4、静かなお茶会
健太郎が意気揚々と店を去った翌日の昼下がり。
さわやかな風に吹かれながら白寿堂の玄関をくぐったよつはは、ステンドグラスの光に包まれて立つ店主に会った。石灯篭は庭にいたし、花緑青は寝ているのだろうか。まだ椅子のまま。珠串は出かけているのか、室内にいるのは店主だけだった。
「こんにちは」
「……ああ」
よつはが声をかければ、店主はちらりと視線を寄こして短い返事をする。色とりどりにきらめく瞳に静かに見つめられて、よつはの心は不思議と落ち着いた。なじんできたこの店のステンドグラスに、よく似ているからだろうか。
すこしのあいだ言葉もなく視線を交わしていたふたりは、店主がふとまばたきをしたのをきっかけにそれぞれ動きだす。
よつはは靴を脱いで室内にあがり、店主は戸棚の食器に手を伸ばす。
本当は、昨日の健太郎によるひと騒動でけっきょくできなかった草むしりの続きをしようと思って来たのだけれど、店主がいるならすこし話をしてみたい。
そう思ったよつはは、ステンドグラスのある部屋の続き間になっている台所に足を運ぶ。
キッチンではない。台所だ。
銀色のシンクには蛇口がひとつ。それも小学校にあったような、ひねって水を出すタイプのものだ。その横にはタイルの貼られた台があり、小ぶりなふたくちガスコンロがちょこんと置かれている。
花緑青がひとの形を取るようになってからしばらくして、珠串に使い方を教わったのだ。たいていは珠串が飲み物を用意してくれるが、ときおり少女が「よつはの淹れたお茶がいい!」とねだってくれるので、よつはもここに立つことがある。ごくまれに、だが。
シンクの向こうの壁に大きな窓があるためいまはじゅうぶん明るいが、陽が暮れてしまえば天井の真ん中にあるすこし黄ばんだ裸電球の明かりだけでは、手元が見えづらいかもしれない。
そんなことを思いながら薬缶に水を入れて、火にかける。コンロのつまみを回したときのちちちちち、という音が、なんとなくよつはは好きだった。自分の借りているアパートの部屋では電気湯沸かし器のボタンを押すだけだけれど、それよりもゆらゆらと揺れる火を見ているのは、なんとなく気持ちが温かくなる。
水が沸くまでのあいだに、茶器を用意しよう。
そう思ったよつはだったが、店主の好みを聞いていないことに気が付いた。すこしきしむ戸棚のなかには、いろんな種類の茶葉が並べられている。茶によって淹れかたもすこしずつ違うということを珠串から聞いてはいたが、淹れかたまでよつはは習得していない。
それでも、緑茶か紅茶か、それともすこしだけ置いてあるコーヒーか。それくらいなら選択肢を用意できる、とステンドグラスのある部屋に向かう。
「飲み物を淹れようと思います。好みはありますか」
雑多に置かれた棚のあいだから顔を出して問う。
「……特にない」
店主は着流しの袖に手を差し込んで伏し目がちに答える。さきほど手を伸ばしていた戸棚への用事は、もう済んだのだろう。けれど「いらない」以外の答えがあったということは、茶の用意ができるまで待っていてくれるということだ。
身をひるがえしたよつはは、そこそこの手際で飲み物を用意する。棚に並べられた瓶からひとつを選び茶葉をすくう。すくった茶葉を入れるのは、使い込まれた急須だ。
ここに置いてあるもののほとんどは、健太郎の祖父が使っていたものらしい。健太郎いわく「古いけどまだ使えるものばっかりだし、じいちゃんの物を片付けちゃったら親父たちが業者に頼んで残りの道具たちを全部、捨てちゃいそうだからわざとそのままにしてるんだ」とのことだった。
急須の茶葉に湯を注いだよつはは、台所の戸棚から白いカップをふたつ見つけてお盆に乗せた。飾り気のないカップはセット物ではないらしく、それぞれ形が違っている。これも健太郎の祖父がどこかで買ってきた古い道具なのだろうか、と眺めながら店主の元へと運んでいく。
「お茶持ってきました」
声をかける前に店主は椅子に座っていた。よつはがいつもなんとなく座ってしまう縁台の端だ。縁台の真ん中あたりにお盆を置いて、反対端に腰を下ろしたよつははそろそろいいか、と急須を手にとる。
細い口のさきから湯気をあげながら出てきたのは、澄んだ色をした紅茶だ。ふたつのカップにわけて注いだよつはは、立ち上る湯気の香りを楽しんだ。
「……紅茶にしたのはなぜだ」
横に座ってカップを手にした店主の問いかけに、よつははぱちりとまばたきをする。
「紅茶が好きなので。あと、この色が」
カップを持つ手を動かし、明るい色をした液体をゆらめかせて遊ぶ。
「店主さんの髪の色に似てたので」
そう言って店主を見れば、すこしうつむいた彼の目元にオレンジの髪がさらりと流れる。それと同時にきしり、かすかに軋んだ音を立てたのは、何だろうか。よつはがどこかで聞こえた物音に気を取られたとき。
「……太郎も、そんなことを言っていたな」
店主がちいさくつぶやいた。そのかすかな声を聞き逃したよつはは、首をかしげる。
「健太郎さん、ですか?」
「ちがう」
聞き取れなかった部分を想像で補ったよつはの問いは、短く否定された。さらに、店主の眉間にしわが寄る。
「あいつはだめだ。気が回らない、落ち着きがない、動きに無駄が多すぎる。そのうえやたらと騒ぎ立てる」
さんざんに言われているが、よつはは健太郎をかばうことばが浮かばなかった。それどころか、少なからず同意できる部分があったので、だまっていることにした。
苦々し気に言った店主も、それきり口をつぐんだので、ふたりのティータイムはとても静かなものとなった。
静かな室内に、庭の木の葉がさらさらと鳴る音がわずかに届く。室内を満たすのは息の詰まるような沈黙ではない。穏やかで、ゆったりとしたときが流れていく。
しばらくして、よつはのカップの中身が空になるころ。同じく紅茶を飲みほしたらしい店主がカップを置いて、立ち上がる。
そのまま背を向けた店主は階段のほうへと歩いたかと思うと、ふいに足を止めて肩越しに振り向いた。
「ここに居られる条件はひとつだけ、道具を大切にしてくれ。……紅茶、わるくなかった」
それだけ言って、店主は二階に続く階段をのぼっていった。