プロローグ 燃える町並み、邂逅の二人
その日もいつも通り過ぎていくのだと、少年ーー壱崎 鉄閃はそう思っていた。
いつもの如く、朝起きて朝食を食べて小学校に向かい、授業を受けて昼食を食べ、家に帰って宿題をこなし、また次の日の朝が、平和な朝が来るのだとそう思っていた。
しかし、そんな幻想は今、目の前で打ち砕かれていた。
鉄閃の目の前で燃え盛る炎が、彼が住んでいた家を飲み込んだ。
「お母さん……、お父さん……!」
中にはまだ両親が居るはずだ。
呆然としていた鉄閃少年は、我に返ると燃え盛る炎の海に向かって、両親を探すために突き進んで行った。
彼はなぜこんなことになったのだろうと、今日の出来事を思い出していた。
† † †
事の始まりは、今日の午後3時頃だった。
小学校の教室でいつもと変わらず授業を受けていた時だった。
突如として鳴り出すサイレン。
その意味するところは、魔族の襲撃。
異界から現れる侵略者として有名な魔族。
人間を遥かに凌駕する身体能力と魔力量を持つ彼らは、本気を出せば町の一つや二つは軽く落とすことが可能だと言う。
そんな魔族が、自分達の住む町に現れたのだ。
子供たちがどんなリアクションを取るのかは、推して知るべきだろう。
恐慌に陥った幼い子供たちの声は、必死に宥めようとする教師の声を上書きして、更なる恐慌の呼び水となる。
恐怖が恐怖を呼び、収拾がつかなくなるのにそう長い時間はかからなかった。
何処へともなく走り出す者、頭を抱えてしゃがみ込む者、父や母の名を呼び泣き叫ぶ者や、走り出す者に押されて転んでしまう者、どうすれば良いのか分からず右往左往している者などで、阿鼻叫喚の様相を呈していた。
そんな中で鉄閃少年は一人、家に向かって走り出していた。
彼の両親は共働きだが、今日は偶々二人の休みが重なったため家でゆっくりしていると、確か朝にそう言っていたはずだ。
それを思い出した彼は、人の波を掻き分け家に向かって、転びそうになりながらも必死にひた走る。
鉄閃が向かっている方向から、大量の人が押し寄せてくる。
押し戻されそうになりながらも、ようやく家に着いた彼の目に飛び込んできたのが、さっきの光景だった。
† † †
「お母さん……、お父さん……!」
両親がまだ生きていることを願って、自身の家を飲み込んだ炎の海に幼き鉄閃少年は、勇気ーー勇気は勇気でも蛮勇だがーーを振り絞って突き進む。
轟轟と燃える炎の中は熱く、煙が充満していてとてもじゃないが前が見える状況ではなかった。
そんな中で、燃えた木材が鉄閃少年を目掛けて落ちてきても、なんら不思議では無いだろう。
バキバキィッという音に鉄閃少年が上を向くと、ちょうど、燃えて尖った家の支柱が彼目掛けて落ちてくるところだった。
「え……?」
自身に迫る巨大な質量に、為す術もなく、容易く鉄閃少年の体は貫かれた。
「ガッ、ガハッ」
口から血を吹き出し、支柱は小さな鉄閃少年の体をあと少しで千切るところだった。
傷口から止めどなく溢れる自身の血液を見ながら、鉄閃少年は意識を手放す……事にはならなかった。
何故なら、鉄閃少年の真横に上空から人形の何かが飛来したからだ。
それは地面に叩きつけられ、血を吐き出していた。
よくよく見れば、右腕は千切れ、左足は明後日の方向に折れ曲がり、満身創痍といった様子だった。
それを見て、何故か鉄閃少年の中で感情が沸き上がって来た。
すなわち、死にたくないと言う願望が。
体の奥底からメラメラと沸き上がって来た。
鉄閃少年の側に飛んできた男は、彼の状態を一瞥すると、忌々しげに顔をしかめながら口を開いた。
「少年、そのままだと死んでしまうが……助かる方法がある。まだ生きたいのなら、手を伸ばせ……!」
その言葉に鉄閃少年は一も二もなく飛び付いた。
死にたくない、まだ此処では死ねない。
そんな感情が、彼の体を内側から焼き焦がさんとしてた。
片腕を失った男は、鉄閃少年の伸ばした手をまだ無事な左腕で掴んだ。
瞬間、男の体が発光すると同時に、鉄閃少年は体の中に何かが入ってくるような感覚を覚えた。
男の発光が収まると、そこにはもう男はどこにも居なかった。
そして、その何かは鉄閃少年の体の隅々まで行き渡ると、何故か力が湧いてきた。
ふと、体の内から聞こえてくる声があった。
それは先程の男の声だった。
(おい、聞こえているだろう? 力の使い方はまだ分からないだろうから、今は俺がやってやる)
(な、何を……?)
