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眠り王子─スウィーツ帝国の逆襲─  作者: 倉永さな
《第一話・出逢い編》
5/29

五*社内を駆け巡る噂

 月曜日、会社につくなり、いつも合コンに誘ってくる後輩が文字通り、目をつり上げて琳子のところへ走ってきた。


「りんこ先輩っ! 中司先輩と付き合ってるって、本当ですかっ!」


 開口一番にそう言われ、琳子の目は点になった。


「……だれとだれが?」

「りんこ先輩と、調達部の中司悠太先輩がっ」

「が?」

「付き合ってるって、出社してきたら、その話題で持ちきりですよっ!」


 琳子は思わず、心の中で、


(おまえら、仕事をしろよっ!)


 と突っ込みを入れてしまう。


「私、だれともお付き合いなんてしてませんけど」


 その言葉に、後輩は不満の声を上げた。


「えー。だってりんこ先輩。彼氏がいるってこの間、言っていたじゃないですかぁ」

「言ってませんっ」

「もー。中司先輩と付き合っているのならそう言ってくれれば」

「……だから、私には彼氏はいないし、ましてや、中司さんとはなんにもないですっ!」


 なにがどうなっているのかさっぱり分からない琳子としては、言いがかりも甚だしい。


「金曜日も珍しく終業と同時に帰っていましたし。中司先輩はおつぼ……いやっ、溝部先輩のお誘いを断ったみたいですよ。溝部先輩、カンカンに怒ってました」


 そう言われても、なにがどうなったらそういう噂が流れるのか、まったくもって分からない。


「金曜日は……用事があったから」

「ほら。その用事ってデートでしょ?」

「違うわよ」

「じゃあ、どこに行っていたんですか?」


 寄席に行ってました、とは言えない。琳子は思わず、口ごもる。


「後ろめたいことがないのなら、どこに行っていたって言えますよね?」


 後ろめたい訳ではないが、自分の趣味をカミングアウトすることになるため、かなり躊躇する。

 別に落語が好きというのは馬鹿にされる物ではないとは琳子は思ってはいるが、若い人たちに落語が好きと言って、馬鹿にされるのが琳子には許しがたい屈辱なのである。

 落語は近世から続く、日本が誇る伝統芸能である。能や狂言などと比べれば歴史は新しいが、それでも、日本の文化である。古くさいだとか年寄りっぽいと言って馬鹿にされるのが、琳子には耐えられないのだ。

 口ごもっていると、後輩はなにを勘違いしたのか、したり顔で琳子を見た。


「あたしはりんこ先輩の味方ですから!」

「だから、私には彼氏はいませんって。金曜日もあなたが思っているような色っぽい話ではないです」

「でも、りんこ先輩と中司先輩が一緒にいるのを見たって人がいるんですよ!」


 それを聞いて、寄席が終わって出てきたところを見られたのかもしれないと思わず、ため息を吐いた。

 しかし、隣り合って歩いていた訳ではないというのに、近くにいたというだけでこうも噂になるとは、信じられない。


「残念ながら、中司さんとは本当になにもないから」


 琳子はそれだけきっぱりと言い切り、更衣室へと向かった。


     ***



 お昼休み、お局さまこと溝部沙矢果が琳子に直接、声をかけてきた。

 まさか正面からやってくるとは思わず、持っていたお弁当を取り落としそうになった。


「話があるんだけど、いいかしら?」

「手短にお願いします」

「ここで話すのはちょっと」


 と言うのだが、琳子としては二人きりになりたくない。


「ここで話せないような内容なのですか?」


 お弁当を早めに食べ終わり、いち早く仕事に取りかかりたかった琳子は思わずそう返した。すると、沙矢果は明らかに目をつり上げ、琳子をにらみつけた。


「あなたね、アタシのことをっ」

「お仕事のお話でしたら、ここでしても問題はありませんよね?」


 沙矢果は言葉を詰まらせた。それで琳子はなんとなく内容を察し、余計に早く話を終わらせたかった。沙矢果がそのことに気がついたのかどうかは分からないが、琳子をにらみつけ、きつい言葉を投げてきた。


