3、よつはのご利益
たずねれば、花緑青のほほがぷっくりとふくらむ。ワンピースを握る手にぎゅっと力を入れた少女は、ほほをふくらませたままよつはをにらんだ。
「ずるい! すっごくずるいわ!」
ぷっくりふくれて怒ったまま、花緑青はよつはの後ろに視線をやって健太郎をにらみつける。
「だけど。よつはがそういうなら、特別よ! 健太郎、そのリボン受け取ってあげる。お茶はしてあげないけど、あたしの名前を呼んでもいいわ。あたしの名前は花緑青。もしも呼び間違えたら、もう会ってあげないからね!」
あごをそらして言い切る少女に、いつの間にか床にひざをついた健太郎がうなずいて震える手でリボンを差し出した。その目はうるみ、ほほは喜びに赤く染まっている。
ふんぞり帰る少女と、跪いて顔を赤らめる成人男性。
健太郎は純粋につくもがみが好きなだけだとわかってはいるがちょっと絵面が危険だな、と思ったよつはは、ふたりの間に立って健太郎の手からリボンを受け取った。そして、当然のように背中を向けてくる少女の髪に結び付ける。
栗色のやわらかい髪に、やさしく艶のあるグリーンのリボンがふわりと揺れる。少女の身につけているワンピースとはまたちがう色味だが、ふしぎとよく合う。
「とても似合ってる」
「そう? よつはがそう思うなら、いいわ」
尊大に、けれど満足そうに少女がうなずけば、髪を彩るリボンもいっしょに揺れる。その光景を健太郎は幸せでたまらない、という顔をして見つめていたが、花緑青の横に立つよつはに気が付くと、その場に座ったままで両手を合わせて目を閉じた。
「……なにしてるんです?」
「つくもがみと仲良くなるために、よつはちゃんを拝んでる」
目をつむったまま答えた健太郎を見る花緑青の視線は、とても冷たい。健太郎からそろりそろりと距離をとった少女がよつはの背に身を隠したころ、ようやく彼は目を開けた。
「おれ、ずっとつくもがみと仲良くなりたいと思ってたからさ。ここに来てすぐのよつはちゃんがそんなになつかれてるのを見て、嫉妬しちゃったんだよね。でも、そうじゃないよね。よつはちゃんに嫉妬するより、拝んだほうがご利益ある気がしてきたよ」
おだやかな顔でそう言って、健太郎はふたたび手を合わせてよつはを拝む。そこへ、部屋のすみに居た珠串が歩み寄ってきた。やれやれ、仕方ない、と言わんばかりの微笑みを浮かべている。
「ですから、何度も申し上げたでしょう。初対面であまりに積極的だと迷惑がられますよ、と」
「わかってるよー。わかってるけどさあ、つくもがみを見るとうれしくなっちゃって、ちょっと自分を抑えられなくなっちゃうんだって」
「……もし勝手に抱きつきでもしたら、名前を呼ぶのも禁止するからね」
よつはの背中から顔だけを出した花緑青が言えば、健太郎はへらりと笑っていた顔をひきしめて「はいっ」と威勢よく返事する。が、きりりとした顔はすぐにへにょりとだらしない顔に戻った。
なにごとか、とよつはが視線を巡らせれば、よつはの背に隠れる花緑青の隣に座り、反対側から顔をのぞかせている灰色のシバイヌがいた。
「よつはちゃんは、つくもがみほいほいだね」
にこにこ笑いながら花緑青とシバイヌを見ていた健太郎だったが、不意に立ち上がると、真面目な顔になった。
「おれがここの管理を任されてるって言ったけど、本当のところ親父たちはここの道具たちだけじゃなくて、建物自体を手放したがってる」
健太郎が平板な声で言ったとき、家のどこかがきしりと鳴る。その音を向いているのだろうか、どこかを見つめる健太郎の真剣なひとみの奥には、強い光が宿っている。
「おれが古物商の営業所に使う、ってことで待ってもらってる状態なんだけどね。でも、やっぱもう一回、ちゃんと説得してくるよ」
真剣な顔を一転させて、健太郎はにこっと笑う。
「こんなにたくさんのつくもがみが居る場所を中途半端な状態にしておけない。知らないあいだに取り壊されでもしたら、悔やんでも悔やみきれない。自然と朽ちるまで手を出さないって約束を取り付けるか、それか所有者をおれに変更してもらうか……」
ぶつぶつと言う健太郎に、珠串が「お願いします」とうなずいている。それにならってよつはもぺっこりと頭を下げると、健太郎はうん、と笑顔を返してくれた。
「とにかく、何とか話をつけてくるよ。ここの主もよつはちゃんになら気を許してくれそうだし」
ごっとん! どこかで響いた物音は、よつはがこれまで聞いたなかでは一番おおきかったような気がする。けれど健太郎はそれについて言及せず、にこにこ笑って玄関に向かう。
「それじゃ、仕事をさっさと終わらせて実家に行ってくるね。しばらく来られないかもしれないけど、よろしくお願いします」
颯爽と玄関扉を開けて、健太郎は出かけていく。
「その調子で、おれがいないあいだもつくもがみをほいほいしといてねー!」
去り際に残されたことばに、よつははなんと返したものかと首をかしげるのだった。