(歯ぁ、食いしばれよっ!)
そう体の中に居る先程の男が言うと、鉄閃少年の影がズルズルと動きだし彼を貫く支柱に巻き付いた。
その影は、支柱を抜くようにして上へ上へと動いていった。
当然、それに貫かれている鉄閃少年へのダメージは大きく、ただでは済まなかった。
「グゥッ、ゥアアァッ!」
あと少しで抜ける、と言うところで支柱が一気に引き抜かれ、支えを失った鉄閃少年の体は地面に自ある身の血で出来た血溜まりにべチャリと落ちた。
体の真ん中に出来た巨大な穴は、シュウシュウと音をたてて驚異的な速度で塞がって行った。
それを唖然とした顔で見ていた鉄閃少年だったが、流した血が多すぎたのか、今度こそ意識を手放してしまった。
† † †
鉄閃少年が気を失った、彼の元住み家に一人の男が立っていた。
家を飲み込み燃えていた炎はすでに鎮火され、辺りは一面焼け野原となっていた。
気を失った鉄閃少年を見下ろすのは、グレーのスーツを着こなし、髪をオールバックに整えた、見た目は30代後半だが、実際は50代前半の整った顔立ちの男だった。
男は無言で鉄閃少年を抱き上げると、上空でホバリングしていたヘリコプターにひとっ跳びで乗り込むと素早く扉を閉め、抱えていた鉄閃少年を自身の横に寝かせた。
それを見た壮年の男の向かい側に座っていた少女が口を開く。
「お父様、その子は?」
「この子かい? この子はね、アリーシャと同じ混ざり者”だよ」
「そう、この子が……!」
目の前の少年が自分と同じと言われて目を輝かせて喜ぶ少女。
そんな少女は、自分の内側から聞こえてきた驚いたような声を聞き逃してしまっていた。
(ヴァルの魔力を感じる……まさか、ね)
† † †
鉄閃が壮年の男に拾われて7年。
拾われた時には8歳だったので、今では15歳だ。
彼を拾った人は、どうやら国際魔法師協会アメリカ合衆国・ワシントン州オリンピア支部支部長のシューベルト・ドランバルトらしい。
魔法師と言うのは、魔法を操り、迷宮に潜り、異界からの侵略者として悪名高い魔物及び魔族を討伐することを目的とする所謂エリートだ。
しかし、その仕事柄死亡率が高く慢性的な人員不足に悩まされているため、国際魔法師協会は魔法の素養を持つ者を世界中の各地にある魔法師育成の為の学園、魔法師学園に招き、育て、魔法師業界に輩出している。
そんな組織の支部の支部長に引き取られた鉄閃は、引き取られた後1年を療養に当て、9歳になってからは魔法師となるための訓練を開始した。
そこで分かったのだが、鉄閃には特殊魔法の才能があった。
通常、魔法は火・水・土・風・雷の5属性がある。
しかし、その通常魔法の適正がなく、しかし魔力を持つ者は特殊魔法の使い手とされている。
特殊魔法というのは、5属性のどれにも属さない分類できない魔法で、重力や時間、空間を操ったりと強力な魔法が多い。
調べてみたところ、鉄閃には召喚魔法の才能があった。
召喚魔法というのは、一部の意思のある、言葉を交わすことのできる高位の魔物と契約し、召喚することが出来る魔法だ。
普段は契約した魔物は別の空間に居る。
しかし、契約可能の基準が自分の力量が相手の力量よりも上で、なおかつ言葉を交わせるほどの高位の魔物でないといけない。
そのため、力を認めさせることが難しく、宝の持ち腐れと言われている。
だが、鉄閃に限って言えばそれは当てはまらない。
鉄閃が死にかけたあの出来事の際に鉄閃を救ってくれたのが、魔族の高位貴族だったのだ。
魔族は基本実力主義、その中で高位貴族とされていたのだからその力は折り紙つきだ。
ただし、良いことばかりではない。
魔族は侵略者。その魔族と肉体が同化して、その力を使える等と周囲に知られれば、後ろ指をさされ、石を投げられるようなそんな人生になってしまう事は、想像に難くない。
