肆 送り火
私はその日、親友のリカとマリの二人と共に、リカの家の近くにある海水浴場に遊びに来ていた。
その頃はまだ、海水浴場があるこの町を、私は住処としておらず、マリと共に泊まりに来ていたのだ。
リカの家は海水浴場へゆっくり歩いても十分足らずの好条件。
私達はサマーベッドを借り、のんびり休暇を楽しんでいた。
「リカは相変わらず犬だよねえ」
マリは煙草に火を点けながら、波打ち際で燥いでいるリカを見た。
「子犬だからね、リカは」
リカは私達の視線に気が付き、千切れんばかりに尾を振って走ってくる子犬ように、戻ってきた。
「早く海に入ろうよ!」
私も煙草を取り出し、リカに微笑んだ。
「これ吸ったらね」
リカはバスタオルを手にし、私の足下に腰掛けた。
「もう。ホント二人ともお尻から根っこが生えちゃうんだから」
私は海水浴客で芋洗い状態の海を見詰めた。
「今日は比較的空いているほうだね」
「平日だからね。それにここはあんまり余所の人来ないからさ」
リカはスポーツドリンクを口にする。
「海水浴区域が狭いしね」
「そうそう。あんなにボート区域を取らなくたっていいのにね」
マリは大きく頷いていた。
「ああ、あれは離岸流が多発する区域だからだよ」
私がそういうと、マリとリカは目を丸くした。
「なんでそんな事知ってんの?」
「え? ウチのデストラーデがライフセーバーだから」
デストラーデとは私の弟の渾名だ。昔西武ライオンズにいた助っ人外国人選手に似ているのだ。
「離岸流は海水浴客には危険だけど、ボート区域には持ってこいなんだって。たぶん、ここだと左側が向岸流で右側が離岸流だよ」
私が指を差すとちょうどレスキューボートが一台出るところだった。黄色と赤のビキニパンツを履いたマッチョなお兄さんがボートを軽く押し出すと、スーッとボートが動き出す。お兄さんはそのボートに簡単に正座し、手で一掻き二掻きすると、あっという間に沖に出て行った。
「早あ!」
リカとマリは驚いていた。
「離岸流って早い所だと秒速一メートルくらい余裕なんだって」
「秒速っ! って事は十秒で十メートルでしょ!」
地元民のリカもさすがに驚いていた。
「だね。だから、怖いんだよ。気が付いたら沖に流されている海難事故が起きるから」
「沖に流れて行くビーチボールとか追い掛けちゃダメってそれなのか」
マリは頷いている。
「あれは風じゃなく離岸流に持っていかれるから、無理に追い掛けると、自分も持っていかれちゃうんだよ」
リカはいきなり眉尻と口許を下げた。
「離岸流…… 怖いね」
「海だけじゃなく自然って怖いモノだよ。離岸流に乗っちゃったと思ったら、岸と水平に泳ぐと脱出出来るよ。で、戻れないくらい沖に流されてたら、岸に向かって大きく手を振る。振れるんだったら、両手で大きくね。そうすんとああやって助けに来てくれる」
私はボート区域に戻ってきたレスキューボートを見た。若い男がライフセーバーに頭を下げていた。
リカとマリはその光景を黙って見詰めていた。
私はステンレス製の携帯灰皿で煙草を揉消した。
「さてと。気をつけて遊ぼうか」
マリとリカは大きく頷き、私達はビーチマットを持って海に駆け出した。
三人でビーチマットに掴まりながら、まさに海水浴を楽しんでいた。
背の高いマリとリカはまだ足が届いているようだが、すでに私はクラゲの如くフヨフヨと海水に浮んでいる状態だった。
「少し深いところに行こうよ。遊泳区域ブイの所まで行こうよ」
好奇心旺盛のリカは目を輝かせて、私達を見ている。
私はマリを見た。マリは軽く溜め息を吐き、リカに頷く。
「まあ、ビーチマットがあるからいいか」
私達はビーチマットの浮力を借りながら、ブイ辺りまで足を延ばした。さすがにここまで来ると、周りにいる海水浴客は少ない。
「ブイを越えないで下さいねえ」
水上監視のライフセーバーに声を掛けられる。
三人は手を上げ、声を揃えて返事をする。大の大人が小学生のように返事をするのも、レジャー感が一役買っているからだろう。
私達はブイのロープ伝いに移動したりしながら、しばらく遊んでいた。
「ひゃ!」
マリが突然声を上げた。
「なに!」
