派な騎士達だ。
恐れることなく魔王軍に立ち向かい。そして強くなった。
生まれの身分が卑しいことに、口を挟む者達もいるが、私はそうは思わない。彼らは努力と実力で、身分の低さを克服したのだ。だからこそ私も彼らに騎士の位を与え、場合によっては爵位を与えてもいいと思っている
「確かに彼らは立派な騎士だ。私の側に置き、騎士団を任せたいぐらいだ」
理想を言えば軍部の連中を更迭し、彼らに任せたい。
「であれば、罪に問うわけには参りますまい」
「しかしだ、彼らを評価するからこそ、あの女から助けてやりたいのだ」
ロメリアは他人の功績を奪う卑怯者だ。実際に魔王軍と戦っているのは彼ら騎士団だ。ただ付いているだけのくせに、その功績を奪い、聖女などとおだてられている。私にはそれが許せない。
「それともグラハム伯爵を罪に問うか? それならば可能だろう」
あれがカシュー守備隊であるならば、カシュー地方を治めるグラハム伯爵にこそ責任がある。
父を罪に問い、ロメリアも連座させることは可能なはずだ。
「それも難しいでしょうね。何せ相手はあの二枚舌の伯爵です。今回のことであの男、あちこちに恩を売り、金を儲けていると聞きます。教会にも多額の寄付金を行い、商人とのつながりも強い。告発しても上手く逃げ切るでしょう」
悔しいが、妻の言うことはおそらく事実となるだろう。
全く思い出しても忌々しい顔だった。
謹厳実直といった顔をしつつ、その実どちらにも都合のいい顔をする。
私の前では、娘の勝手な行動に困り果てる親の顔をして同情を集め、地方領主からは討伐費として金をせびり、娘の銅像や石像をあちこちに建てて、恩を売る始末。
社交界の狢。子が子なら親も親だ。
「ならどうしろというのだ」
家臣や妻は魔王軍の脅威が去らぬうちに、王国同士でもめるのは不味いと言って止めた。しかし事が全て終わってみれば、もはやその罪を問うわけにも行かない。利用するだけ利用して、用が無くなれば罰するのでは、それこそ騎士道にもとる行いだ。
「もう何も出来ないではないか」
「それでいいのです」
「何だと!」
「何もしなければよいのです。民が忘れっぽいのはすでにご存じのことでしょう? 何もせず放って置けば、いずれ民はあの女のことを忘れます。陛下が善政を敷けば、自ずと陛下の評価が高まることでしょう」
「しかし、連中はこのまま野放しか」
このまま何もしないなど耐えられない。負けを認めたようなものではないか。
「今は待つのです。辺境を中心に、不穏な動きがあると聞きます。このまま静かに待てば、いずれ我慢の出来ない者がボロを出します。それを待っていれば、あの女を討つことも出来ましょう」
「しかし!」
「それよりも二ヶ月後に迫った、建国記念日の準備に取りかかりませんと。今年は建国百年目を迎える節目の年です。恩赦を与え、税を軽くし民衆の声に応えるのです」
「民衆だと? 王をないがしろにする民衆か!」
「ええ、その民衆です。少しあめ玉を与えてやるのです。民衆など可愛いもの。目の前にニンジンをぶら下げてやれば、簡単に騙されてくれるではありませんか」
妻のその言い様は、小気味が良かった。確かに、目先のことしか考えない民衆を、楽しませてやるつもりでやってやればよいのだ。
「もしどうしてもロメリアや伯爵家に仕返しをしたいというのであれば、一つだけ方法がございますよ?」
妻が氷の微笑を浮かべた。