「なによっ、泥棒猫っ!」


 泥棒猫だなんて言葉を投げつけられて、琳子は面喰らったが、平静を装って口を開いた。


「泥棒猫なんて、穏やかではないですね」


 琳子のその態度に沙矢果は目を見開き、唇を噛みしめてすごい形相で琳子を睨み付けてきた。

 般若の顔ってこういうのを言うのね……なんて、琳子は恐ろしい気持ちを反らせるために思ったけれど、次の沙矢果の言葉に、琳子は震えた。


「アタシから悠太を取っておきながらっ!」


 取るもなにも。


「そのことでしたら、誤解ですよ。私、だれとも付き合っていませんから」


 琳子はきっぱりと言い切った。沙矢果は琳子の言葉に、顔を真っ赤にして憤っていた。


「なんなのっ。あんたたち、アタシを馬鹿にして! ただでは済まないんだから!」


 沙矢果の捨てゼリフに、ストッパー役の上原明菜が駆けつけてきた。


「沙矢果! もうっ! 白雪さん、ごめんなさいねっ」

「明菜、あんな泥棒猫に謝る必要なんてないんだから!」

「沙矢果、落ち着いて。中司くんは沙矢果のものではないでしょ?」

「違うわ! 悠太はアタシのものなのよ!」


 明菜がどこかに引きつれて行ってくれているようで、声がどんどんと遠くなっていく。

 お昼休みでほとんどの人が出払っていたため、今のやりとりを見ていた人たちは少ない。しかし、こういう噂は回るのが早く、終業前にはあっという間に社内に知れ渡っていた。

 今まで、なにごともなく穏やかに過ごせていたはずなのに、琳子の周りは急に騒がしくなってきた。


(ほんっと、勘弁して欲しいわ……)


 琳子はため息をつきながら、パソコンのモニタを見つめた。


     ***



「お、琳子!」


 琳子の平安を乱す元凶その一に後ろから声をかけられ、思わず無視して階段を上った。


「待ってくれよ! 悠太と付き合ってるんだって?」


 樹のその一言に、琳子は振り返ってにらみつけた。


「どこの、だれがっ」


 思わず声を荒げてしまう。


「ようやく、こっちを向いてくれた」


 安堵の声に、琳子は身体を戻して階段に足をかけた。


「悠太と寄席に行ったんだろう?」

「一緒には行ってません!」

「寄席に行ったのは事実なんだ」

「……そんなの、どうだっていいじゃないですか」


 ここのところずっと、いろんな人に『悠太と付き合っていると聞いたが、本当なのか』と聞かれることが多くて、琳子は参っていた。仕事に支障が出てきている。


「だれとも付き合っていないっていうのに、尾ひれ背びれが勝手について噂が流れていて、迷惑しているんです」

「別に俺、琳子が寄席に行っていることを馬鹿にはしないぞ」


 琳子はその言葉に、足を止めた。


「俺もよく、悠太に連れられて寄席には行くし、落語は意外に好きなんだ。だけど、一緒に行く相手が悠太ってのがいただけないんだ」


 琳子はこの間の階段で聞いた二人の会話を思い出した。確かに樹は落語に行くのを嫌がっていた訳ではなく、悠太と行くことに対して拒否をしていた。


「寄席で琳子に会ったと悠太から聞いたから、今度から誘って一緒に行けばいいじゃんとは言ったんだけど」

「私は一人で行きますから」

「ああ、つれないなぁ。あと、そうそう、お局さまともやりあったって?」

「あれは」


 聞かれたことに対してはっきりと答えただけなのだが、それが沙矢果には気に入らなかったようだ。


「武勇伝のように社内に広まっちゃってるからなぁ」


 樹は面白そうに琳子を見ている。


「やっぱり俺、琳子のこと、すっげー好み。付き合おうぜ」

「お断りしますっ」

「うわぁ、しびれるぅ」


 軽い調子の樹に、琳子はにらみつけて今度こそと意を決して階段を上り始めた。


「琳子、俺は本気だから」


 真面目な声音に、しかし、琳子はもう振り返らない。


(男なんて……みんな、裏切るに決まっている)


 琳子は樹の想いを振り払うように首を振った。




 樹が琳子に告白したという噂も、なぜか駆け巡っていた。

 樹が言いふらしたとは思えないので、あの階段でのやりとりをだれかが聞いていたのかもしれない。

 琳子は、噂のせいで会社に行くのが苦痛になっていた。それでも意地で会社に出社していた。

 違うと否定しても、なぜかおさまることのない噂話。だれかが意図的に流しているとしか思えない。胃がきりきりと痛む。

 調子が良くないなと思いながら、琳子は会社に行っていた。

 今日はようやく金曜日。先週の寄席に行ってからの一週間は長かった。

 お昼休み、お弁当を食べ終わった頃、琳子の携帯電話が鳴った。着信名を見ると、実家からだ。それでなくても今、気が重い出来事に巻き込まれているというのに、こんなタイミングでかかってくるとはなんと間が悪いのだろうと思いつつも、琳子は出た。


「もしもし」


 思わず、トーンが低くなる。


『やっほー、琳子っ!』


 電話の向こうは、妙にテンションの高い姉の桃花だった。


『土曜日の夜、結納をするから、帰ってきなさいよっ』


 桃花の言葉に、琳子の胃はますます痛む。

 とうとう、やってきてしまった。


「私、調子が悪いから」

『なによー! 姉の晴れ姿を見てくれないわけぇ?』


 そう言われると、琳子にはなにも言えない。


『おかーさんがお着物を用意してるみたいだから、少し早めに実家こっちに来なさいよ』


 桃花はそれだけ言うと、琳子の返事を待つことなく、電話を切った。

 姉の桃花が結婚する。

 それはめでたいことだしうれしいのだが……。

 しかし、その相手のことを思い出し、琳子は深いため息を吐くことしか出来なかった。


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