そうだ 死のう
「そうだ 死のう」
そう思った。
そうだ 京都 行こう、その語感で死のうと思った。
秋と冬の中間のような、とても言い表し辛い、言うなればカレーとビーフシチューの中間のような、そんな日の朝、私は学校の机に頬杖つきながら窓の外を眺めていた。
外ではグラウンドで陸上部の朝練が行われている。体の芯ではなく指先に来るような寒さの中ご苦労様です。
その姿はとても「青春」で正直羨ましい。
何をしても初回の「楽しいなあ」で終わってしまって続かない、そんな私には味わえない青春の味を、あの人間たちは味わっているのだと思う。
だからといって、私は全日本早くおうち帰りたい部から退部する予定はないのだけれど。
全日本早くおうち帰りたい部のことを「未所属」だの「帰宅部」だのいう人もいるがそれはナンセンスだろう。何事も楽しく、面白くいかなくては。そうでないと生きていないのと同じでしょう?
閑話休題。
私が「そうだ 死のう」ふとそう思ったことについて。
これは完全に思いつきだ。
今、ふと、感覚で、雰囲気で、そう思った。
別にこのクラスが嫌いなわけじゃあない。裏での女子の間でのいじめはあるようだけれど、それも学校生活というものだろう。そんなことは軽々許容の範囲内。
では成績?それも問題はない。無理して入学したところで躓き、周りの才能に圧倒され惨めになるだけと高校は分相応のところを選んだ。
運動面で心配なことが?勿論不正解だ。運動だって困ってなどいない。寧ろ得意な方だ。昔から体を動かすことに関しては他の人よりも長けている。
それじゃあ、身体的不調があるの?
今日は寒いね、それくらいだ。強いていえば腹巻きを巻き忘れてお腹がとても寒い。
精神面で辛いことが?いじめは受けていないし、目に見えない、けれど辛い、何かと何かの間で挟まれてになって身動きがとれないなんてこともない。
わからないや、君は何で死にたいの?
死にたい、そう思ったからだよ。これが正解。
そもそもの話、中学生、高校生の時期は誰しもが「死にたい」そう思う気持ちが出るらしいのだ。
リストカットをしている画像をネット上によく投稿しているのは学生だし、死にたい、そう発言しているのも若い人たちだ。
そこで私は思うのだ。
「死にたい」ならば「死ねば良い」と。
みんながその気持ちを抱いているんだ、君だけじゃあないよ。
だから我慢すると?
私はそれほど器用ではない。やりたいことはやりたいのだ。
昔から行動を起こす速さには定評がある。やりたいと思ったらすぐ行動!
「今日学校終わってから…人気のないところでどうにかしよう。どうやって死ぬかはその時にでも…。
フィーリングで決めよう」
ボソッと呟くと私は教室に丁度入ってきたクラスメイトに「おはよう!今日は寒いね!」と挨拶をした。
電車を一本間違えて早く着いてしまって初めて気付いたが英語が苦手で壊滅的な点数をとっていた彼女はこんなにも早く登校してくるのか。
「おはよう、今日は早いんだね?」
「そうだね、電車を間違えてしまって…。全日本早くおうち帰りたい部としてこの失態はいただけないね!」
席を立ち彼女との会話に花を咲かせる。
これからクラスメイトがどんどん登校してくるだろう。
明るくてクラスの中心にいる染都願に変身しなくては。
あぁ、そうだ、もしかしたら「死にたい」そう思ったのは学校という変身前提の空間で素でいたのが原因なのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでも良くて。
私は放課後、「そうだ 死のう」