リカが驚いたように、マリを見る。
「いや、急に海水が冷たくなったから」
「ええ。冷たくないよ」
リカがマリの側に寄っていくと、目が輝いた。
「うわ、ホントだ! 足のところ、冷たい」
「海流が変わったのかもね」
私は二人に笑い掛けた瞬間、背筋がゾクッとする。
「うわ…… マジで冷たい」
「でしょ?」
マリが私に得意げに笑い掛けた。
私の背中はゾクゾクしたままだ。普通なら足が温度になれ、寒気は消える。
この海流、ヤバいかも。
私は二人に悟られないように微笑んだ。
「休憩しない?」
二人は素直に頷き、ビーチマットに戻ってきた。私達は他愛のない話をしながら、海岸にビーチマットを押して行く。
どうも、足に纏わりつく感じがする。強いて言うなら足に視線を感じる。海の底から。
「アマネ。顔色悪いよ」
「――うん」
マリとリカはそれだけで最近は分かるようになっていた。マリとリカの顔色も悪くなる。二人のバタ足が強くなる。
リカとマリは海岸に慌てて上がり、サマーベッドに我先にと座った。
「――やめてよね」
ビーチマットを手にのんびり戻った私を、リカは口を尖らせ、軽く睨んだ。
「やめてって言われても、私も困るし」
私は苦笑いしか返せなかった。
マリは肩を竦ませ、クラーボックスからスポーツドリンクを取り出す。
「まあ、アマネに当ってもしょうがないじゃない」
「そうだけどさ。まあ、それがなかったら……」
リカはその後を想像したのだろう。慌てて首を振った。
「もう! せっかく遊びに来てるのに!」
「想像するリカが悪い」
マリは苦笑いを浮かべていた。
私達は結局早めに切上げ、リカの家に戻った。
キャミソールとバミューダパンツで寛ぐ私の肩を見て、マリもリカも笑い出した。
「な、なによ」
「すげえ、肩、真っ赤!」
「日焼止めバッチリ塗ったのになあ。でも、マリもリカも真っ赤じゃない」
互いの肩を見せ合い、日焼具合を比べる。三人とも本当に真っ赤だった。
夕飯のテーブルでリカが嬉しそうに私達を見る。
「この後さ、花火しに海岸行こうよ!」
異存はないので、私とマリは頷いた。
花火をコンビニで買い、海岸に行くと、結構花火をしている人達が多かった。
私達もさっそく花火を始める。私は派手な手持ち花火をやるのが、あまり好きではない。はっきり言うと怖いのだ。派手な花火に凶暴性を感じてしまうのだ。だから、同じ花火でも、チラチラと弾ける地味な花火の方が好きだ。
リカとマリに派手な花火を任せ、私はチリチリと弾ける線香花火をしていた。
消火は海。波打ち際で消火する。
線香花火の完全消火に行った私の足に、パシャっと穏やかな波が掛かった。
私は立ち上がり、夜の海を見詰める。満月に近い月が海を照らしている。海上に光の道が出来ている。凪ぎの海は深い紺色で夜空と同化している。
まだ、渡れない。
私の脳裏にそんな言葉が浮んできた。
でも…… 行かなきゃいけない気がする。
「――綺麗だねえ」
リカの声で身を竦ませた。
「うわ! びっくりしたあ」
「なに、ボケーッとしてるの?」
私はリカに苦笑いを返す。
「怖いくらいに綺麗だったから、見惚れてた」
「分かる分かる。吸い込まれそうだもんねえ」
リカは月と海を見て頷き、踵を返した。私も慌ててリカの後を追う。
見惚れていたなんて嘘だ。どちらかと言ったら引き込まれそうだった。あの光の道に。あのまま、リカが来なかったら、あの思いが強くなっていたはずだ。
マリが私達に笑い掛ける。
「随分と綺麗に月の道が出来てるね」
「海が静かだからね」
リカは打ち上げ花火を取り出しながら、マリに返す。
「何処だったか忘れたけど、月の道は月に歩いて行ける道って話があったよね」
「聞いた事ある。昔の人はロマンチックだよね」
私は二人に苦笑いを浮かべた。
「あたし、あの道は冥界に続く道だって読んだ覚えがある。あれは死者の道だって」
「それも聞いた事ある。でも、それもロマンチックだよ」
マリは打ち上がる花火を見ながら呟いた。
月光の道を歩き冥界に逝く。確かにその話を一番最初に思い描いた過去の誰かは、ロマンチストだったかもしれない。だが、月はロマンの中に狂気を含む衛星だ。そして、水の惑星である地球は、月とはきっても切れない縁がある。
