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2、店の雰囲気チェック

 掲示板を端の端まで見てほかに目ぼしいアルバイトがないことを確認し、紙に書かれた内容をメモ帳に写し取る。

 写真に撮れば早いのに、としばしば言われるけれど、ついついペンを手にとって紙に書きたくなるのは子どもの頃からのくせのようなものだった。


「善は急げ、と言うし」


 メモの住所を携帯電話に打ち込んで、店の位置にあたりをつける。隠れるようにして貼られていた紙に書いてある店の場所は、どうやら大学からそう遠くないところのようだった。

 幸いにして、きょうは格別な用事もない。せいぜい昼と夜のぶんの食材を調達するくらいだ。ならば、帰宅ついでに店のようすを見に行ったとしても問題はない。


 大学の裏門から出て、住宅街を自転車を押しながら歩く。

 入学してまだひと月。

 慣れない生活に追われて、大学とアパートの部屋を往復する毎日だったので、じっくりと歩くのはこれがはじめてだ。


 表門側には真新しいコンビニがあり、小洒落た喫茶店や安くてボリュームのある定食を出す食堂、ふところに優しい値段設定だと評判の派手な外装をした飲み屋も並んでいる。すべて交友関係の広い級友からの情報で、自身はどれひとつとして利用したことはないが。

 それらの合間に建つ銀行や駅、郵便局の表には学生が親しみやすいようにだろうか、かわいらしい花を寄せ植えしたプランターが色を添えて、表門周辺を賑わすのにひと役買っている。どこを見ても明るく華やかな、過ごしやすい大学生活を想像させる空間だ。


 それに比べると、裏門側の風景は色がすくない。

 閑散としているわけではない。建物の数自体はそう変わらないはずだ。けれども、建ち並ぶのは店ではなくて個人の家ばかり。それも築年数からいえばきっと、どれも年上だ。


 落ち着いた色をした木の壁や、うっすら灰色がかった白壁の土蔵ばかりが軒を連ねる景色のなかを歩いていく。

 昼どきだからだろうか。道路や門扉の合間に見えるどの家の庭にも、人の姿はない。けれどさみしい雰囲気はなくて、やわらかくゆったりとした時間があたりいっぱいに満ちているような気がした。


 こんなにのんびりとした気持ちでいるのは、ずいぶん久しぶりだった。

 思い起こせば、高校三年の冬からずっとばたばたしていた。

 受験だ、勉強だと頭に詰め込み、合格発表されればつぎは小論文を書いては添削、書いては添削の毎日。大学が決まっても慌ただしさは変わらず、やれアパート探しだ引っ越しだとしているうちにひとり暮らしがはじまれば、すぐに大学の入学式が行われ。配布された資料を広げて首をひねり、自分が学びたい講義を選んで申し出たり、大学の構内情報システムに個人情報を登録したり、はじめての講義でくせのある教授にあたってあっけにとられて、四月は終わっていた。


 見上げた空はいつの間にやら春の淡さから遠ざかり、あざやかな青色が季節の移り変りを告げるようだった。

 からからから、と自転車の車輪を鳴らして歩いていると、高校生のころに戻ったような気持ちになる。町並みが、生まれ育った地域に似ているからだろうか。

 郷愁をさそう景色のせいか、ほんの数か月前の日常がひどく懐かしく思えたとき。

 ふと、鮮やかな色が目に飛び込んできた。


 落ち着いた色ばかりが続く景色に、とつぜん現れた鮮やかな色。それは、オレンジ色の屋根と白い壁で彩られた、洋風の一軒家だった。

 洋風といっても、ドールハウスを大きくしたようなメルヘンなものではない。

 白い壁のところどころには濃い色の木が交わしてあるし、屋根も色こそオレンジだが、よく見れば材質は周囲の家と同じ、瓦が葺かれている。家の前のスペースには、小さいながらも手入れされた和風の庭がある。ぽつぽつと植えられた木に囲まれるようにして、苔むした石灯篭がすみのほうにぽつんと立っているかわいらしい庭だ。

 そんな庭の向こうに建つのは、洋風というよりも和モダンといったほうが正しいような、和洋が入り混じった家だった。

 

 はじめて目にするタイプのその家を思わずまじまじと見つめていれば、木製の玄関扉の横に、ちいさな看板が立てかけてあることに気が付いた。もしかして、と首をのばして庭木の間から読んでみる。


「……ここ、あの紙にあった場所だ」


 書かれていたのは「白寿堂」の文字。構内の掲示板で見つけたアルバイト募集のチラシにあった名前だった。

 募集要項と店名、そして住所だけが書かれたチラシだったから、どんな店なのか確認するだけのつもりだったのけれど。

 ひと目見て、なぜだかこの建物がひどく気になった。

 

 なぜだろうか。なんとなく近寄りがたい雰囲気を感じるのに、目が離せない。

 胸騒ぎのようなものを覚えながらも、自転車を庭のすみにとめる。


「一度、中も見てみなくちゃわからないから」


 誰にともなく言い訳をしながら、足はすでに庭の飛び石を踏んでいた。

 とん、とん、とん。

 庭の飛び石を進むごとに、この建物の持つ雰囲気に取り込まれていくのがわかった。


 落ち着いた、けれど退屈はさせないすこしの緊張をはらんだような空気。古い木々に囲まれた寺社を前にしたときの気持ちに似ているだろうか。ひんやりとして、どこかゆったりと時間が流れるような感覚。

 玄関扉の前にたどり着いたときにはすっかりその感覚に染まっていて、胸が騒ぎながらも落ち着いた気持ちで前を向くことができた。


 玄関前には低めの階段が三段。そこをのぼる前に玄関わきにある看板をもう一度確認すれば、確かに「白寿堂」とある。間違いない。

 では、いざ。

 階段をのぼってインターホンを押そうと、伸ばした指がぴたりと止まる。

 

 ない。

 木製の玄関扉の右側を見ても、左側を見ても、インターホンが見当たらない。見た目のとおり古い建物ならば、それも当然かと思えた。

 それならば、洋館らしくドアノッカーがあるのかと思えば、それもない。チョコレート色をした玄関扉の上から下まで眺めてみても、静かに年月を重ねてきたであろう木の味わいと鈍い銀色をしたドアノブの心地よい調和が感じられるばかりで、内部との連絡手段は見当たらない。


 ならば、と拳をにぎって扉をノックせん、と構えた、そのとき。

 かちゃり、目の前のドアノブが音をたてて回り、玄関扉が外に向かって開け放たれる。


「ようこそ、白寿堂へ」


 思わず後ずさった訪問者にそう微笑んだのは、作務衣に前掛けをしたナイスミドルだった。

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