だから、この7年はその力を使いこなすことを主目的として訓練を重ねてきた。
その甲斐あってか、力をコントロールするのも自由自在だ。
ところで、魔族はその巨大な力に耐えられる程の武器をどこで調達しているか、知っているだろうか。
魔族の使う武器は、唯一無二だ。
その武器は成人すると同時に、その人の前に現れる。
そのそれぞれが特殊な力を持ち、強力な武器となる。
故に、一つとして同じ武器はない。
形が一緒だろうと、その能力は全くの別物だ。
閑話休題。
なぜこんな話をしたのかと言うと、鉄閃と同化した魔族ーーヴァールト・F・ジェレミアンの武器はどうするのかと言うことだ。
「うん、適合率も問題ないね。これなら普通に使えそうだ。今日からこの【断ち穿つ者】は君の物だよ」
結論から言ってしまえば、魔族の武器ーー魔装は人間でも使うことが出来る。
しかし、そこには魔装と使用者の適合率という要素が欠かせない。
そして、今適合率を検査したのは鉄閃と同化したヴァールトの武器、双銃剣の【断ち穿つ者】だ。
つまり、魔装を使うのに重要な適合率の問題は、鉄閃とヴァールトが同化していることで問題なく解決された。
「じゃあ、支部長が待ってると思うから先に行ってて。僕も準備したらすぐに行くから」
「分かりました」
ペコリと一礼して研究者の男の部屋から退出した鉄閃。
彼は、魔法師学園に入学するために日本へと帰ることとなっていた。
そのため、支部長シューベルトが待っている支部の屋上のヘリポートへ向かった。
† † †
ヘリポートに着くとそこにはグレーのスーツを着こなしたオールバックの壮年の男、シューベルト・ドランバルトがアタッシュケースを持って立っていた。
「来たな、テツ」
「はい」
鉄閃とシューベルトは言葉少なに会話すると、シューベルトが持っていたアタッシュケースを差し出した。
「これは?」
「餞別だ、受けとれ」
「ありがとうございます」
差し出されたアタッシュケースには、2着のパーカーと一足のブーツと1枚の紙切れが入っていた。
折り畳まれた紙を開いて見ると、そこにはパーカーとブーツの説明が書かれていた。
パーカーは、[蛾雅蚕]の糸で編まれた防刃、防魔法、衝撃吸収、耐火、耐雷の5つの効果がある高性能パーカーだった。
デザインは、黒地で袖に白のラインが入っていて、背面にはドクロが描かれ、フード部分は頭蓋骨の顎より上の部分を模した物となっていた。
ブーツは[天駆馬]素材で、魔力を込めると空を踏みしめて駆ける事ができる。
脛の中程まであり黒塗りで、白で踝部分に翼が描かれていた。
そこまで確認すると先程の研究者の男が走ってくるところだった。
「はぁ、はぁ。良かった、間に合ったみたいだね」
彼もアタッシュケースを持っており、鉄閃のところまで来ると、それを開いて渡してきた。
「完成したよ、物質への物質の収納。出すときは出ろ、仕舞うときは戻れって念じれば良いよ」
「ありがとうございます……!」
開かれたアタッシュケースに入っていたのは、双銃剣と2つの腕輪だった。
鉄閃は黒塗りに赤のラインの入った腕輪を右に、黒塗りに青のラインの入った腕輪を左に着けると、それぞれに銃剣をしまった。
「じゃぁ、行ってきます」
「行ってこい」
「行ってらっしゃい」
鉄閃は二人に別れを告げると、一人、ヘリコプターへと乗り込み、青空へと飛び立った。
ヘリコプターの中で座席に深く座り込んだ鉄閃は、父と母を思い出して涙を浮かべる。
「毎日変わらない日常なんて、幻想だな……」
じわりと目尻に浮かんだ涙を拭った鉄閃は、日本での日々に思いを馳せて笑みを浮かべる。
「でも、だからこそ楽しいんだよな」