行かなきゃいけない。
あの思いは今は全くない。なぜ、そう思ったのか。月の道に魅せられた。月に行くのか、冥界に逝くのか。
私は黙って打ち上げ花火を見詰めていた。
私達は全ての花火を終え、冷たい飲み物を買うためにコンビニに寄った。
私は喉の渇きを早く潤したく、店内で涼んでいる二人を横目に外に出た。
冷たいミルクティーを喉に流し込む。身体がまだ太陽に当たっているかの如く、火照っている。シャワーを借りた時、かなり痛かった。
「水脹れにならなきゃ、いいけど」
そう独言ちり、肩にミルクティーを当てる。ひんやりとして、気持ちがいい。
「うわ、蒸し暑い」
マリがそういいながら、店内から出てきた。
「リカは?」
「今会計してるところ。なに、肩に」
マリは私の肩を見て、言葉を止めた。
「肩が火照っててさ」
マリは私の肩のミルクティーをどけ、顔が真っ青になった。
「お待たせえ! ん? マリ、どうしたの?」
「アマネの肩」
リカは私の肩を見た途端、日に焼けた赤い顔が、真っ青を通り越して真っ白になった。
「イヤあっ!」
「なに、どうしたの?」
「アマネ、肩、肩っ!」
私は首を捻りながら、自分の肩を見た。
「ぬあ!」
私は驚きのあまり変な声を上げた。
「昼間、真っ赤だったよね!」
リカがマリに確認をしている。
「ただ真っ赤だった」
私はリカとマリを見た。
「何日…… 今日、何日っ!」
「え? 八月十六日だけど」
マリは不思議そうに私を見詰めた。
私は全て合点がいった。
海の底の視線も、月に魅せられた事も、行き先も。
「――送り日だ」
私は昼間見た時には無かったはずの、大小様々な真っ白い手形をジッと見詰めた。
「それって連れて逝かれそうだったって事?」
私はリカに頷いた。
「たぶん。さっき、リカが声掛けてくれなかったら、ヤバかった」
マリとリカはますます顔が白くなった。
リカの家に帰り確認したところ、白い手形は肩だけではなく、日焼けした背中にも付いていた。
リカもマリも白い手形を黙って見詰めていた。
一年くらい、その手形は消えなかった。
それ以降、八月十六日の海には、絶対に近付かない。
後書きまでお読みいただき、ありがとうございます。
さて、この短編集、いかがでしたでしょうか?
数ある体験の中から、百物語に合うようなモノを四編ほど自選してみました。
基本体験談なので、変わっているところは、名称と会話詳細くらいですかね。
各短編の裏話など……
壱 喚び声
この話が一番初めに体験した私の原点とも言うべき出来事です。
ここから傍迷惑な能力というか勘というか、まあ、それが開花していっちゃうわけですが……
ホント、いらないよお! 私はマジで怖がりなんだよお!
弐 肝試し
若い頃って、本当に無謀だなと、思う出来事でした。
今は、肝試しなんぞいきません。
私を誘ってくるヤツなんて、知人にはいません。
この頃はまだまだ発展途上といった感じでしょうか、どれをとっても。
参 black mask
これは……
何も言えませんし、今後口にしたり文にしたりする事はないでしょう。
黒仮面の他にも予見にも似た夢を見ます。
はっきり言って嫌です。大切な人間達に現れたら…… と、考えただけで、暗澹としてきます。
いつか、自分の死期も見える時が来るのでしょうか。
マジでこんな能力いらないと今でも思います。
肆 送り火
皆さん、八月十六日の海山は気を付けましょうね。
後日談。
親友のマリの実家に遊びに行った時、マリは大ボケをかましてくれました。
事もあろうに八月十六日に海水浴を誘って来やがった!
まあ、マリも失念していたようですが。日にちを言うと真っ青になったので。
えーっと……
この手のネタは尽きませんが、この手の相談は乗れませんのであしからず。
あと、悪戯に肝試しをするのはマジでやめましょう。肝を潰したいのであれば、映画や漫画、絶叫マシン、最新のお化け屋敷で……
まあ、最新のお化け屋敷でもこの手の話は尽きませんけどね……
最後に。
この手の話を書いたり読んだり聞いたり話したりすると、寄ってくるそうですよ、彼岸の方々は。
あなたの後ろにいたりして……