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第四章  新谷壮介、電車の旅

 翌日。

 俺は伊原薫に会ってみたいと思い、それを広田に相談してみた。

 広田によると、井原薫は現在実家に帰っており、しばらくは大学には来れないそうであった。

 しかし俺も考えた。

 だったらこっちから会いにいけばいいじゃないかと。

 俺は講義がない平日に三重にある伊原薫への実家へと行ってみることにした。瑞希や広田は講義が重なっているため、同行はしなかった。

 そして特急電車に揺られること約一時間半。俺はつい数日前、瑞希と広田が降り立った駅に降り立っていた。

 この町、地図だけでみれば山奥のド田舎ではないかと思うのだが、それがどうして、俺の住んでいる羽音市よりも格段に開けていた。この近くを高速道路が通っており、大企業の工場が数多く誘致されているためであった。俺は瑞希に教えてもらった井原家の住所を頼りに、駅前ロータリーに停まっているタクシーに乗り込んだ。


 タクシーに揺られること十五分。伊原家の近くに来た所でタクシーを降りた。

 そしてほどなく、伊原の表札をみつけた。木造のなかなか年季の入った家屋であった。

「よし、いくぞ」

 俺はこれまた年季の入ったチャイムを押した。

 しばらく間があって、玄関のドアが少し開いた。

「どなたですか」

 ドアの隙間から若い女性が顔を出した。その瞳の色はあからさまな警戒心を滲ませていた。

「あの、突然すみません。俺、羽音の学生で新谷といいます。あの、伊原君とは同級生でして……その……」

 ああ、ちゃんと挨拶を考えてくればよかった。巧い言葉が出てこない。アホだ俺は。

 若い女性の顔を覗き見ると、眉間にシワがより、警戒心はさらにアップしているようだ。

 ああ、ヤベえよ。

「薫、どなた? また報道の人?」

 すると俺の後方から女性の声がした。振り返ると四十代後半かと思われる女性がスーパーの袋を手に提げて立っていた。

 俺はこの女性に見覚えがあった。この人は事件のあった日、学内で俺とすれ違った女性。つまりこの人は伊原の母である、伊原紀子さんということである。

 そして玄関先から俺を睨んでいるのは、妹である伊原薫ということになる。

「あなた、どちらの方?」

 伊原紀子は柔らかい物腰で俺に訊ねてきた。しかし俺に対する警戒心は持っているようであった。

「ああ、突然すみません。私、羽音学院大学二回生の新谷と申します。伊原賢一君とは同じ講義を受けていた間柄でして……」

 警戒心に挟まれた俺は半ばヤケクソに言葉を吐き出していた。一緒に講義を受けていたなんてのは勿論ウソである。

 すると伊原紀子はニコッと微笑んだ。

「そうですか。あなた賢一のお友達なのですね。これは失礼しました」

 伊原紀子は俺の前を通り過ぎて門を手で押した。

「私、賢一の母でございます。さあ、もしよろしければお線香をあげてやって下さい」

 俺はその言葉に内心ホッとした。まずは第一関門クリアである。

 

 チーン

 六畳の部屋に置かれた、奥に井原賢一の遺影が飾られている仏壇に手を合わせた。

 俺の後ろには伊原紀子、そして先ほど母より紹介を受けた伊原薫が正座していた。

 部屋が静まり返ったところで、俺は座ったままで二人の方を向き、軽く会釈をした。

「どうもこんな遠方までわざわざ来ていただいて有難うございます」

「いえいえ、こちらこそ突然押しかけてしまって」

 伊原紀子は俺に対する警戒心を解いてくれたようであった。しかし薫はまだ俺に対する警戒心を解いていないようである。まあ考えてみれば無理もないことだろう。この事件は連日ワイドショーで報道されている。だから記者の取材も連日に及んでいるのことは容易に想像できる。中には心無い質問をぶつけてくる記者もいたであろう。

 伊原紀子。何度も言うが見たカンジ四十代後半のどこにでもいそうなおばちゃんである。しかしやはり疲れているのだろうか、肌の血色はあまり良くないように見える。

 そして伊原薫。以前に広田から聞いていた話にそう違いはなかった。歳の割りに少し幼いカンジのする見た目であった。しかし、やはり薫も疲れているように見えた。

 正直なことを言うと、この場で蕎麦アレルギーのことについて訊ねてみたかった。しかしここで、二人の今の状況で訊ねるのは完全に場違いであった。俺だって空気の一つくらいは読むことができる。

 しかし他に聞きたいことなんてなかった。というよりも当たり障りのない質問なんか思いつかなかった。何故なら俺と伊原賢一は一度も関わりを持ったことがないのだから。

 俺は早々に引き上げることにした。何もしゃべらないままこの場に居座れるほど、俺の神経は図太くはない。

 その後、俺は二人に玄関から見送られながら、伊原家を後にした。

 本当に勢いだけでここまで来てしまった。

 結局俺は、線香をあげたこと以外に何か成果を掴めたのだろうか。

 …………

 まあ少なくとも、二人の顔と名前は覚えることができた。

 ……俺はアホだ。

 

