第十一話
今日は早めに投稿。
日付が変わるぐらいにもう一話投稿できるかもしれません
第十一話
「しかしよいコレクションですね」
ノーテ司祭を前に、私はすぐには本題を切り出さず、部屋の調度品の数々を見回した。
部屋の棚に飾られているのは、大きなガラス瓶。その中には琥珀色の液体とともに死んだ動物の標本が入っていた。
瓶に収まるネズミやトカゲなどの小動物は、腹部が切り開かれ内臓が露出し、心臓や肺。胃や小腸などがよく見えた。
「ほめていただいて恐縮ですが、ご婦人には気持ち悪いだけなのでは?」
「そのようなことはありません。興味深いです。しかし人間の標本がありませんが、ないのですか?」
私の問いにノーテ司祭の眉がピクリと動いた。
「まさか、そのようなもの、あるわけがありません。人間の解剖は邪悪であると、救世教会では禁じられております」
確かに教会は人間の解剖を禁じている。しかしこれはおかしなことだ。
「ですが千年前に神の祝福を受け、癒しの技で傷ついた民衆を助けた癒しの御子は、死せる弟子のペルルの体を切り開き、その体をよく調べ、後の治療の助けにしたといわれています」
救世教の教祖がしたことを、邪悪とするのは無理がある。
「ペルル記第十三章十五節ですね。確かに古い聖書にはそう記されています」
ノーテ司祭は私の言い分を認めた。
「ですが癒しの御子がペルルの体を切り開いたという逸話を、教会は異説であるとして認めてはおりません」
「確かに教会は否定していますが、ペルル廟にはこの逸話のレリーフがありますし、各地にも同様の絵やレリーフ。伝承などが残されています。異説とするのは無理があるのではありませんか?」
ノーテ司祭は私の問いに黙して語らず、沈黙で答えた。
人間を解剖することに対する忌避感は、当然だが誰にでも存在する。
むやみに推奨するわけにはいかないのはわかるが、その行為が弊害を生んでしまっている。
「司祭様に今更言う必要もありませんが、五百年前、この地を支配していたライツベルグ帝国は大陸全土にその版図を広げ、あまりの偉業に黄金帝国と称えられていました。帝国時代には多くの発見や発明がなされ、人類が最も豊かな時であったとすら言われています。しかし帝国が滅んで五百年。新たな発見や発明はなされず、技術的には後退しているところすらあります」
千年前、当時はまだまだ勢力が小さかった救世教会は、帝国の躍進とともに巨大化し、現在の形となった。
帝国が滅んでも教会は生き残り、国をまたいでその影響力を持つようになったが、教会勢力の拡大は、人類の発展の足かせとなっている。
「これらの原因は、教会が異端として錬金術を禁じているからです」
教会は錬金術を悪魔のまじないとして否定している。だがそのせいで、新たな発見も発明もなされなくなってしまった。
私がきっぱりと言ってやると、ノーテ司祭は苦笑いを浮かべた。
「これは、なんとも大胆なお言葉ですね」
苦笑するのも当然だ。
錬金術の究極の目的は黄金を生み出し、不老不死になること。これらの考えは明らかな異端であり、多くの人は到底受け入れられないものだ。
もし私の発言が教会側に知られれば、異端審問官に即魔女認定され、火あぶりにされてもおかしくないぐらい危険な行為だ。
しかし発見や発明の停滞は、明らかに教会が原因だ。
黄金帝国終焉時、救世教会は帝国で広く信じられ国教となっていた。しかし帝国は一方で宗教の自由を認め、それまで信じられていた多くの神々や異国の宗教も容認した。
当時の市民たちは自分たちの神々の解釈をめぐり議論を繰り返した。議論は神学と天文学を発展させ、それに伴い数学に錬金術が隆盛した。
「黄金帝国時代、錬金術は人類に多くの恩恵をもたらしました。金を生み出す過程で、様々な薬品や絵画の顔料が発見され、接着剤に建材などが生み出されました。不老不死を目指す一派は人体の解剖をよく行い、人体の構造と役割を解明することに貢献しました」
錬金術は、人類が最も豊かだった時代を支えた功労者と言える。
しかし帝国が滅亡して止める者がいなくなった救世教は、ほかの宗教を邪教として弾圧し、古の神々を悪魔として祭ることを許さなかった。
占星術や錬金術も邪悪とされ、多くの技術も失われてしまった。
ペルルの逸話が削除されたのもこの時期だ。自らが異端とした錬金術と同じことを、自分たちの教祖も行っていたという矛盾に直面し、あろうことか、自分たちの都合で教祖の行動を無かったことにしたのだ。
「確かに錬金術が多くの発明や発見を成しましたが、その陰で、どれだけの悲劇があったことかをご存じないのでは?」
ノーテ司祭は切り返してきた。確かに錬金術は危険な思想を持つ。
「発展のために、時に人命を無視した行動がとられることは知っています」
発見された薬物の中には多くの毒物が含まれ、多数の犠牲者を出した。当時の錬金術師たちは効果を調べるために、非道な人体実験を行い、村一つが壊滅した記録も残っている。錬金術が広く悪魔の技とされるゆえんだ。
「特に不老不死を目指す者たちは、死者を冒涜し、命をもてあそんできました。それをまた繰り返せと?」
「錬金術には確かに邪悪な側面があり、人体実験などは厳重に禁じるべきです。しかし人類に利する部分も大きい。特に医学に関しては積極的に進めるべき分野です。何より、人体の構造の理解は癒し手にとって必須です」