 その後、俺は瑞希と広田が立ち寄った駅前の蕎麦屋にも行ってみることにした。蕎麦屋の場所は駅前の目立つ所だったのですぐ判った。暖簾をくぐると、先客が数名いるだけであった。平日のお昼過ぎ、どこにでもありそうな飲食店の風景である。

 俺は取り合えず、天ぷら蕎麦を注文してみることにした。数分後、蕎麦が俺の元に運ばれてきた。当たり前の話だが、見たカンジは普通の天ぷら蕎麦だった。

 そして食べてみるした。

 ズルズルズル……、

 なかなかの美味であった。

 しかし、特段変わった蕎麦というわけではない。

 天ぷら蕎麦をほぼ食べ終わった頃、店主と思われる人物が厨房から出てきて、店内に置かれているTVの前に座った。暇なのだろう。

「あの、すみません」

 俺は思いきって声をかけてみることにした。店主は広げようとしていた新聞をテーブルに置き、こちらへやってきた。

 俺は取り合えず、先ほど井原家でも行ったような自己紹介を店主にもしてみた。すると店主は「大変だったね」という意味を込めてか、俺の肩を軽く二回叩いた。

 ここから店主に伊原兄妹について色々質問をしてみた。

 まず伊原兄妹がいつ頃からこの店に通い出したかだが、この店は十年前の駅前開発の際に開店されたそうで、兄妹はその開店当時から母に連れられて来ていたそうである。その後は三人一緒の時もあれば、兄妹で来ることもあったそうである。ただ、伊原賢一が大学へ進学した頃から殆んど顔をみせなくなり、ここ一年間兄妹は姿を見せておらず、母が忘れた頃に一人で来店するくらいとのことであった。

「まいど〜」

 店主への質問を一通り終えた時、一人の男性が来店してきた。男はグレーの作業着姿で、髪は金髪で耳にはピアスがぶら下がっていた。

「お〜、ミキちゃん、いらっしゃい」

 馴染みの客なのだろうか。店主は立ち上がり、その客を向かい入れた。

 店主は水の入ったコップを男の元へ持っていき、二言三言話していた。すると、店主はこちらの方へ向き直った。

「ああそうだミキちゃん。彼、賢一君の大学での同級生なんだって」

 不意な紹介で驚いてしまった。店主はこちらへと近付いてきた。

「彼は賢一君の小学校からの幼馴染で、原田幹郎(はらだみきお)っていうんだ。賢一君のこと知りたいなら、彼に色々聞いてみるといいよ」

 そして俺はその原田という男の前へと促された。


「で、何が聞きたいわけ?」

 俺はテーブルを挟んで原田の向かい側に座っていた。原田の前には空になった丼と吸殻ののった灰皿が置かれていた。そして原田は、タバコを片手にまるで値踏みするような視線で俺を見ていた。

 しかもこの原田という男、眼光がとても鋭く、いかにも「昔はブイブイいわしてました」というカンジ。もしかしたら「現役」かもしれない様子であった。

 俺の方から来て何だが、「蛇に睨まれた蛙」とはこのことなのではないだろうか?

 こういったカンジで、俺がコチコチに固まっていると、原田はタバコを灰皿の縁でトントンと叩き灰を落とし、苦笑いを浮かべた。

「ったく、そんなビビんなって。別に取って喰おうなんて思っちゃいねえよ」

 そして原田は一度タバコをふかした後、それを灰皿に置いた。

「あれだろ。伊原についてだろ? 佐伯の仕業で間違いねえだろ」

「佐伯?」

 俺にとって初めて知る名前だった。しかし原田はそれを俺が知っていることを前提としたような話し方であった。

「ん? 何だお前、佐伯のこと知らねえのか」

 ここで原田も俺のリアクションに違和感を感じたようであった。そしてその佐伯と言う人物について説明を受けた。

 佐伯裕二(さえきゆうじ)。伊原賢一とは小学校からの同級生で、最も古い幼馴染だそうである。伊原と佐伯はとても仲の良い間柄であったが、ある一件でそれは一変してしまう。今から一年程前、伊原が佐伯のカノジョに手を出したのである。それもけっこう「強引なやり方」で。これにより佐伯は伊原に対し強い怨みを持つようになり、当時は「殺してやる」等の暴言を吐いていたとのことである。

 いつかのニュースで報じていた三角関係のもつれというのは、このことなのであろうか。現在原田と佐伯に直接の接点がないので、その後どうなったかは詳しく知らないそうだが、噂によると佐伯は警察から任意の事情聴取を受けているそうであった。

 その後原田は仕事に戻ることになり、話は終了となった。最後に原田と連絡先を交換し、蕎麦屋を出発した。


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