現在では人体の構造を理解する癒し手はごくわずかだ。しかし数百年前は、どの癒し手も人体の構造を理解し、その研究に努めていた。
「黄金帝国時代には、それこそ現代では伝説となるほどの癒し手が数多く存在していました。彼らは癒しの技だけではなく、外科手術にも通じ、手術と癒しの技を融合させ、多くの患者の命を救ってきたといいます」
はるか数百年も昔のことだというのに、多くの聖人たちがその名を残している。
千年前、救世教が急成長し確固たる地盤を築けたのは、彼らの功績によるところが大きい。
「しかし帝国滅亡後、一部の例外を除き、かつての聖人のような使い手は激減しました」
現在の癒し手と過去の癒し手たちの違いは、ひとえに人体に対する理解度の差であると考えられる。
「伝承では彼らは解剖をよく行い、人体の構造の理解に努めたとあります。当時の癒し手たちは、本人や遺族の合意の下、病人や死刑囚の遺体を引き取り解剖し、最後には埋葬して弔ったと記されています」
だが錬金術や解剖を悪だと断じた教会は、それらの事実を隠蔽し、結果癒し手の質は大いに低下した。
「しかも教会は医学を発展させるどころか、民間療法としての薬草や傷薬。ポーションの製造さえも禁止しようとしています」
教会はかねてから、医学の発展を抑制しようとしていた。
神が作った人間の体に、手を加えるべきではないというのがその根拠だ。
一見するともっともらしい意見だが、要は自分たちが独占している癒しの力で、怪我や病気を治せという話だ。
「一方で、癒し手を生み出す治療院は門戸を狭くし、一般人には入学することすら困難です。しかも育成には無駄に時間をかけている」
卒業までに最低でも五年。時には十年かかる者もいると聞く。育成に時間がかかりすぎていて、癒し手の数は一向に増えない。
「それは、癒し手には特別な才能を必要としますから」
ノーテ司祭は言葉を濁しつつも否定した。
「もちろん、癒し手になるには才能も必要です」
癒しの技は魔法の力と同じで、素質がないものには習得できないとされている。しかしその素質を持つものは、意外に結構いるのだ。
残念ながら私にその才能はなかったが、十人いれば一人はなれる。それぐらいには広い門戸だ。
もちろんその才能の中にも大小があり、小さな傷を治すのが精いっぱいの者もいれば、失われた手足を再生するような、規格外も存在する。
「ですが、一番必要なのは裕福な家柄とコネクション。そして教会に多額の寄付をすること。でしょう?」
教会は治療院への入学に対して、三つ以上の教会の推薦状を必要としており、推薦してもらうには強力なコネと、教会への多額の寄付が必要となる。さらに入学するにも高額の入学金が必要で、さらに毎年学費も支払わなければならない。
教会は奨学金制度を推奨しているが、要は借金であり毎年利息が付き、晴れて癒し手となれても十年は借金返済に追われることとなる。
「それは……癒し手の教育にはいろいろと物入りですからね」
教会の高僧たちは決まってそういうが、そんなに必要だとは思えない。
「これは異なことを。癒しの御子は、何もない荒野で車座に座り、弟子たちに癒しの技を伝えたとされています」
治療院にある無駄に装飾華美された校舎も、広大な中庭も、金の刺繍が施された制服も必要ない。
「御子に倣えば必要なものは少しの才能と熱意。後は優秀な指導者。そうではありませんか?」
ノーテ司祭はまたも沈黙で答えた。
曲がりなりにも司祭として教会に籍を置く司祭としては、私の教会批判は耳に痛いだろう。しかしそれでも激怒せず、私を魔女だとののしらないのは、ひとえに司祭も同じ気持ちだからだ。
ノーテ司祭は今でこそ、こんなところで司祭をしているが、若かりし頃は王都の大聖堂で枢機卿にまで上り詰めた立志伝中の人物。
ある時教会の拝金主義に嫌気がさし、改革に臨むもライバルであったファーマイン枢機卿に失脚させられ、地方に飛ばされた上に司祭にまで降格された。
中央での改革はあきらめたものの、少しでも多くの人々を救おうと活動し、後進の育成に努めているのはすでに見てきた通り。
「拝金主義にまみれ、医学の発展を阻害する現在の教会のありようは、害悪と言えましょう」
「これは手厳しい」
魔女裁判を恐れぬ私の言葉に、ノーテ司祭は笑って答えた。
「しかし若い方は恐れを知りませんな。私は神を信じる司祭ですよ? どうして教会の在り方を否定できましょう。今日のことは聞かなかったことにいたします。どうかお引き取りを」
ノーテ司祭は扉を閉めるように話を打ち切った。
まぁ当然だろう。いくら志を同じとしても、今日初めて会ったような娘に、異端認定間違いなしの話を持ち掛けられ、うなずくわけがない。その程度に司祭は慎重だ。
しかし今話したことは、私が思いついた思想ではない。私はある人にこの話を教えてもらい、賛同しているだけだ。そしてその人も、また別のある人に教えられたと言っていた。
「実はあなたにもう一つ、お渡しするものがあるのです」
「いったい何でしょうか?」
私は懐から、袋に入れた品を取り出し見せた。
布に包まれたそれは、木で作られた小さな聖印であった。
みすぼらしく薄汚れた木彫りの聖印。
気づくか?
それが懸念であったが、聖印を見るなり、ノーテ司祭の顔色が一変した。




